イベントプロデューサーがコロナ禍を走り抜けた話
東京で身を削って働くワーカホリック系イベントプロデューサー(営業職)が、仕事において完全に自分の波をつかみおそらく過去最も活躍できたであろうドンピシャのタイミングでコロナに直面し、イベント業、ひいては広告業に携わっていることの社会的な罪悪感(人が集まる場所を作ってはいけない世の中で、所属する会社の営業職としては第一線で何とか仕事を、売上を生み出さないといけないという板挟みの状況)(個人の抱いた感情です)に苛まれた約一年間の回想録と、自分がなぜこんな業界に飛び込んだのかを振り返って記憶を書き遺そうと思います。
自分の職能によって社会に良い影響を与えられるときの喜びをこれからちゃんと噛み締めていきたいので、それが叶わなかった時期のことを忘れないように書き留めておきたいと思います。みんなそれぞれの場所で苦しくて悔しかったよな〜、いろんな決断があったはずだし、走り回ってがんばった人たちも、息を潜めて耐えてきた人たちも、新しい仕事を生み出して成功した人たちもみんなえらい、ほんとにえらかった。
仕事を誇りに思えない時期がくるなんて思ってもみなかったけど、自分が何を生業として生きているのかをきちんと見つめる機会を得られたような気もする。わたしは、人が集まる場所を作りたくてイベントプロデューサーになったんだったな。
2019年12月
年末年始はゆっくり休めると思ってたのに、意外にも仕事がなくならなかった。ありがたい。母がやたらと「中国は怖いわね」なんてLINEを送ってくる。近隣の国を、よく知らないが故にすーぐ腫れ物扱いするんだから!感染症なんてきっとすぐ落ち着くから大丈夫だよ。そういえば年末年始もちょっと大変なPOP-UP現場があるんだよね、写真送るね。
2020年1月
出張&現場ラッシュと大型提案ラッシュが重なり地獄を見る。徹夜でもなんでもどんと来い!諦めずに最後まで粘るのが取り柄です!!!
仕事好きとか楽しいとか口に出していると自己暗示にかかり前向きに頑張れるので普段からそうしてる。仕事はいつだって苦しくて悔しくて、それでも楽しい。本当に好き。いま提案してるプロジェクトは、何が何でも、絶対に、全部漏らさず受注するぞと鼻息を荒くしてPCとの睨めっこを続けていた。マジで一生の謎だけど何で見積りっていつも必ず収まらないん?どういう魔法を使ったら与件とバジェットが揃うわけ??まあいい感じに揃わないからこそ取捨選択をも含めた「企画提案」なのは分かるんですけども、、がんばろう。この山場を乗り越えたら一人前になれるような気がする。自分のコンプレックスには自分で打ち勝ちたい。
2020年2月
なんと、ほんとうに全部受注した。4件も取れて、うち3件が大型案件だった。さすがに自分に自信がつくだろうと思ってたのにどこか実感がなくて、社長がわざわざ「おめでとう!よくやった!!」と激励に来てくれて初めて、ようやく会社に貢献できたような、そのスタートラインに立てたような気持ちになった。そうですわたしは人の役に立っているor誰かを喜ばせているという明確な実感がない限り永遠に自己肯定が下手くそな女。
さらに、コンペのない案件も追加で3件ご相談をいただいた。ちょっとパンクしそうだけど、営業活動を細々と頑張ってきたお客様から問い合わせをもらうのは心底嬉しい。うちは組織変更の多い会社なので、来期の仕事は新しい組織がわかってからチーム編成をして、、などと作戦を練る。
一方、世間ではクラスター感染に関する報道が目立ち始める。政府の感染症対策本部からは「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請することといたします」という発表がなされ、3月からは全国の小中学校・高校が臨時休業とのことだ。ちょうど私の持っていた案件はどれも「今後2週間」に該当しないものばかりだったけれど、周りはキャンセル手続きを余儀なくされている人が多い。念入りに準備してきたイベントが、直前に中止される(ことが相次ぐ)というのはどれだけ残念なことだろう。その喪失感を思うと、自分のことではないのに変に共感してしまって、我が事のようにやりきれなさでいっぱいだった。
2020年3月
社内ではリモート勤務の指示が本格化し始める。クライアントとの打ち合わせでは大概「他社さんはどのようにご判断を?」「延期もしくは中止を検討しています」「いつ判断をすればキャンセル費を最小限に抑えられますか?」といった話題ばかりだった。先月、悲願の受注を遂げた自分が担当するプロジェクトたちもキャンセルや予算削減が続いてしまう。虚無感よりも、残った案件をどのように「適切な状態」でハンドリングすればいいのかに集中するためアドレナリンが出まくっていた。死ぬ気で受注した案件のうち、いくつかが実施されないことのやるせなさから必死に目を背ける。まだやれることがある。
2020年4月
すべてが止まった。
2020年5月
家の中で息を潜める生活も慣れてきた。これまで生活時間が合わず平日はほとんど会話ができなかった夫(彼は毎朝6時に家を出ていて、わたしは遅がけの出社で構わない代わりにほぼ毎日終電で帰ってきていた)とずっと一緒に過ごすことができたのはとても不思議な感覚だった。毎食一緒にテーブルについて、時々スーパーに行って、いろんなことを話して、やっと結婚生活が始まった感じ。とはいえ、すぐ隣で仕事をするというのもなかなか難しかった。夫の前で後輩の指導をするのも、クライアントにプレゼンをするのもなんだか恥ずかしいし。
みんな今やれる仕事を必死に探していた。持ち込み提案をしてみたり、セミナーを聴き漁ったり、次々と本を読んだり、意外にも忙しく過ごす人が多かった印象がある。(この頃マジで全員アフターデジタル読んでたんじゃない?)
わたしは辛うじて手元に残ったいくつかのお仕事を、なんとか繋ぎ止めることに全身全霊を注いでいた。あらゆるシミュレーションを出しまくって、リスクと挑戦の中庸点をいくつも提示し、時期をずらしてでも体験の場を実現させること(そして今その準備を進めておくこと)に意味があると周囲を説得し続けていた。来月か再来月には普段の生活が戻ってくるものだと信じていた。信じたかっただけかもしれない。
2020年6月
家で二人っきりで過ごすのは楽しいものの、これまで毎日膨大な量のコミュニケーションを何人もの人と交わしてきたことを振り返ると、ここまで隔離が続くとどうしても世界から取り残されているような気持ちになり始めていた。よくない精神状態だった。
ところが、何かの折にポロッと先輩に打ち明けたら、翌日から「今日は元気〜?」みたいななんでもない連絡を軽々しく寄越してくれるようになって、オフィスに集まっていないことでカジュアルな会話ができないという問題は一気に解決へと向かう。プライベートな空間以外の小社会にも自分の居場所があるというか、その社会活動の中でもわたしの心理的安全性が確保されるように配慮してくれる人がいるのかと思うと感謝の気持ちでいっぱいだったし、ほんとうに救われた。いつか自分がマネジメントする側になったら、求めている人にはこういうコミュニケーションが取れるようになろう。
こんな時期でもコンペのオファーをいただけたりもして、どうしても取りたくて最強の布陣で臨んみ、無事受注することができた。一年前からずっと営業してきたクライアントだった。緊急事態宣言は解除されている。来月には一本、久しぶりのイベント現場がある。
2020年7月
会社としてもコロナ後初めて開催サポートをする予定だった小さなイベントは、開催当日の朝6:00にクライアントからの電話が鳴り、呆気なくキャンセルとなった。クライアント側の担当者もひどく意気消沈していた。開催予定の前日に都内での感染者数がグッと増えてしまったため、やむを得ずという形での先方の社長判断だったようだ。正しい選択だったと思う。本当に正しくて、イベント業を担う自分がとてつもなく正しくない存在なのだとまざまざと突き付けられたような気持ちだった。
関係各所に急いで電話をする。でも、ほとんどの関係者はもう現場に集まってしまっていた。「久しぶりだから頑張ろうね!」なんて言ってわたしを励ましてくれてたディレクターのおねえさんと会場の入口で会ったら気が緩んでしまって、ずっと準備してくださっていたのにごめんなさいと謝りながら泣いた。貴方が謝ることじゃない、誰のせいでもないよと肩を撫でてくれたけど、プロデューサーのわたしが事前にもっと適切なリスクヘッジをしていれば、当日みんながこんな残念な気持ちになることはなかったんじゃないか?なんとか開催したいという気持ちだけ先走っていなかったか?
ライトアップされるはずだった静かな会場で、行き場のない気持ちを抱えながら、みんなで残務処理をした。忙しいはずだった一日が別の意味でとても忙しい日になってしまった。
2020年8月
キャンペーンが一本、イベントが二本。どれも無事にローンチさせることができてようやく肩の荷が下りた。やっと一山越えた。
イベントはそれぞれ、何と言ったらいいのかわからないが、、、正直大盛況だった。コロナ禍でのイベントの在り方を模索するようなオペレーションとスタッフの体調管理を徹底することでみんなピリピリしていたけれど、いざ蓋を開けてみれば一般来場者たちはまるでこういった体験の場を心待ちにしていたのではないかと思えるような引きの強さだった。ちょっと泣きそうだった。
これまで、来場した人数がKPIになっていたイベントという商材。今やブースに入場できる人数はこちら側で大幅に引き下げて管理する。イベントマーケティングには新しいKGI/KPI設定の考え方が必要そうだ。それでも人が集まって体験を楽しんでいる様子を目の前で見られるのは仕事冥利に尽きる。うれしい。感染症はまだしばらくのあいだ猛威を振るいそうなので、どのように共存していくか・わたしたちが何をアップデートしていくかで未来を創ることになる。
看護師をしている後輩が「毎日きつい」「なんでみんな出かけたり旅行したりしてるの?」とツイートしていた。胸がぎゅうっとなる。わたしに励ましの声をかける資格はない。
2020年9月
約半年ほど続いている休業措置や労務管理の考え方をめぐって、会社のみんなの中では分断が確固たるものになっていた。二次被害が大きすぎるよコロナ…早く収束してくれ頼む……
2020年10月
ありがたいことに、ずっと仕事がなくならなかった。8月以降、年明けまで毎月現場が一本以上入っていて、下手したら去年より多くない?と思っていた。とはいえ周りが大閑散期を迎えている中だったので悪目立ちしてしまい、わたしのことを努力家だと評する人もいれば、いいよねお前はと面と向かって言われることもあった。みんな休みたくて休んでるわけじゃないし、イベント業界そのものが大打撃を受けていて全く仕事が発生しない状況なのも痛いほどわかっていたけど、人の少ないオフィスで一人遅くまで働いているときに「お前は運が良いよな」みたいなことを言われてしまうと全然笑って返せなくて、こころが壊れそうだった。横で一緒に残業してくれてた課長が「絶対に自分で運なんて言うなよ」と何度も言い聞かせてくれる。
もはや、烏滸がましくも部全体の売上目標を一人でなんとかしようとすら思っていた。一人でなんとかというよりは、一人でどこまで引き上げることができるかを真剣に考えていた。明らかに自分が一番目の前に仕事があって、拡販の可能性もある。「運がいい」人が頑張らなくてどうするんだと自分で勝手に何か大きなものを背負わせて、一人で強迫観念と闘っていた。そうしないとここに居てはいけないんじゃないかと半泣きになりながら。わたしは本当にこういうところがある。
心身共にへろへろになっていたら優秀な後輩が期間限定でチームに入ってくれて、爆速&圧巻のホスピタリティで仕事を巻き取ってくれた。ラヴすぎ。期間限定なんて言わないでずっと一緒にいてほしい。
2020年11月
引き続き現場は続いていたものの、気持ちは凪いでいた。合間を縫って10連休を確保し完全に復活を果たす。世界でいちばんわたしが賢くて可愛くて優しくて最高&最強な気がする!(?)
どれだけ仕事が好きでも、精神衛生を健康に保つために大切なのはやっぱりお休みの時間。もう少しだけ休憩したら、また売上を立てよう。まだ友達に「イベント遊びに来てね」とは言いづらいけど、少しずつ解決の場を作って、細々と社会を盛り上げよう。
もうすぐで、コロナが話題になり始めてから一年が経つ。人が集まる場所を作る仕事はいつかまた人を幸せにすることができると信じて、今はひっそり、でも、ここから逃げずに暮らしていきたい。