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初めての出産〜陣痛室と分娩室〜

陣痛が来ているのに病院に電話しても信じてもらえなかった私ですが、

病院に到着して数時間、陣痛室で陣痛の波に耐えていた。
診察を受けた後、
「やっぱり陣痛だった。今から出産の為、入院です。」と家族に連絡。
その当時両親は現役で働いていたが、一番最初に到着したのは父だった。父!
陣痛室に顔を覗かせた父、
「おう、大丈夫か?お父さんは廊下の椅子に座ってるから。」
「う、うん、わかった。」
私も父は廊下にいた方がいいと思った。

次に夫が到着した。
隣に座って、私の背中をさすったり、手を握ってくれていた。
「…あのさ、お父さん、何してた?」
「なんか…びっくりしたんだけどね、姿勢良く座って、本読んでたよ。」
父のその姿は容易に想像できた。
「…ふっ、ふふ…ウケるね。」
「うん、娘が陣痛中に本読んでるって、たぶんなかなかないよね。」
「うん、ふふ…読書…ふふっ。」
父!

そのうち母も到着して、両親共に廊下にいた。
そばにいられてもアレなので、その方がありがたかった。

私はお腹(お股)が痛くて横になることができなかった。
出血をしていたので横になると背中に漏れるんじゃないかという、たぶんしなくていい心配もしていた。
だからといって丸く穴の空いた椅子に座る気分にもなれず、ベッドの横に腰掛ける形でずっと座っていた。

陣痛室で3時間くらい経った頃だろうか。
両親が中に入ってきて、「面会時間終わりだから帰るね。頑張って!」と言って帰っていった。
よくわからないのだけど、これから出産、って時に面会時間とか関係あるのかな?
私はまともに会話できる状態じゃなかったし、両親とも次の日も仕事だろうし、と思ってバイバイした。

父は、
「陣痛ってあんなに大変なんだな…。」
と言っていたそうだ。

姉が生まれた時、父は酔っ払って病院に到着して、廊下の長椅子で寝ていたらしい。
私が生まれた時、父は姉の手を引いて、大雪の中千葉の親戚の家へ姉を預けに行っていた。

だから陣痛の痛みに耐える妊婦を初めて見たのだ。
それを見せられただけでも親孝行を1つしたな、と思った。

さていよいよ分娩室へ。
最後に「はい、いきんで!」と言われるタイミングになっても、私は力の入れどころがわからなかった。
ウンコする要領でいいの?いいの?違くない?
ウンコ出ちゃうんじゃない?
と、心の中でまたしなくていい心配をしていたし、
痛過ぎて足が動いてしまうのを看護師さんに
「足はここに置いて!」と押さえつけられて、
足の位置なんかどうでも良くない!?
何でその位置にそんなにこだわるわけ!?
と、どうでもいい事にイラッとしたりしていた。

問題はウンコでも足の位置でもなく、
私の腹筋のなさだった。
腹筋がなさ過ぎて上手にいきめないのだ。

「赤ちゃんの心拍が下がってきちゃった!」

看護師さんが叫んだ。

産道の途中でとまって動けないので、
長男は人生を諦めようとし始めた。


先生「脚立持ってきて。」


きゃたつ?キャタツ?

用意された脚立を開いて先生が上った。

私の陣痛の波が来たタイミングで、
心臓マッサージの時みたいな要領で、
先生が私のお腹を上からボン!!と押して、
長男が誕生した。

私は自力で産めなかった。
若干の不自然分娩になった。

生まれた長男を見た瞬間、

なんて素晴らしいの!!!
この子に兄弟を!!!

と思った。

長男の産声を聞き、我が子の姿を見た夫が
「飲み物買ってきます…」
と言って分娩室を出て行った。
何故このタイミングで?と思ったが、
後で聞いたら
長男と繋がった臍の緒を見たら、
想像と違う色(青かったらしい)をしていて倒れそうになったらしい。ウケる。

私は股が裂けてしまい縫った。
そっちの方が痛くて怖くて泣きそうだった。

その後小1時間ほどカンガルーケア(赤ちゃんを胸の上に乗せる)をしたが、私は点滴のせいでかなり激しい尿意を催しており、1時間も待てずにナースコールを押した。

これが第1子誕生の時の陣痛室と分娩室での全てである。


🐈‍⬛ …   👶🏻


「陣痛から出産までこんなにスムーズだったのは、あなたの若さとずっと座ってたからね。」
と出産後に看護師さんに言われました。
私は当時25歳でした。
座ってたのは寝てる方が私にとっては辛かったからですが、スムーズだったなら良かったと思いました。
軽く歩いたりするのも出産までが早くなるみたいです。

分娩室から病室へ移動してからの入院中の話はまた別の機会に。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました🍼

【本日のヘッダー写真】
  いつかの空
  右上に一反木綿みたいなのがいて可愛い

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ねむいねこ🐈‍⬛
心から感謝します。 Thank you from the bottom of my heart.