「神様」が生まれたワケ。

題目の前段として、私が「宗教家」か否かの御裁断は貴方に一任することにする。
それは明確に貴方の課題であり、私の課題では無い。

とはいえ、否定するべくも無く、休日の昼下がりに「何処其処寺の住職」でもないのに、「神様」などという形而上学的ワードを宣う人は多くない。

そして、大変申し訳ないことだが、カフェや駅中でそのような人に遭遇した折には、私だって可及的速やかにオイトマを試みるだろう。
我国の最高法規に照らせば、宗教にどのようにアプローチするかは、近づくか遠ざかるかの別を含め、完全に個人の自由なのだ。

私にとっての宗教は、クリスマスや御正月といった、何かに付けて非日常を楽しむための極めて「儀礼的行為」でしかない。
だから、貴方を「宗教」の世界に誘おうとしているわけではないし、そのつもりもないのだ。

そのような前提と矛盾するようでこれまた大変申し訳ないことだが、私は「神様」は存在するのではないかと考えている。
より正確に述べれば、実際に存在するかどうかはさておき、「存在すると思うことにしている」のだ。

何故そのように思うのか、そもそも「神様」とは何者だろうか、ということについて少し書いてみたい。


***


「『神様』とは、一体どのような存在だろうか。」


この問いを突き詰めて抽象化していくと、詰まるところ「確率を操作できる者」という解に辿り着くように思われる。

確率というのは、所謂あの「確率」だ。
10円玉をチャリンと落とした時に「凡そ2回に1回は表が出ること」であり、サイコロを転がした時に「凡そ6回に1回は1の目が出ること」だ。

この世の中は「エネルギー保存則」といった、小難しくも複雑な、無数のルールの上で秩序を保つ。
幾重にも絡み合う諸規則は、ある条件下である事象が起こる際の変数を、極めてシンプルに定めている。

それは、例えばマカオのカジノでも日本の賭場でもコインの表裏が出る確率は等しく1/2であるようなものだ。
(もちろん、違う変数が加われば、確率は変わってしまうし、カジノのような場では、そういう摩訶不思議な現象がよく起こることも否定はできない。)

貴方が「何かを叶えたい」と神的な何かに願う時というのは、定められた変数の操作を望む時に他ならない。

「受験に成功しますように。」
「息子の病が完治しますように。」
「あの人への恋が成就しますように。」

瞬間瞬間の祈りの中で行われる、都合の悪い側vs都合の良い側の綱引き大会で、貴方は都合の良い側を応援し、その結果を手繰り寄せんと躍起になる。

祈るばかりか、わざわざ自社仏閣へと赴き、カランカランと大きな鈴を鳴らすためだけに長蛇の列に加わったり、機械的に運勢を記したペラペラの紙を手に入れるために、ナケナシの小遣いを投じたりするのだ。

冷静に考えれば、これらの行為の一切合切は「何だ意味がないことじゃないか。」ということになる。
世の中の森羅万象が、予め定められた変数で決まってしまうのなら、神頼みの前後で結論など変わりはしないと。

ところが、実はそうでもない。

貴方が祈りを捧げる前と後とでは、あるものが決定的に異なっていることを見落としてはいけない。

「努力を重ね、できることはすべて行い、神頼みという"無意味な行為"までこなしたのだから、できることは全てやりきった。」

そうして貴方は背水の陣を敷き、目の前の事物に果敢に挑めるようになっているのではないか。

死から遠ざかるためにエネルギーの大半を用いていた時代、その身を投じるためのメンタルトレーニングの重要性は、現代の比では無かっただろう。

そうして困難な状況を精神的に克服するために「神様」が生まれたのではないかと思えてならない。

私には「信仰心」というものがこれっぽっちも無いのだが、そういうことで「神様」は信じることにしている。
自分の弱さを逃がし、前向きに物事に取り組む上で、とても便利な概念だ。

もちろん「神様」に祈るのは「最後の一押し」であり、本質ではない。

「目が覚めたとき、資料が完成していますように。」

それが叶うのなら、とても楽な世の中ではあるが、あまり面白い世の中とはいえない。

もちろん、そんなことを願う瞬間が無いではない。
それでも、無理筋を通そうとするとかえってよくない気もして「…冗談ですよ」と心の中で付け加えることにしている。

「フォロワーさんが100人できないかなぁ…いやいや、冗談ですよ、神様。」
といった具合だ。

「神様」によってもたらされる前向きな決意は、私の行動を変え、私の変数をも変え得るのだから、「私の神様」は私の中に、確かに存在するはずなのだ。

冒頭の御裁断が貴方にとり受け入れる余地のあるものであったなら、たまには「神頼み」も悪くないだろう。

決意を固めれば、大抵のことは何とかなるものだ。

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