見出し画像

「はたらく」と両親とマヂカルラブリー。



働くって、一種のコントだよな。


スーツ着て、敬語を操って、せっせとお金を稼ぐ。高そうな時計、おしゃれな鞄、磨かれた爪に、セットされた髪。私服の会社だって似たようなもの。パジャマやジャージ、下着で出社したりしない。


眠い目をこすりながら、行ってきま~すと鍵を閉める。コントインの合図。ピン、コンビ、トリオ。それぞれの芸風でみな演じている。バスに電車、行儀よく揺られていく。



何のために働いているんだろう。



生きるため、お金を稼ぐため。名誉、地位、人脈。
困らないくらい全部あったら、働くのかな?


幼少期。スーツを着て、仕事に出かける父を送るのが好きだった。お金はあるのに私服はヨレヨレ。財布も十年以上使って、小銭入れをパチンと綴じても、脇から溢れることもあった。

月曜日。ピカピカに磨いた靴と、シワの無いスーツに身を包んで、7:30に家を出る。片田舎に似つかわしくない大人のカッコよさがそこにあった。早く「おとな」になりたかった。


母は、僕が小学何年生かの時に事故で仕事を辞めた。以来、僕につきっきりで勉強を教えてくれた母。カップラーメンを食べながら過ごしたお正月。中学受験という選択肢は、母なしではあり得なかった。

働くのが好きだった母。ムチウチが良くなってからは、起業したり、地方ラジオのパーソナリティをしたり。家の中と外。朝寝坊と、泥酔している時間を除いて、母はずっと働いていた。やっぱり僕は「おとな」になりたかった。


そして今。僕は大人になり、働いている。


さて、何のために働いているんだろう。


家族もできたしお金は必要。承認欲求みたいなものが無いかと言われれば、それはやっぱり嘘になる。


けれど、そのためじゃない。

つまりは、「こんな人になれたらな」という自己実現のために働いている。

身なりを整え、礼節を保ち、知識を蓄え、人との関わりを通じて、社会の中で貢献している自分。自堕落な自分とは少し遠い存在。仕事を通して一歩ずつ、そういう自分に「自分」を近づけたいのだ。

自分を輝かせるのが目的の「働く」という行為。有り余るお金や人脈は、それを放棄する理由になんてならない。


M-1グランプリ2021。

3年越しのリベンジを果たしたマヂカルラブリーの決勝ネタはその夜から大きな議論を呼んだ。

漫才かコントか。そんな定義論はどうでも良い。彼らの舞台上での迫真の縁起に見え隠れした研鑽の日々。一千万円のため?多分、違うだろう。「はたらく」の本質と、あの日の両親の輝きって、そこにあったような気がする。

うまく言えないけど。はたらく。多分そういうことなんじゃないかなと思う。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)