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モルフォ蝶(エッセイ)|hidemro

 岐阜県に、名和昆虫博物館という施設がある。大正時代の昆虫学者である名和靖氏によって設立された施設だ。展示はギフチョウをはじめ、国内外の昆虫が生体・標本の形で展示されている。
 なかでも、世界三大美蝶といわれるモルフォ蝶の標本が壁一面に数百匹展示されている様子は圧巻だ。金属光沢を持つ翅は瑠璃色に似ていて、二つと同じ色はないように見える。死してなお、輝きを放ち続ける数百という蝶を前にしていると、いつしか気持ちが浮遊してくる。漂いはじめた意識の中で、この蝶を以前にも見たことがあると気付く。小学校の友達、梅本くんの家だった。
 梅本くんは、ドラえもんと昆虫が好きだった。ドラえもんはコミックスを全巻揃えていて、持ち物もドラえもんのイラストが付いたものを多く持っていた。昆虫は甲虫と蝶が好きで、採取し標本を作っていた。彼は虫捕りで日焼けた黒い顔に、いつも笑顔を湛えている明るい少年だった。
 一方、僕はドラえもんは人並みに好きな程度、昆虫についてはどちらかというと苦手だったが、僕らは仲が良かった。小学二年生からの四年間、同じクラスだったということもあるだろう。四年生のある日の昼休み、梅本くんは僕を教室の隅に呼んだ。
「俺さ、心臓の病気になったわ」
「え、どういうこと」
「なんか、心臓の病気で手術しないといけないんだと」
「でも、手術したら大丈夫なんでしょ」
 なんと答えるのが適切かわからず、祈りも込めて答える。
「手術したら、機械とかずっと付けないとダメらしい」
 想像もつかない返答に、僕は答えに屈してしまう。無言のまま彼を見ると、笑顔ではあったが無理やり貼り付けたように力無く見えた。
「そんなんでもさ、仲良くしてくれるかい」
「は、何言ってんだよ。当たり前だろ」
 涙が込み上げてくるのをなんとか堪える。彼は少し安心したように見えた。その後、彼は手術をし、ペースメーカーを埋め込んで学校に戻ってきた。体育は参加できず、昼休みに走り回ることもできない。通学も車の迎えが来るようになった。それでも、僕らは変わらず友達でいた。コロコロコミックや、ミニ四駆、新しい漫画本の話をした。
 術後すぐは安定しているように見えたが、本人の意思とは裏腹に、次第に学校を休みがちになっていった。それからも、何度か彼の自宅に遊びに行った。彼の部屋の中は、ドラえもんと昆虫で埋め尽くされていた。昆虫に興味のなかった僕は、その時に標本という物を初めて見たように思う。
「虫、あんまり好きじゃないもんな。ごめんな」
「いや、これとかすごい綺麗だね」
 壁に飾られていた蝶の標本がモルフォ蝶だった。英字表記の学名と共に額装されたもの。その時、僕ははじめて蝶を美しいと思った。
「それはモルフォ蝶。世界一美しい蝶と言われている」
 その後、別々の中学に進学し、中学一年の秋に彼の訃報を聞いた。今でも実家に帰ると漫画本を手に取り、彼が笑っていたお気に入りのページを見る。ドラえもんも、葬儀の際に掛かっていたポップソングも、昆虫標本も眼にする度に意識の隅では彼を思い出している。それは悲しさではなく、いつもの彼の笑顔だ。記憶の中のモルフォ蝶も目の前のものと同じく、変わらない光沢を湛えていた。

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