眠り兎と小石の実
お祭り騒ぎなテレビを消して、ベッドの上で毛布を被る。ひっそりと、文字通りの寝正月を決意した。
年末は忙しすぎて、おせちの用意どころか、大掃除もできなかった。頭まで毛布にくるまる。ガラス窓と厚い遮光カーテン、毛布を突き抜けてくる、「明けましておめでとうー!」という元気な声。近所の幼い子たちの声だろう。
迷いも不安もなく、ハッピーニューイヤーと叫んで笑う。ああいう時代が、私にもあったはず。目を閉じた。今から私は石だ。眠る石像になるのだ。
コツッ、カツンッ、カッ、コツッ、カッ
妙な音がして、目が覚めた。鼓膜だけ覚醒させて、異音を探る。窓のほうからだ。小石が、窓にぶつかっている?
近所の悪戯っ子たちが、小石を投げているのだろう。妙にリズミカルで、お祭りの太鼓のよう。よく聞いてみると、ガラス窓の外側ではなく、内側に小石が当たっているような気がしてきた。
気のせい、と納得しようとするが、頭が冴えてしまった。ため息を吐いて、毛布から這い出る。
ベッドから足を下ろした瞬間、足の裏に尖った何かが食い込んだ。
「いった……なん、え?なに?」
床の上に、小石が散乱している。普段からズボラではあるが、さすがに小石を床にばら撒いたままにはしない。空き巣、という言葉が思い浮かんで、スマホに手を伸ばした。しかし手は、ふわっとした、温かいものに触れた。
「ぎゃっ!」
「やっと起きられましたか。やれやれ、お寝坊さんは直らないようですね」
スマホの定位置であるサイドチェストに、喋る白い兎がいた。呆然とする私を無視して、兎は小石をカリカリと齧り始めた。勢いよく自分の頬を叩いてみる。痛い。
「夢ではありませんよ。私は月の使者。三が日と十五夜の時期にだけ地球に派遣されます。十五夜には、私たちは『お月見泥棒』と呼ばれたりもします。不本意ですが。地球には石の果実と呼ばれる特別な小石があるのです。それを拾い集めて月に持ち帰る。それが、月の使者の役目でして。決して、石を盗んでいるわけじゃないのですよ。拾ってるんです」
「はぁ……そうなんですか」
思わず相槌を打ってしまった。この不可思議な状況に、寝起きの頭は混乱しているようだ。
「今年は豊作でした。それでつい集めすぎまして。迎えが来るまで、石の果実を隠しておける安全な場所はないかと探していたら、偶然、あなたを見つけました。人間の家には招かれないと入れないのですが、なぜか入れたので。勝手に置いてしまいました。すみません。3日の真夜中には迎えがくるので、それまでお部屋お借りしますね」
ちょっと図々しい白兎だ。うっすら赤い耳や口、零れ落ちそうな丸い瞳。可愛い。じっと見ていると、肩の力が抜けた。
「小石くらいなら、別にいいけどさ……石の果実って、石なんでしょ?石なんて集めて、どうするの?」
「月の大地に敷き詰めるために、持ち帰るのです。石の果実には引力がありましてね。そのおかげで、地球と月の絶妙な距離感が保たれているのです。ちなみに、石の果実は私たちにとって、おやつであり遊び道具でもあります。投げてよし、食べてよしの果実です」
白兎はまた、カリカリと小石を食べ始めた。
「窓に小石ぶつけてたの君か……危ないから、もう部屋の中では投げないでね……。ところで、その石の果実が無くなるとどうなるの?」
「月は地球から離れていきます。月が離れてしまったら、地球も月もてんやわんやの大騒動です。地球では潮の満ち引きが無くなって、自転速度がぐんぐん上がって、1日が18時間くらいになってしまいますよ。地球の人たちは忙しい、時間が足りないなんて、いつも言っているのに」
「え……それは困るな……とっても困る」
「ふふ、でしょう。だから私たち月の使者がいるのです」
足元に散らばる小石を1つ、摘まみ上げた。つるつるしていて、触り心地が良い。握ってみると、妙に手に馴染んだ。
「……覚えていないでしょうが、あなたも遠い昔に、私と同じことをしていたのですよ。三が日だけ、月の使者見習いとしての任務に就いていました。私の後ろをぴょこぴょこ付いて回っていたものです」
「へ?私たぶん、ずっと人間だったし……誰か、というか何かと間違えてるんじゃない?」
ぴょん、と白兎は跳ねて私の膝に乗った。驚いて、のけ反る。
「あなたは元々、月の使者の白兎だったのです。でも、あなたは地球人に興味を持って、地球人になりたいと願ってしまった。月では、強い願いは叶ってしまうのです。私の目の前で、あなたは消えてしまった。地球人に転生すれば、私たちのことは二度と思い出せなくなるのに。あなたは何も言わず、行ってしまった」
ずいっと、白兎の顔が迫ってくる。大きな瞳が、潤んでいる。ゆっくり、白兎を抱擁した。
「……思い出せないんだ、ごめん。でも信じるよ。泣かせちゃって、ごめんね」
震える白兎を抱き締めて、毛布に包まった。
白兎と一緒に寝正月を満喫し、4日の朝を迎えた。起きると白兎は消えていて、散乱する小石も綺麗さっぱり無くなっていた。長い夢を見ていたことにして、仕事着に袖を通す。
テーブルの上に、小石が1つだけ残っていた。石の果実。月の使者。白兎の涙目。記憶を辿りながら、小石を掴む。しばらく握ってから、ポケットに忍ばせた。