じーちゃんの神話
じーちゃんの家の最寄り駅には、やはり何も無かった。木製のベンチに座り込み、大きなキャリーバッグに片腕を置く。最新型ゲーム機は繊細かつ重い。人込みの中での運搬中、かなりのエネルギーを費やした。
腕時計を確認する。じーちゃんとの待ち合わせの時間には、まだちょっと早い。背負っていたリュックの中から、書類を取り出した。つい先日に上司が書き込んだ、赤いメモ書きを読み直す。
”盛り上がりに欠ける印象。あと一押し。ピリッとするような要素を盛り込んで”
どうしたらいいのだろう。もう精一杯のアイデアを捻り出したというのに。ため息が出てしまう。
入社して初めて、新しいゲームの企画書を書かせてもらえた。奇跡的に企画書が通り、試作品ができた。世に自分のゲームを出すという夢が叶う一歩手前だ。
しかし、最後の一歩が踏み出せない。もう3回、発売延期。見かねた上司たちが色々アドバイスしてくれるが、なかなか発売の許可が下りない。
「千秋~!じーちゃんが来たぞ!おっ、元気なさそうだな!わははは」
突然両肩をバシバシと叩かれ、書類を落としそうになった。
「じーちゃんは、相変わらず元気そうだね……。羨ましい」
「俺だって落ち込む時はあるぞ。さぁ、ゲームしようじゃないか。じーちゃんが何とかしてやるから。ほら、元気出せ。心配するな」
ちょっと泣きそうになっていると、じーちゃんは乱暴にスーツケースを引っ張って行こうとした。慌てて止める。色々な意味で危ない。
じーちゃんの家に入ると、懐かしい香りがした。薄いオレンジの香り。いつもの下駄箱の芳香剤だ。自分のアパートと同じ散らかり具合。自分はじーちゃんの孫なのだなぁと、改めて実感した。
「ほれ、セッティングは任せたぞ。じーちゃんはお菓子とお茶を持ってくるから」
台所へと向かう足音を聞きながら、キャリーケースを開ける。慎重にゲーム機本体やVRゴーグル、ケーブル類を取り出した。じーちゃんの家のテレビの裏を確認する。
じーちゃんの家でゲームをするなんて、何年ぶりだろうか。数年前に祖母が亡くなってから、会う回数も減った。
1ヶ月ほど前、昼休憩中にじーちゃんから電話が来た。「元気か?」という、じーちゃんの能天気な声に気が緩んで、試作品のことを半泣きで話してしまった。そうしたら「その試作品、持ってこい。どうすればいいのか、じーちゃんが考えてやる」と強く言われ、強引に家に行く約束をさせられたのだ。
じーちゃんは昔、民俗学者だった。主に日本の神話や伝承を研究していたが、世界中の神話にも詳しい。私もそういう話が好きで、試作品に神話の要素を取り入れた。
しかし、じーちゃんはゲームボーイまではギリギリ知っている世代だ。アドバイスには期待できないだろう。じーちゃんは、単に私と会いたかっただけなのかもしれない。
接続し終えたゲーム機の電源を入れる。よし、正常に起動した。じーちゃんを呼ぶ。
「もう終わったのか。さすが、手際がいいな。どれどれ、どれがコントローラーだ?」
「コントローラーは、これ。VRゴーグルも付けるから、落下防止用の紐も腕に付けてね」
「……最近のゲームはややこしいな」
「ふふふ。プレイ中に気持ち悪くなったら、すぐに言って。テレビ画面でも遊べるから」
「ほあぁ!どでかい鶴が来た!ど、どうすればいい!」
「とりあえず逃げて!私が戦うから!」
草原を歩いていたら、ヒッポウという鳥型の敵が現れた。右往左往するじーちゃんのアバターを横目に、速やかに倒す。
「じーちゃん、あれ、鶴じゃなくて、ヒッポウっていう敵の神獣。ほら、前に教えてくれたじゃない。中国の神獣。一本足で、炎を食べるっていう」
「そ、そうだったのか。おお、本当だな。良くできてる……」
ゲームには、神獣が敵として登場する。プレイヤーは原始的な仮想世界を巡り、悪霊に操られている神獣を倒していくのだ。
「お、洞窟があるな」
「奥に虹色の水が湧き出る泉があるよ。回復ポイント」
「おお、ミルリアナみたいだな」
「ミルリ……何それ?」
ゲームに夢中なじーちゃんは、私を無視して洞窟に入っていった。
淡く光る虹の泉が、洞窟内部を照らしている。泉に2人で近づくと、目の前に突然、大きな虹色の蛇が現れた。
「うわっ!」
驚いて声が出た。ここに神獣を配置した覚えはない。
「おお!虹蛇!」
じーちゃんは嬉しそうに蛇の頭を撫でた。七色の蛇はじーちゃんと見つめあっている。
「虹蛇……?」
「最古の神話に出てくる、創造を司る蛇神だ。虹が湧く泉、ミルリアナに住んでる。これは、千秋が作ったんだろう?知らなかったのか?」
「この泉は私が作ったけど、虹蛇は違うよ。こんなキャラ、作ってない」
虹蛇と目が合った。首をかしげている。
「不思議だな。勝手に神話が仮想現実に入り込むなんてなぁ。もしや仮想現実が、神話そのものなのか……。虹蛇は、ばーちゃんも好きだったんだ。登場させてやってくれよ。味方として」
じーちゃんの静かな言葉が、頭を離れなくなった。
先月やっと発売されたゲーム「ユルルングル」をプレイするじーちゃんを、後ろから見守る。
最終的に、プレイヤー自身が神獣となり、ヒトと関わりながら神話を創っていくゲームになった。
「ははは、ユルルングル、可愛いな」
龍の姿で、虹蛇と空を飛ぶじーちゃんは子供みたいだ。口元が緩む。私に創造をもたらしてくれた虹蛇とじーちゃんに、感謝しなくては。