小さき天文学者の隠れ家
目薬が染みる。目を閉じたまま考えるのは、やはり仕事のこと。今度は水族館のようなドールハウスに挑戦してみようか。壁は水槽にしよう。住人はどんな人?海洋学者?人魚?
カランコロンとベルが鳴った。お客さんの入店の合図だ。目を開けて作業部屋から店に出る。いらっしゃいませ~と言いながら、さりげなく棚に並んでいるドールハウスを整理するふりをする。お客さんが私に話しかけやすいように。
私はミニチュアドールハウス専門店の三代目店主だ。祖父と母が切り盛りしていたお店を引き継いだ。祖父と母の手から次々に生み出される小さな別世界に、私は幼い頃から魅了されていた。製作途中のドールハウスをじっくり見て、どんな住人がいるのか空想するのが大好きだった。その遊びが職人になった私の助けになっているのだから、面白いものだ。
私のドールハウスの特徴は臨場感。食べかけの食事だったり、開きっぱなしの本などなど。住人が今さっきまで存在していたかのような痕跡を作る。そして住人となる人形はあえて置かない。主人公はどんな人物なのか、ドールハウスを眺めながら想像して遊んでほしいから。
「あの、すみません」
「はーい」
お客さんからの呼びかけに待ってました、と駆け寄る。お客さんはショーケースの中を指差していた。
「このドールハウスって、おいくらですか?」
「あっ!ごめんなさい!そのドールハウスはまだ作りかけで……値段はまだ決めてないんです。さっき置き場所に困って店先に置いていたのを忘れてて……。紛らわしいですよね。本当にすみません」
「あ、そうなんですか。やぁ、見事なもんだなぁと思って。僕はこういうお店に入るの初めてなんですが、どの作品にも感動しっぱなしです。特にこのドールハウス、すごいですね。この望遠鏡なんて本当にレンズが入ってて、机に散らばってる天体写真も本当にリアルだ」
若い青年が独りで来店するのは珍しい。興味深々な様子に、にやつく顔を押えながら接客に集中した。
「ありがとうございます。ここのドールハウスは架空の住人が今さっきまで本当にいたようなリアリティにこだわって作られていまして。手に取ってみますか?」
「え、いいんですか?!」
ショーケースを開けて、慎重にドールハウスを取り出す。2階建ての古びた搭のような外観。半分に開くので、中身がよく見える。2階にある望遠鏡を摘まんで、ショーケースの上に置いた。
「望遠鏡の角度も細かく変えられるんですよ」
「おお……可動式なんですね。素晴らしい」
「家の中の電球も点きます。ここのランタンの明かりも」
「ほおぉぉ……」
青年は望遠鏡とドールハウスに顔を近づけて目を輝かせている。この瞬間こそ、職人冥利に尽きる瞬間だ。
「このドールハウスの仮の名前は『天文学者の隠れ家』です。人里離れた場所にある隠れ家で天体観測しながら、あれこれと宇宙について考えている孤高の天文学者を想像しながら作りました」
「へぇ……ん?職人さんなんですか?」
「ふふ、そうなんです。若い女性の職人は少ないので初めてのお客さんには驚かれます」
「お独りで全部作ってるんですか?」
「ええ。職人の仕事は図案作りから仕上げまで。師匠の祖父と母から教え込まれました」
急に握手を求められた。手を取ると、青年は涙ぐんで誉め言葉を連発してくる。少し恥ずかしい。
もう布団に入って寝ようかと思った時、下の階から物音がした。1階はお店だ。しっかり戸締りしたはず。きっと何かが落ちてしまっただけと思いながらも、孫の手を構えながら静かに階段を下りた。
明かりを点けると、資料として集めていた天文写真のファイルが落ちていた。胸を撫でおろしてファイルを持ち上げた時、隅に小さな物体が付いていて。
「うわっ!」
反射的に投げてしまった。殺虫剤を探していると、ファイルの下から何か這い出てきた。
「もうっ!大きな者たちは私たちをすぐに吹っ飛ばすんだから!」
ミニサイズの人間がぷりぷりと怒っている。近づいてよく見れば、あずき色のガウンのようなものを着ていた。小脇に何か抱えている。私が作ったミニチュアの天文図鑑だ。
「あの、どちら様で……?」
「取り乱して失礼しました。『天文学者の隠れ家』の住人です。勝手ながら住み着いております。私たちは小さき者。魂のこもったドールハウスにしか住めない妖精のようなものです。こちらには百年くらい仲間たちとお世話になっております」
ぺこり、と頭を下げてくる小人に呆然とする。百年?祖父の代からいたのだろうか。はっとして「天文学者の隠れ家」を覗き見れば、明かりが点いていて、小さなパソコンも起動している。電子機器はさすがに作りこんでいないのに。小さなプリンターからは天文写真が出てきた。
「電子機器まで動くはず無いんだけど……」
「あなたたち大きな者に『創る』という不思議な力があるように、私たち小さき者にもあるのですよ。私たちの小さな宇宙もあります。大きな者の宇宙も気になって、少し図鑑を見させてもらっていたのです」
「ああ、それで図鑑に……さっき吹っ飛ばしてごめんね」
「こちらこそ驚かせました。そうだ、驚かせついでに紹介しましょう。みんなー!出ておいでー!」
小人が叫ぶと、店中のドールハウスに明かりが点いた。窓やドアから、老若男女の小人たちが顔を出して。
「ここから家ごと旅立っていった仲間たちも、この店の大きな者には感謝しています。素敵な家と良い縁をありがとう」
感謝の言葉を伝える囁き声が四方八方から聞こえる。小人たちの表情は本当に生き生きとしていた。
翌日、寝不足のまま店番をしていると昨日訪れた青年がまた来た。『天文学者の隠れ家』を取り置きしてくれないかと頼まれ、私はすぐに了承した。異次元を研究しているという青年は、天文学にも興味があるらしい。あの青年なら、きっと大切にしてくれるだろう。小さき者の宇宙も。
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