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四方の海の漏刻をシーラカンスは司る
すでに、海面から1000mは潜っている。
生身の人間の侵入を水圧が拒む、暗闇の海の世界への突入。
しかし、この狭い深海探査艇の中では、その実感が湧かない。モニターが作動しないのだ。深海の中を映し出すモニターの修理に、深海生物の研究員である私も駆り出されている。
ケーブルと辞書のような説明書を持たされ、隅の方で棒立ちになった。私にできることは、もう邪魔にならない場所にいることだけだ。
シーラカンスの姿を拝めればと思っていた。憧れ続けている、生きた化石の深海魚。しかし、今回は無理か。
「動いた!」
技師の声に、皆がモニターに釘付けになる。モニターには、満月が映っていた。満月のような、深海魚の白く光る瞳が。
「うわぁっ!」とモニターを至近距離で見ていた技師が驚き、のけ反って後ろに倒れかけた。
しかし、技師の身体は斜めの状態で静止した。モニターを見る操縦士も副操縦士も、驚いた表情でぴったりと止まっている。
時間が、止まった?
モニターの満月、魚の目玉は消え、宇宙のような暗い深海の世界が映っている。私が一歩動き出した瞬間、探査艇が大きく揺れた。反射的に、しゃがみ込む。
ゴゴゴゴゴゴという不穏な音と共に、強烈な浮遊感。探査艇が、何かに押し上げられている?
必死に艦内の出っ張りに掴まっていると、モニターにまたあの目が映った。
「あ、起きてるね」「起きてる」「時間、止めたんだけどなぁ」
子供の声と大人の声が混ざり合ったような、奇妙な声がモニターから聞こえる。
「あの、シーラカンスです。海底の、時間の漏れ口をね、あなたの船が塞ぎそうになってしまったので、どかしてもらいました」
シーラカンスという言葉で、我に返った。興奮が湧き上がる。
「本当に、シーラカンス?」
「ええ。乱暴に動かしてすみません。緊急措置なもので」
驚く。呟いただけの声が、伝わっている。さらに研究者の血が騒いできた。
「ああ、あの、時間が、漏れる?っていうのは」
「まだ人間は知らない?常に時間の粒は海底から漏れ出ていて、海面まで浮上して、空気中に飛散する。漏れ口を塞いだり広げたりして、時間の粒の量を一定に保っておかないと、過去と現在と未来が混ざってしまう。僕たちシーラカンスは、時間の量を調整する作業を、もう10億年続けているんです。つまり、時の番人なの」
「時の番人……」
「僕たちは数億年前に、陸に上がることもできた。君たちのように目まぐるしく変化すれば。でも、僕たちは変化しない選択をした」
モニターに映るシーラカンスの丸い瞳が、キラキラと虹色に光っている。
「無数にある時間の漏れ口を守るために、僕たちは正確に一定のリズムを刻まなくてはいけないからさ。変化すれば、どうしても、リズムが乱れてしまう。単純に言えば、この海底時計の役目が気に入ってるからだ」
全身が、固まっていく感覚。金縛り?口が、なかなか開かない。
「別れの時間だ。またいつか会いましょう。陸で会えていたかもしれないヒト」
身体の硬直が解けて、はっと大きく息を吸う。私がゼイゼイと荒い息をしていると、尻もちをついている技師が、不思議そうな顔で私を振り向いた。
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