コンパスプラントでおかえり
テーブルに置いた葉っぱに、歯ブラシをトントントンと当てている先生は、真横まで来た私に気付かない。薬局の中を見渡すが、私以外のお客さんはいない。
鬼気迫る表情だから、話しかけづらい。薬局を1人で切り盛りしている先生は、もう高齢者と呼ばれる年齢のはずだが、時々妙な行動をする。
本人曰く、「地球の研究」兼「商品開発のための実験」らしい。冗談ばかり言う人だから、本当のところは分からない。
先生はいつも、黒くて艶のある髪を頭頂部でお団子にしている。小さい帽子を被ってるみたいで、可愛いと思う。子供の頃から短い自分の髪の毛の先を、摘まんだ。
先生の顔をじっと見る。頬や目元には、皺1つ無い。先生は見た目が若すぎて、よく観光客から驚かれる。今年19歳になる私と一緒にいても、姉と間違われるくらいだ。
「先生、あの」
「わぁっ!ああ、葵ちゃんか、びっくりした。来てたの。ごめんごめん」
「この葉っぱ、あの観葉植物のですよね」
「そうそう。昨日ね、ちょっと場所をずらそうとしたら、私の不注意で1枚葉が落ちちゃって。しっかり葉脈が走ってて、ああ、いいなぁって思って。葉脈標本にしようとしてたの」
先生は、半分ほどスケルトン状態になった葉を取り、ひらひらと動かした。綺麗だ。じっと見てしまう。葉脈の裏から先生が私を覗き込んで、びっくりした。
私は酷い乗り物酔いをする。島生まれなのに、何度もフェリーに乗っているのに、船酔いが一番酷い。
私の住んでいる島で唯一の薬局、「コンパスプラント薬局」には、オリジナル酔い止めシロップがある。飲みやすく、副作用も出にくく、効き目抜群。今まで、何度もお世話になっていた。
私は数日後、本州の大学に通うために上京する。必要なものリストの一番上に、あの酔い止めの薬を記しておいた。
「はい、酔い止めの薬ね。分かってると思うけど、服用は1日2回まで。軽くお腹に何か入れてから、飲むようにね。念のため、胃薬と風邪薬も入れておいたから。忘れずに持って行って」
「え?でも、酔い止めの薬の分しか、お金、持ってきてないですから……」
「おまけというか、餞別よ。島を離れる子には、いつもこうしてるの。あっ、そうだ、可愛いカエルのシールがあるの。箱に貼っとこうか。葵ちゃん、幼稚園の時カエルのシール大好きだったでしょう」
急激に頬が熱くなって、首と手を勢いよく横に振った。
薬局の広い裏庭で、重い肥料の袋を運ぶ。
酔い止めの薬も、頼んだ量より少し多かった。何か、お返ししなくては。そう思って、裏庭の手入れの手伝いを申し出た。
先生は草むしりをしながら。一面に茂るハーブの様子を確認している。裏庭にある植物には、何かしら薬効があるらしい。様々な方法で植物を加工して、薬を手作りしている先生は、島の老若男女から色々と頼りにされている。
でも、島で一番長寿な人に聞いてみても、先生の出身地や詳しい生い立ちなどは不明。重い肥料の袋を足元に置き、考える。聞いてしまおうか。先生と2人っきりで話せるチャンスなんて、この先もう無いかもしれない。
「先生、ちょっと、聞いていいですか」
「んー?いいよー」
「先生の故郷って、どこなんですか?あと、なんで薬剤師になったんですか?」
「私はねー、別の星で生まれたの。突然変異ってやつでね、他の人とまったく違う姿、体質だった。その星の環境に合わなくて、何度も死にかけて。とうとう医者からね、この地球の、この島への移住を勧められたの。この島なら、安全に暮らせるだろうからって」
春に島に帰って来る渡り鳥たちが、上空で騒いでいる。きっと冗談だろう。
「またまた~。冗談でしょう」
「ふふふ、それがどっこい本当ですって話。家族は地球の環境に適応できないから、私は独りで島に来るしかなかったの。子供の頃は、本当に心細くて辛かった。何しろ、全く別の星で、人間の言葉も分からなかったから」
よっこらしょっと言って先生は立ち上がり、腰を後ろに軽く反らした。
「だから、最初は植物と仲良くなったのよ。植物の世話にのめり込んで、色々な実験をして、薬効を調べて、薬を作って。最初は自分と養父母たちの分しか作ってなかったんだけど、どんどん評判になってね。もっと良い薬が作りたいと思って、薬剤師になって、薬局を開いたの」
先生は呆然としている私を残して、ゴミ袋を取りに行く。はっとした私は、先生を追いかけた。
「じゃあ、じゃあ、先生は、異星人ってことですか」
「そう。突然変異で、人間ぽくなってるってだけよ。ほら。証拠」
軽くジャンプした先生は、着地しなかった。20cmほど浮いたままだ。言葉が出ない。先生は急に私を抱き締め、軽々と持ち上げた。私も、宙に浮かんでいる。空中でダンスを踊っているようだ。
「うわっ!わっ!ううう浮いてる!」
「大丈夫よ葵ちゃん。向こうでは、最初は寂しい思いもするでしょう。でも、大丈夫だからね。大丈夫じゃなくなりそうになったら、戻っておいで。私だけは、いつまでもこの薬局で待ってるから」
先生の静かな言葉が、私の心にしっかりと着地する。先生の肩先からは、微かにカモミールの香りがした。
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