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白い三日月を一錠

夜空にカシューナッツを掲げて、三日月と重ねる。そっくりだ。口に放り込んで噛み砕く。ミルキーで甘い。三日月を丸ごと食べたらこんな味なのだろうか。

今夜も蒸し暑い。夏になるとクーラーが苦手な私は、寝る前にベランダに出て夜風に当たる。最近は妙に食欲旺盛で、冷たい飲み物とお菓子も必ず用意するようになった。お菓子の量と体重が比例して増え始めている。まずい、と思いながらも大好きなカシューナッツに伸びる手が止まらない。

仕事のストレスのせいだろうか。ため息をつく。火葬場の職員として数年働いてきたが、やはり色々と気を遣うし意外と重労働な仕事だ。同僚たちはもう慣れたと言うが、やはり人骨を実際に目の当たりにすると緊張するし。

これが最後、とカシューナッツを1粒口に入れて、部屋に戻る。なんとなくテレビを点けると怪しい通販番組がやっていた。

「お次は画期的な痩身薬『スレンダー・ナッツ』の登場です!ルミノシティ科学研究所が発見した、カシューナッツ由来の痩せる成分を含んだお薬です。1日1錠飲むだけでスリムな体形が目指せます!身体に優しいお薬で、副作用の心配はございません。今回はなんと30分以内に申し込まれた方には半額でご提供!」

カシューナッツ、という単語に引き付けられてしまう。通販番組をこんなに真剣に観るのは初めてだ。迷った末に、私はスマホに電話番号を入力していた。



やっと昼休憩になり、小さな弁当箱と水筒、スレンダー・ナッツの箱を机に広げた。弁当箱の蓋を開けようとした時、同僚の橋本さんが休憩室に入ってきた。

「あ、柴崎さんお疲れ~」

「お疲れさまです」

「おっ、可愛いお弁当箱ねぇ。でもお昼それだけで足りる?」

「ああ、今ダイエット中なので。それにこの薬のおかげでそれほど空腹感は無いんですよ」

「薬?」

「これ痩せ薬なんです。通販で買っちゃいました。ははは」

「ちょっと見せて。へぇ~カシューナッツの成分かぁ。副作用無しで1日1錠か……私も買おうかな」

「橋本さんには必要無いんじゃないですか?スリムだし」

「柴崎さんのほうが痩せてるよ~ほら、私なんて下っ腹がこんなに立派なんだよ。ダイエットしても引っ込まなくて困ってるんだ」

橋本さんは私より痩せているのに、本当に悩んでいるようだった。微妙な気持ちのまま茹でブロッコリーを口に運ぶ。

「ストレスでやけ食いしちゃうんだよね~ほら、最近さ、例の変な事件、小指の先の骨だけ無くなる事件が続いてるじゃない?そのせいで浜田主任がピリピリしててさ、少しのミスでもすごい叱られるの。勘弁してほしいよ本当」

ブロッコリーをまた口に入れて噛む。今、職場で箝口令かんこうれいが敷かれている事件だ。火葬場が骨の一部を紛失したなんて、外部に漏れたら大変なことになるだろう。

誰かが盗んでいるのだろうか。なぜ小指の先の骨だけなのだろう。ずっと気になって仕方ない。

「柴崎さん?おーい。大丈夫?」

「あっ、すみません。またぼーっとしてました?」

「うん。なんかぼんやりしてることが増えたよね。寝不足?」

「そうかもしれません。なんか寝付き悪くて」

「ちゃんと寝たほうがいいよ。あっ、そろそろ戻らないと。食事中にこんな話してごめん。それじゃ後でね」

「はい。また後で」



ベランダに出て、白いカプセルを掲げてみる。綺麗な三日月とカプセルが重なった。飲み始めて3ヶ月。順調に痩せてはいるが、どんどん寝付きが悪くなる。職場でぼーっとしてしまうことも増えた。ごく短時間ではあるものの、記憶が怪しい時もある。もう止め時だろうか。

そう思った瞬間、無性に何か食べたくなった。カプセルがカシューナッツに見える。そう思ったら我慢できなくなった。部屋に戻り、戸棚や冷蔵庫の中をあさる。どうしてもカシューナッツが食べたい。

戸棚の奥に見覚えのないガラス瓶があった。カシューナッツがみっしりと詰まっている。すぐにガラス瓶を抱えこんで蓋を開けた。1粒食べる。美味しい。2粒。3粒……途中から掴み取ったカシューナッツを一気に口に入れていた。

空になったガラス瓶を眺めて満足していると、急に胃が痛くなった。刺すような痛みに冷や汗が吹き出してくる。なんとかスマホを手に取り119番を押す。オペレーターの人の声に安心した所で、気が遠くなった。



腹部のじくじくとした痛みで目が覚めた。白い服を着た人が私の顔を覗き込んできて、思わず悲鳴を上げたけれど、ほとんど声にならない。

「気がつきましたか。柴崎さん、ここは病院です。ご自身で救急車を呼ばれましたね?覚えてます?」

「……あ……はい」

そうだった。確かカシューナッツを食べていて、急にお腹が痛くなって……。

「腹部が異常に膨れていたので、緊急の開腹手術をして胃の中の異物を除去しました。あなたは重度の異食症です。それで、異物に問題があったので警察に連絡しました」

医師の言葉に耳を疑った。

「ど、どういうことですか?!私はカシューナッツを食べていただけです!カシューナッツを食べ過ぎただけで、なんでそんなことに……」

医師は私の顔をじっと見た。

「……カシューナッツ、ですか。よく聞いてください。あなたの胃に詰まっていたのは、小指の先の骨です」

衝撃で目を見開いた。震える手で口を押さえる。カーテンの隙間から白い三日月がこちらを見ていた。



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