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タイタンから煎餅あめあられ
薄くスライスされた長方形の餅は、絵柄が描かれていないトランプのようだ。これが焼かれて、ぷくっと膨らんで、美味しい煎餅になる。金網の台の上に並べていく。等間隔に、美しく。
「また綺麗に並べてくれるねぃ。いいんだよぉ、そんなにきっちりやらなくても」
餅の乾燥用の部屋に入って来た店主の健三さんは、餅が入ったトレイを何段も重ねて持ってきた。
「ああ、駄目ですよ。私が運びますから。今朝、腰が痛いっておっしゃってたじゃないですか。重いもの持ったら、いけません」
「このくらい、だぁいじょうぶだよぉ。軽い腰痛だ。湿布貼ったら良くなった。動いてたほうが楽だしなぁ」
「駄目です。健三さん、もう数カ月後には77歳なんですから。身体を大事にしなくちゃ。喜寿のお祝いの席でまた商店街の皆とどんちゃん騒ぎ、したいでしょ?」
「ははは!そうだなぁ!そう言われちゃあ仕方ない。大人しくするよぉ。もう喜寿なんて信じられんなぁ」
口笛を吹きながら帰っていく健三さんは、凄腕の煎餅職人だ。若い頃に奥さんと一緒に煎餅屋さんを始めた。しかし開店して数年後に奥さんが亡くなり、それ以降ずっと1人で煎餅屋さんを続けてきたらしい。
煎餅作りは手順が多い上に重労働だ。うるち米を石臼で粉にして、その粉を熱湯で練り上げる。出来上がった生地を蒸かして、また念入りに練って。生地を伸ばして四角くカットして、乾燥させて、じっくり焼いてタレを付けて、また乾燥させて、やっとこさ出来上がり。
体力を使う仕事は私に任せてほしいと散々主張しているが、健三さんは何でも自分でやってしまう。ゆっくり丁寧に仕事を教えてくれるから、信頼されていないわけではないと、思う。無意識の行動なのだろう。きっともう一連の作業が頭の中にプログラムされているのだ。
「うぅ、うぅ、俺は嬉しいんだぁ。子どもがいない俺に跡取りができるなんて、店を畳まなくて済むなんて、思ってもみなかったから」
ビール1杯で泣き上戸になる健三さんは、今日も晩酌中に定番のフレーズを言って泣き出した。私は紫色の液体が入ったコップから口を離した。
「跡取り候補といっても、まだ見習いです。まだまだ健三さんに教えてもらわなくちゃいけないことがあります。今後とも、よろしくお願いしますよ」
頷きながら、健三さんはさらに涙を流す。涙を流すとは一体どんな感じなのだろう。コップから紫色の液体燃料を一口、飲んだ。
失われていく技術を継承するため、そして、用途の無くなった調査用AIロボットの再利用のための、跡取り派遣プロジェクト。それが出会いのきっかけだ。健三さんの煎餅屋さんの跡取りとして、国から派遣されたロボットが私だった。
最初は、本当に戸惑った。スリルのある衛星調査を楽しんでいたから、がっかりもして。私は土星の衛星「タイタン」の調査のために作られたから、煎餅という食べ物が何か知らなかった。そもそも人の生活というものが理解できていなかった。
私が知っていたことと言えば、土星の衛星「タイタン」でも地球と同じように雨が降るということくらい。メタンの雨が降るタイタンには、メタンとエタンの海があり、炭化水素と氷の大地がある。川だって、湖だってあった。煎餅屋さんもあれば良かったのに。
「こんな良い跡取りができるなんて。ああ、嬉しいなぁ。昨日の夢に、新婚旅行で行った神津島と由紀子がでてきてなぁ。海鮮丼食べてる由紀子に、跡取りができたぞって言ったら、箸放り出して喜んでくれたんだよぉ」
煎餅を焼く技術だけでなく、人生も教えてくれる健三さんは泣きながら笑っている。いつか私も、健三さんのような優しい煎餅職人になれるだろうか。
「ふふふ、由紀子さん、ロボットの跡取りなんて驚いたでしょうねぇ。そうだ、私が調査してたタイタンにも島があったんですよ。不規則に海から出たり消えたりするもんで、魔法の島とか呼ばれてました」
「へぇ~魔法の島かぁ~。すごいなぁ。なんか、夢の中の話みたいだなぁ。俺も一度でいいから宇宙に行ってみたいよ」
「うふふ、宇宙旅行、いつか一緒に行きたいですね。実現するまで元気でいてくださいよ」
「おおう!任せてくれ!お前との宇宙旅行が待ってるなら、何だって出来る気がするぞぉ!」
ガッツポーズをした健三さんが、勢いよくコップにビールを注ぐ。一気飲みしようとした寸前で、止めた。人の日常も意外とスリリングだ。
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