明星包むロールキャベツの三幕
一枚目
ロールキャベツが、目の前でほどけていく。キャベツがするするとフォークに巻き取られて、スープの中で畳まれる。一枚一枚丁寧に包んだ私にとっては、複雑な心境になる光景だ。
私の視線に気付いた君は、気まずそうにフォークをお皿の縁に置いて、私の顔を見た。
「ごめん。つい、剥がしたくなっちゃって。包まれてるものってさ、剥がしたくならない?」
「いいよ。別に」
私は自分のロールキャベツの端をナイフで切り、口に運んだ。美味しい。君にリクエストされた、一般的なコンソメ風味のロールキャベツだ。
「……怒ってる?」
「怒ってない。相変わらず食べ方が独特だなーって見てただけ」
二枚目
君は2枚目のキャベツに取りかかった。大きなキャベツの葉が、破れないまま引っ張りだされていく。君は器用だ。不器用で大雑把な私がやったら、すぐ破けてしまうだろう。
「金星で漂ってた時から、地球のロールキャベツに憧れてたんだ僕。地球最後のランチに大好きなロールキャベツ食べられるなんて、最高。しかも、なっちゃんお手製の。本当に嬉しい」
フォークを動かす音が、沈黙の中を泳ぐ。
「…………今日、本当に帰っちゃうの?」
「そうだよ。今日の午後五時か六時に。宵の明星の頃だね。もう地球には戻れない」
近くの公園に行くような調子で、悲しいことを言う。でも君は、小さい頃から宣言していた。僕は本当は金星人だから、いつか金星に帰らないといけない、と。周囲の人は冗談だと思っていた。もちろん私も。まさか、本当だとは。
子供の時から付かず離れず、親友として理想的な関係を続けてきたのに。君はどうしても、金星に帰らなけらばならないと言う。
三ヶ月前、突然私の家に来た君は、とうとう金星に帰るから、それまで一緒にいて欲しいと言ってきた。
最初は、またいつもの冗談を言っていると思っていたが、一週間前に眠っている君が空中に浮いているのを目撃し、三日前から君の肌が内側から光り始めて、現実の話なのだと悟った。
ぼんやり発光している君の手が、フォークをまた置いた。二枚目を剥がし終わったらしい。
満足そうな顔だ。君はいつも通り、のんきに地球最後の三ヶ月間を過ごした。私ばかりが動揺しているようで、少し腹立たしい。
三枚目
「地球には、本当にもう帰って来れないの?少しも?ちょっと忘れ物したーとか言って、帰って来れない?」
「来れない。金星人が地球に来れるのは、一回だけって決まってるから」
楽しそうな君は、最後のキャベツ剥がしを開始した。私の気分は暗くなっていく。ロールキャベツのスープだけ残っている鍋の底に、落ちていく気分だ。
「……そんな重大なこと、なんで急に……」
「ずっと予告してたじゃない。それに、重大なことほど、急に決まっちゃうものだよ」
「……おじさんとおばさんには、ちゃんと話したの?」
「父さんと母さんにも、何度も話したよ。でも、信じてくれなかった。長い置き手紙に事情はしっかり書いておいたから、大丈夫だと思う。あ、もし警察に何か聞かれたら、何も知らないって言ってね。……父さんと母さんは、赤ん坊の頃に地球に落ちた僕を、拾って大事に育ててくれた。感謝してる、愛してるって、何度も手紙に書いたよ」
君はついに、最後のキャベツを剥がした。
「なっちゃんも、僕を愛してくれてるでしょ」
丁寧に畳まれていくキャベツと、丸裸にされた挽き肉の塊を眺めていたら、とんでもない言葉が聞こえてきて絶句した。君は皿を凝視したまま。
「金星のことを初めて話した時から、僕をずっと愛してくれてたでしょう。それが、地球に来て一番、嬉しかったことなんだ。だから、最後は、なっちゃんの傍にいたくて」
顔が熱くなってくる。きっと今、顔が真っ赤だ。どうかそのまま、分解されたロールキャベツを見ていて。顔を見られたくない。猛烈に、恥ずかしい。ああ、きっと顔がどんどん赤くなっている。
「せっかく友情で包み隠してくれていたのに、剥がしちゃってごめん。何かで隠されている気持ちも、つい剥がしたくなるんだ。でも、これから本当にもう会えなくなるから、許して」
キャベツを畳み終えた君と、とうとう目が合ってしまった。静かに笑っている。今だ。今、言わなければ。もう、会えなくなるのだから。言おう。言ってしまおう。
「……宵の明星と、明けの明星。毎日、両方ちゃんと、確認するから。そっちも忘れないでよ。これからだって、愛して、るんだからね」
ついに言ってしまった。顔が燃えるように熱い。やっぱり、恥ずかしい。しかし、達成感もある。愛していると、言えた。やっと。
「僕も、夕方と朝に地球を見るよ。地球にいる、なっちゃんを見る。愛してますって、必ず挨拶するよ。これからずっとね」
言い切った途端に、驚くほど真っ赤な顔になって俯いた君に、吹き出してしまった。