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五つ子のお囃子

見事な切子細工のおちょこに引かれて、近所の骨董品店に初めて入った。おちょこを手に取り、斜め下からじっと見る。光が七色に分かれて揺れていた。

「プリズムみたい……」

「おっ、気が合うね。俺も昔そう思ったよ」

独り言に言葉が返ってきて驚く。隣に店主らしきお爺さんがいた。人懐っこそうな笑顔は、実家の愛犬、柴犬のココとそっくりだ。

「あ、勝手に触ってすみません。素敵だったもので。私つい最近、この町に嫁いできたんです。それまでは宇宙物理とか銀河とか、研究してまして。お守りとして、三角錐のプリズム、机に置いてたなぁって懐かしくなりました」

「ああ、もしかして、松永さん家の次男坊のお嫁さんかい?」

「はい。松永夏芽なつめです。ご挨拶が遅れましてすみません」

「やっぱり!松永さんとこのお母さんが嬉しそうに話してたよ。やっと可愛い娘ができたって。本当に頭脳明晰で別嬪なお嫁さんだ。次男坊も隅に置けないなぁ」

「そんなことないですよ。はは……本当、失敗ばかりで。きっと、お義母さんに呆れられてます」

「最初は誰でも失敗するさ。まだ慣れなくて困ることもあるだろう。何かあったら気軽においで。あ!お祝い渡してなかったなぁ」

「お気になさらず。お気持ちだけで十分ですよ」

「うーん、でもなぁ……あっ!じゃあこの切子のおちょこ、貰ってくれないかい?」

「えっ、とても嬉しいですが……高価なものなのでは?」

「いーのいーの。お祝いなんだから。このおちょこは、きっとずっと夏芽さんのそばにいてくれるよ」



”五人囃子の笛太鼓、今日は楽しい雛祭り……”

近所の子供たちの歌声が、外から聞こえてくる。雛壇に五人囃子を飾った所で電話があり、お義母さんは対応中だ。私は休憩中。娘と一緒に雛壇を飾るのが夢だったのだと言われたので、勝手に作業を進められない。

まだ五人囃子しかいない雛壇に、ぼんやりと日が当たる。眺めていたら、あの切子のおちょこを思い出した。なんとなく抜き足差し足で、自分と夫の部屋からおちょこを持ってくる。

正座して、手のひらに乗せたおちょこ越しに五人囃子を見つめた。虹の粒子が雛壇で舞っている。

寂しい。涙が出てきた。なぜだろう。お義母さんもお義父さんも、夫も他の親戚もご近所さんも、優しく気遣ってくれているのに。

今はもう遠く離れてしまったもの全てが恋しい。研究仲間、友人たち、よく通った橋、引っ越しで捨ててしまった家具。故郷に帰りたいわけじゃない。もう帰れない過去と再会したい。少しだけでいい。ほんの少しだけ。

はっと、腕を下ろす。五人囃子が動いた気がする。立ち上がった時、ぐらりと雛壇が倒れてきた。



暗くて静かな場所だ。私は寝転んだまま、動けないでいた。じっとしていると、遠くから光の玉が近づいてきた。お迎え、極楽浄土というワードが脳裏に浮かぶ。

丸い光は五個、横に並んでいる。仏様が五人なんて、豪華だなぁと思っていると、光の玉は左から順に着物姿の人形に変化した。太鼓、大鼓おおづつみ小鼓こづつみ、笛、うたい。あの雛壇にいた、五人囃子だった。

お囃子の演奏が始まる。人形たちは生きているかのように、小気味いい音楽を奏で、歌っていた。身体の自由が戻ってくる。演奏が終わる頃には、座って拍手ができた。

「ありがとう。聴いてたら身体が楽になったよ」

「こちらこそ、お呼びいただけて光栄です。久々に地球で演奏できました」

五人囃子は一斉に喋り、頭を下げた。

「へ?呼んだ?私が、君たちを呼んだの?地球に?」

「ええ、私たちはステファンの五つ子銀河。あなたは私たちを観測していたでしょう?その時、私たちもあなたを見つめていたのです。最近は全然観測してくれないなぁなんて思ってたら、あなたの呼び声を乗せた光が届いたのです。それで馳せ参じました」

ステファンの五つ子銀河。ペガサス座近くにある、銀河の集合体。ああ、懐かしい。最後に観測した銀河だ。

「遠い所から来てくれたんだね。ありがとう。でも、なんで五人囃子?」

「私たちは演奏が得意なので、あなたの記憶にある五人囃子の姿を借りました。元々私たちは皆、迷い子だったのです。広大な宇宙で偶然に出会い、家族になった。しかし、大質量の銀河同士が、お互いを傷つけずに寄り添うことは難しい。だから、音を使ったのです。それぞれ出せる音を、溶け合わせる。そうすれば、離れ離れにはならないだろうと、ペガサス座の近くにいた人間が教えてくれたのです」

五つ子のお囃子の演奏が、また始まった。

「その人は、ずっと地球に帰りたいと言っていた。あなたのように。でも叶わなかった。だから、私たちはペガサス座の近くで音楽を奏で続けているのです。あの人も寂しくないように」

また身体が動かなくなってきた。でも不快ではない。眠りに落ちるような心地だ。

「もう大丈夫ですね。さぁ、お互い戻りましょうか。また寂しくなったら、あのカラフルな光で呼んでください」



「あぁ、目が覚めて良かった!お医者さんは大丈夫って言ってくれたけど、全然起きないから不安で……雛壇の下敷きになって倒れてたのよ。大丈夫?身体、辛くない?」

「お義母さん……」

涙目のお義母さんに右手を伸ばそうとして、何かを握っていることに気付いた。あの切子のおちょこだった。

「お義母さん。雛壇に、これ飾ってもいいですか?」

「まぁ、素敵な切子。そうね、目立つように、五人囃子の真ん中に飾りましょうか」

ふふ、と二人で笑った。



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水月suigetu
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