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色鉛筆と猫じゃらしの狼様

いつものお供え。3本の猫じゃらしを、鼻先で突く。温かい匂いがする。その匂いが体中を巡って、ぼんやりしていた意識がはっきりしてきた。

私の祠のそばでしゃがみ込み、スケッチブックをめくって絵を描き始めた子供。毎日、午後になると色鉛筆とスケッチブックだけ持ってやってくる。1人で飽きもせず絵を描き続け、完成すると私に誇らしげに見せるのだ。

「セイタカアワダチソウとかいう花、描いていたんじゃないのか」

「うん、あれは、家で仕上げたから。後で見せるね。今日はね、僕ね。お犬様の絵を描こうと思って」

人間には「お犬様」と呼ばれるが、私は狼だ。山を守る、狼の神。かつて、人間は毎日のように小豆飯を供えてくれていたものだが、もう随分長い間、そんなお供えは見ていない。

人間の信仰心から生まれた私は、供えられたものに宿るエネルギーで生き永らえている。今の私の神としての命を繋いでいるのは、この子供がいつも供えてくれる猫じゃらし。

狼と猫を区別できているのか怪しい子供は、私が猫じゃらし好きだと思い込んでいる。

「あ、待て。耳は、そんなに大きくないぞ。私は狼だから、もっと小さい」

「そうなの?……こんくらい?」

「うん、そうだな」

猫のような大きな耳を描き始めた子供を、焦って止める。日中は、もう微かな声だけの存在になった私に、気付いているのはこの子供だけ。在りし日の姿を想像してくれるのも、この子供だけだろう。少し、くすぐったい気がする。



「今日はね、特別なお供え」

うつらうつらとしていたが、懐かしい声で目が冴えた。見覚えのある顔の男。あの、子供だ。背が2倍ほどになっている。

「長い間、来れなくてごめん。都会の大学に行くんだ俺。しばらくまた、来れない。だから、これ」

子供が、ずっと使っていた色鉛筆。そして、真新しいスケッチブックが祠の前に丁寧に置かれる。傍に、小豆飯のおにぎりも1つ。

「お犬様、子供の頃の俺を守ってくれててありがとう。また、帰ってくるよ。だから、その時に、お犬様の絵を見せてくれないか?俺ばかり絵を描いていたから、お犬様はどんな絵を描くんだろうって、気になってたんだ。……じゃあね、また」

立ち上がった子供、青年に呼びかけるが、もう私の声は聞こえないようだ。遠ざかる足音を聞きながら、目の前のお供え物を見つめる。


実体化できる夕方と真夜中に、色鉛筆を咥え、紙に線を引くのが日課になった。上手く描けない。何度も試した。何とか、絵らしきものが描けるようになったが、スケッチブックはあっという間に朽ちて、枯葉のようになってしまっていた。




最近、とても静かになった。山の麓から人の活動する音がしない。気になって、残った力を振り絞り、祠を飛び出してみた。あの色鉛筆を咥えて。

空から眺めれば、人の住んでいた場所は一面の緑の荒野に変貌していた。人が造った全ての建物が植物に覆われている。嫌な予感がして、あの子供のいる場所、遠い「都会」に急いだ。



呆然としながら、ほとんどが雑草に破壊されているコンクリートの道路に降り立つ。歩けども歩けども、人の気配は無い。夕日が、虚しく生き生きとした植物たちを照らしていた。


随分、歩いた。いくら狼の神様といっても、疲れるものは疲れる。身体を真横に倒した体勢で休んでいると、強い風で飛んできた何かが、顔に張り付いた。

顔を振って、それを前足で押さえる。大きく全品10%オフ!と書いてある紙。裏面は、真っ白。傍に置いておいた色鉛筆の蓋を鼻先でこじ開けて、緑色の色鉛筆を咥える。

一心不乱に、絵を描いた。あの青年になった子供を思い出しながら。早く、早く描き上げなくては。顎の力が抜けて、描けなくなってしまう前に。私はもう、長くない。



”突然、自分以外の人間がいなくなってしまった街を探索し続けて、もう250日目だ。この日誌を書くのも止めようかと思っていたが、S地区を探索した今日は、素晴らしい収穫があった。

驚いたことに、S地区の道路の上には、1本の猫じゃらしの絵が描いてある紙が1枚、置いてあった。まだ新しい。色鉛筆が散乱していたから、誰かがその場で描いていたことは確かだ。

まだ、生存者がいるかもしれない。大きな希望だ。また明日も、探そうと思う。自分以外の生存者を”


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