フリー・プラネットの船旅
「皆、落ち着いて聞いて。今、モリーが、モリーが……」
宇宙観測用の衛星を操作するコントロールルームに、同僚のカーラが血相を変えて飛び込んできた。ウェーブがかかっている自慢の黒髪が、ボサボサだ。
カーラの尋常でない様子と、モリーの名前が挙がったことに、部屋中の職員が息を飲み、カーラを見つめた。
モリーは、この宇宙観測センターに長く棲みついている野良猫だ。人懐っこい長毛種の黒猫モリーは、職員全員にとって、宇宙と同じくらい大切な存在なのだ。
「人の言葉、喋ってたの……ボスに報告するスパイ、みたいに」
カーラの震える声に、緊迫した空気が一気に緩んだ。私も、止めていた息を思う存分吐きだす。ああ良かった。病気とか事故とかじゃなくて、本当に良かった。わなわなと身を震わせるカーラに近づき、声をかける。
「カーラ、皆疲れてる。疲れ切った同僚を悪戯に動揺させるのは、よろしくないよ」
「冗談じゃないんだってば!休憩スペースの隅っこで、モリーがぶつぶつ、何か話してたの!地球人がどうとか、自由浮遊惑星が宇宙船だとか、文明がどうだとか……人類を探ってる宇宙人のスパイみたいだった……怖くなって、逃げてきたの。本当なんだって!」
「カーラ、きっと君も、相当疲れてるんだ。分かるよ。最近は連日、予想外の動きをする自由浮遊惑星の観測で、働きづめだもんな。うん、カーラ、今日は早退するといい。それで、明日は丸一日、しっかり休むんだ。いいね?チーフには私から言っておくから」
「だから!本当なの!幻聴じゃない!……たぶん」
自信がなくなってきたらしいカーラの肩を叩く。まともに家に帰れない日々が続くと、必ず1人か2人は限界を超え、奇天烈なことを言いだす。もう慣れっこだ。
前方の巨大なスクリーンに映し出されている星を、じっと見る。膨大な仕事量の原因になっている自由浮遊惑星だ。
惑星は恒星の持つ重力に引きつけられ、その恒星を周回するはず。しかし、この惑星は、どの恒星にも捕われず、自由に宇宙を移動している。名前の通り、自由に宇宙を浮遊する惑星なのだ。
「私も君みたいに、自由になりたいなぁ」
誰にも聞こえないように、ぼやいた。
雑音の中から、地球に潜入調査している隊員の声が聞こえてきた。
「ボス、ボス、聞こえますか?どうやら、地球人は我々の宇宙船を、自由浮遊惑星と称しているようです」
「聞こえるよ。定期報告、ありがとう。ということは、地球人は私たちの存在には気付いていないのだね?」
「そのようです。恒星の重力に捕らわれず、無軌道にふらふらと宇宙をさまよっている惑星、という認識のようで。まさか、惑星にカモフラージュした、異星人の宇宙探査艦とは思いもしないのでしょう」
「ふむ。しかし、もう我々の宇宙船をはっきり視認しているとは。まだそれほど、高度な文明ではないはずなのに。地球人は末恐ろしいな」
スピーカーから、「ご飯だよ~モリーちゃ~ん、出ておいでー」という地球人の声が微かに聞こえてきた。
「すみませんボス、もうディナーの時間のようで。猫のモリーに戻らなくちゃ。潜入調査に戻りますね。では、ボス、次の報告まで、お元気で」
「ああ、くれぐれも気を付けて。お疲れさま」
通話が終わると、体内に内蔵されているスピーカーやマイクの機能が自動的にオフになった。
液体金属製の身体を上下に伸ばす。窓に映った自分は、銀色のスライムのようだった。
「さて、今日の目標地点まで、船を動かそうか。スタート」
ドーム状の広大な部屋の壁の内側には、無数の歯車が設置してある。唯一の船員であり、艦長である私の指示で、銀色の歯車が一斉にガタガタと音を立てて回り始めた。
ふわふわと浮き上がり、天上窓に近づく。宇宙の果てにある青白い点に注目する。
「ズーム、ズーム、ズーム、……あっ、ちょっと戻る」
身体に備え付けられているズーム機能で、私は肉眼で遠くの星も観測できる。青白い点は地球になった。今まさに、あの地球にいる人間たちと、目が合っているのかもしれない。
「早く、気付いてくれ。そして、一緒に宇宙を浮遊して、宇宙の138億光年の歴史を解き明かそうじゃないか」
地球人は恐ろしいが、その探求心の強さや進化スピードには感心させられる。共に宇宙を調査できたら、きっと楽しいだろう。
いつか、この船に地球人を招待できたら。そんな未来を、私は密かに待ち望んでいる。
このお話と少しリンクしているコラボ短編小説
「プラネット・ユニオン」