怪盗コレクターは快刀乱層雲を断つ
寒くて、トートバッグの持ち手を握っている右手と、傘の柄を握っている左手がかじかんでいる。昨日のニュースでは、午前中は晴れると言っていたのにと、むしゃくしゃしてレインブーツの先の小石を蹴飛ばした。
新しい黄色の傘の柄を滑り落としそうになりながら、公園の人気のない場所にある、あの子のお墓を目指して歩く。
目印は、並んで植わっている二本の大きな梅の木。あった。
地面は枯葉で覆われていて、お墓の場所はすっかり分からなくなっていた。去年の冬、あの可愛い小鳥、十姉妹のコマちゃんを埋葬した時のことを必死に思い出す。
数十分探してみたけれど、結局お墓の正確な場所は分からなかった。おそらくコマちゃんが眠っているであろう場所で、お墓参りすることにする。
トートバッグから、小さいブーケを取り出す。野花を摘んで作ったブーケだ。コマちゃんが大好きだった、小松菜も一緒に束ねている。
枯葉をできる限りどかして、ブーケを置いて、両手を合わせた。
クラスの皆で飼っていたコマちゃんは、人気者だった。お葬式は賑やかで、来年も絶対お墓参りに来ようと、ここでたくさんの友達と約束した。
そして、埋葬の日からきっかり1年後の今日。約束した子たちを誘ってはみたけれど、待ち合わせ場所には誰も来なかった。あの子たちは悪くない。中学受験の準備で忙しいのだ。でも、寂しい。
ボタボタと雨粒が傘に落ちる音が、祈りを邪魔する。コマちゃんは晴れた日には必ず、パタパタと羽根を動かして喜んだ。だからせめて、今日は晴れて欲しかったのに。
それに私がこのお墓を離れたら、ブーケはすぐに雨に打たれて、台無しになるだろう。せっかく、作ったのに。
「厄介なもので、お困りですか」
横から聞こえた低い男の人の声に、驚いて尻もちをつきそうになった。恐る恐る、傘を上げて横にいる男の人を見上げる。
マジシャンのような帽子を被って、片方だけの変なメガネを付けているスーツ姿の男の人。傘をさしていないけれど、なぜかちっとも濡れていない。知らない人だ。話していいのか、迷う。
「私は、ヒトの厄介なものを盗み消し、その報酬としてヒトの所有物を貰い集めている怪盗コレクターです。趣味でして。人間ではありませんし、怪しい者かどうかと言われると怪しい者かもしれませんが、どうぞお見知りおきを」
片膝をついた男の人は、ゆっくり頭を下げた。良い人なのか悪い人なのか、分からなくて混乱する。
「驚かせてごめんなさいね。あなたの一生懸命祈っている姿が気になって。あなたの厄介事の解決に協力できればと思いまして。普段はヒトの視界を盗み消して姿を隠しているのですが、今だけ、あなたの視界だけ消さないようにしています。これは、ペットのお墓なのですか?」
私と目線を合わせたまま、ゆっくり話してくれる男の人の目は、コマちゃんと同じくらい透き通っていた。固く閉ざしていたはずの口が、自然と開く。
「……コマちゃんのお墓。クラスの皆で飼ってた十姉妹の小鳥。私が忘れたら、もう本当に、この世からいなくなっちゃう」
自分で言って、辛くなってきた。泣きたくないのに、涙声になってしまう。ああ、ボタボタと傘を打つ雨がうるさい。
「……それは、悲しいですね。なるほど。では、その厄介な悲しみの記憶を、盗み消しましょうか?いつもは報酬として、等価のものを頂いております。厄介な記憶を盗み消すのならば、他の記憶を頂くという風に。しかし、今回は特別サービスです。報酬は、何でもいいですよ」
慌てて、首を横に振る。
「悲しいのが消えたら、私もきっと、すぐコマちゃんを忘れちゃう気がする。悲しいのが、厄介ってわけじゃないし」
「そうですか……やはり、ヒトの心は複雑怪奇。ますます心というものに興味が湧きました」
二人でしばらく黙り込み、傘に当たる雨音だけが響く時間が流れた。湿気でへたったブーケを見て、立ち上がった。重苦しい雨雲を睨みつける。
「ねぇ、あの雨雲は消せる?今日は、晴れててほしかったの。コマちゃん、晴れの日が好きだったから」
男の人も、ゆっくり立ち上がった。
「ええ、お安い御用です。では報酬は、どうしましょうか」
あ、と言葉に詰まる。何も考えていなかった。どうしよう。命を取るなんて言われたら。男の人は、焦る私を見て微笑んだ。
「ふふ、そんなに焦らなくても。何でもいいと申し上げたでしょう。じゃあ、その傘を頂きます。晴れれば、傘は不要になりましょう。では、怪盗コレクターの盗みと消失の妙技をご覧あれ」
一瞬で、男の人と雨雲が消えた。突然現れた快晴の空で、目がくらむ。両目を閉じて、下を向いた。傘を落としてしまった。下を向いたまま、ゆっくり両目を開ける。地面に転がっているはずの傘がどこにもない。
呆然と、青一色に塗り替えられた空を見上げた。空を飛び回っているコマちゃんを想像しながら空を眺めていると、遠くのほうに小さく、私の黄色の傘が見えた。