心の姿勢維持ができない状態
今回は、忘れないうちに書きたいと思って、一日に二つの記事を書きます。
「心の働き」のことです。
でも、専門家の監修があるわけではなく、私の感じた内容なので、ご了承ください。
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私は線維筋痛症という病気を患っているのですが、精神症状にも、とても悩まされています。
主軸になるのは、不眠、そして、気持ちの落ち込み、それから、注意障害のような症状(乗り換え駅は記憶しているのに、乗り換えができなくなるなど)、そして、うまく表現できなかったのが「心の姿勢維持ができないような感じ」でした。
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「心の姿勢維持ができないような感じ」
というのは、非常に怖い感じでした。
一番古い記憶、線維筋痛症が酷くなっていっている時期の頃なのですが、じっとしているのに「心の背骨」が起こせなかったり、バラバラになりそうな感じ。
ベッドで横になっていても、ずぶずぶ、体なのか心なのかが、水の中に沈んでいって二度と浮かび上がれなくなるのではないかという感じ。
内側から壊れていく感じで、とても恐ろしくて、不眠で悩んでいるのにもかかわらず、眠ると最後の正気も失われそうで怖い感じ。
睡眠薬とか、筋肉も含めた緊張を和らげる薬たくさん出されると、姿勢維持してる「心の背骨」の力やまとまりも、壊れそうな感じがしていました。
実際、非常に強い痛みと精神症状で生活に支障を来たしていたので、意識をさらに朦朧とされてしまうと、生活ができませんでした。
それで、コミュニケーション能力が低下しているのに、薬を減らす交渉をして、別のリハビリを始めたのですが、それも長くなるし、以前書いたことと重なる所とも多いので、これは、割愛します。
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対処として合っていたのかどうか、わからないですし、以前、少し書いた方法でもあるのですが、自分のどうしようもない気持ちを、外に出す必要があるように感じていました。
でも、頭が回らなくなった挙句、内側に溜まっている苦しい気持ちを外に出す表現もできなくなっていくと、これは危ないと、私の場合は感じました。
痛みで体を使いずらい状況だと、体を動かして気晴らしということができない上、言葉で表現できないとか、伝えられないと、暴力とか破壊行為とか、表現の手段が、そういう方向に行きそうな感じがしました。
(といっても、体が動かせないので、言葉で表現できないなら、溢れた苦痛が溢れる……正気を失ってわけのわからない形で叫ぶとか怒鳴り散らすとか、そういう方向になるのだと思うのですが)
だから、ICレコーダーを使いました。体が悪いとノートにも書けないし、手が使えるときも、書ききれなかった。
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ただ、心の背骨が起こせない、姿勢維持ができないくらいのときは、言葉を紡ぐそばから、自分の思った言葉の内容が溶けて落ちていくので、話しがまとめられない。
声というのは、消えていく内容なので、ある程度、話した内容が溶けていかないよう、脈絡を押さえる力がないと、覚えて組み立てられない。
(仰々しいことを書いてますが、健康な人にとっては、無茶苦茶簡単なことで、これを自然にやっているはずです。改めて分解して考えることなんかないので、ややこしくなってしまいますが)
自分の外に気持ちを出すのにも、「背骨や軸」を意識的に作らないと、自分の場合は、ダメみたいだと思って、
「▲▲▲▲年〇月×日 凸凹時 ~~について話します」
と、テーマを決めて、吹き込んでいる冒頭で、それを言って、忘れないように気合をいれ、そのテーマにちゃんとぶら下がるような内容を思い出して、そこにぶら下げていきながら話す感じ。余力があれば、ぶら下げるだけでなく、もうちょっと、それぞれの話に関連が出るように話す。
それで、延々、ICレコーダーに気持ちを吹き込む。
それは、爆発しそうな自分のバランスを取る意味でもあったし、声も出しにくくなってきていたので(大きな声が出せなくて、人から声が聞こえないと言われるようになっていた)、リハビリにもなっていたんだと思います。
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話が飛ぶかもしれないのですが、「心の姿勢の維持」というのは、「心を動かさないで止めること」だと思います。固定できなくちゃいけないのに、「心がどんどん滑って動いてしまう感じ」は本当に怖い。
立っていられない、座っていられない。
それが、安静にしていても、それが続く感じ。
そう、寝ていても「意識の維持」ができない。
心の姿勢維持は、何かの作業に集中するために必要なだけでなく、安静にしているときに、心が動かないように維持するためにも、たぶん、必要な力なんです。
体の感覚として、今朝、それがわかりました。
激痛やこわばり、疲労があるときは、敢えて、そこに意識を向けて、それを感じるようにしています。
そうすると、少しリラックスが得られることがあります。
(マインドフルネスという方法の応用なのですが、複雑になるので割愛)
そういうふうに「注意の障害」と「酷い不眠」が繋がっているのではないか。
今朝、なんとなく、それを感じたのです。
安静にしているときに「心を止める感覚」というか「心が止まる感覚」がわからなくなっていた、忘れていたんだろう。そんなことを思いました。
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凄くわかりにくい内容かと思います。
でも、この感じを忘れないうちに、言葉で、残したかったのです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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