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歩くこと・感情の解像度を上げること
こんにちは。長尾早苗です。
午後にウォーキングをして自分の考えを整理し、午前中に書く生活を続けて一か月になりました。
わたしのウォーキングコースは閑静な住宅地のあたりなので、SNSには日常として挙げられる写真はほぼなく……ウォーキングでは一回につきPodcastを1エピソード聞く習慣をつけています。
モノづくりをするとき、たいていわたしの頭の中では短い映像として表現したいモチーフがたまっていく感覚があります。それらの映像と映像の間にはあまり相関がなく、ただそのきれぎれがつながっていくと映画のようになったり。
短い映像としてあらわれるモチーフは、単発的に詩にしてSNSで発表したり、〆切仕事の原稿にしたりします。
どうしてこんなモチーフがあらわれるんだろう? と思うことも多々あるのですが、昔見た気がする舞台や映画などの創作物が「詩として体の中にたまった」状態なのかなと思います。
モチーフのきれぎれがたまって作品を作り、冊子にできるまで連なって行ったときにはじめて、作品は完成するのだなとも思っています。
コラムやエッセイとして書けるものは日常の些細なことを習慣として書いています。アイデアはぽっと毎日出せるのだけど、推敲していくと違うものになったり。
午後のオーディオライフが充実して、さらに毎日が楽しいものとなりました。午前中は作業をしながら、午後歩いてどこへ行こうか、どの番組を聞こうかということばかり考えているような気もします。
わたしにとって「歩く」という行為は、あいまいな自分の表現したいことを具現化することだったり、言語化することだったりします。
歩くことで感情の解像度を上げて、見つめ、さらに作品として仕上げることができるようにも思うのです。
いったん自分の中での考えを放り投げるように自分の身体から出す、ということも大切なことだし、それを見てもらう、読んでもらうということも大事なことだなと思っています。
自分の感情にはいくつもの色があって、普段は12色くらいで表現されている色鉛筆のパターンを増やしていくということが大切なんじゃないかと最近思うようになりました。白という色に200種類くらいの名前があるように、喜怒哀楽も数えてみれば1000種類くらいの名前があるように思います。
わたしにとってウォーキングは、言語化するための道具としてのものでもあり、午前中に書き続ける姿勢を保ち続けるために必要なことでもあります。
感情を色分けして、作品に仕上げるときに材料が多かったら多いだけ仕上がりはよくできるように思います。
歩いて、生きて、食べていく。
歩くということが創作することと書くことと紐づいているため、それで生きて行こうと強く思っています。まだまだ難しいことなのかもしれないけれど。
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遅ればせながら雑誌『BRUTUS』(2025年1月10日発売)の巻末の対談ページで、機械書房店主の岸波龍さんとの対談が公開されました。私家版詩集について、作り手・書き手として制作のことを語っています。ご紹介した私家版詩集の作り手のみなさまの中でも盛り上がっていてとてもうれしいです。
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わたし自身も現在、第六詩集の私家版詩集の制作をしています。第五詩集の『暦の中を吹く風と』は、『BRUTUS』でも紹介していただきました。
『暦の中を吹く風と』、4刷を発注しました。七月堂さんや機械書房さんでは完売しましたので、来週にはサイン入りで発売できる予定です。
わたしのBASEにて注文していただければさいわいです。
在庫が復活しましたらぜひ。1月29日ごろ発売予定です。
第六詩集は5月の文学フリマ東京で発売予定です。どうぞお楽しみに。
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