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美術展雑談『ロートレックとミュシャ パリ時代の10年』
「パリは寒いときに行くといいよ。行ったことないけど」
高田純次さんの名言です。私も同感です。パリの冬は最高ですね。人々はみんなお洒落に着飾って、通りも建物も透き通るように澄んで美しいです。ええ、私も行ったことはありませんが。
そういうわけで、寒いので大阪のセーヌ河こと堂島川を渡って、大阪のルーブルこと中之島美術館へ行きました。開催されていたのは『ロートレックとミュシャ パリ時代の10年』です。
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キュートさではあの女神やビーナスにもひけをとりません。
堂島川にはアヒルちゃんがいました。こちらもキュート!
いまさらながらに感心するのは、ロートレックとミュシャが同時代に生き、そのポスターがパリの街に実際に並んでいたということです。19世紀末、万博を経て新世紀の気運が高まるパリに現れた二人のポップスター。まるでパリの街自体が意思を持ち、わが身を彩れとばかりに呼び寄せたかのようです。
そしてその二人が街の望みににこたえて活躍した約十年こそがベル・エポック(よき時代)の中でもとりわけ熱気を帯びた、特別な時期ではなかったでしょうか。
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ロートレックのポスターは、明るくて華やか。当時のパリそのものに思えます。彼自身も陽気で社交界では人気者だったとか。
反面、身障者であった彼は差別とストレスからアブサンに溺れ、梅毒を患い、人知れず苦しんだといいます。彼の作品が華やかであればあるほど、その悲しい心のうちが偲ばれます。
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バージョン違いでいろいろあります。
『ジスモンダ』のポスターを見たとき、サラ・ベルナールは涙を流したといいます。
流麗な線で美しく描かれていたから感動したということもあるでしょうが、きっとそれだけではなかっただろうと思います。サラは女優なのです。女優は、大衆の中で輝きたいと願うものでしょう。サラにとって、その素晴らしいポスターが街の中に並ぶことはすなわち街の一部になることであり、さらに市井の人々の記憶に刻まれることになるのです。それはつまり、女優として永遠に生き続けるということにほかなりません。喜びで涙があふれたのは当然です。
のちに若くしてロートレックが亡くなると、ほどなくして第一次世界大戦、大恐慌が続きます。サラは足を切断し、ミュシャはナチスに逮捕されます。世界は、華やいでばかりではなくなります。時代も恐ろしい速度で変わってゆきました。
しかし実は、今なおベル・エポックは終わってなんかいないのです。色褪せることのないロートレックやミュシャに触れ、その街の華やいだ空気を後世の私たちが感じている限り、よき時代は永遠に存在し続けるでしょう。
またいつか、二人に会いたいですね。できるなら今度は、街かどで会いましょう。もちろん、さくらんぼの実る頃に。