〔雑記帳〕悪いのは誰
子どもの頃から童話が好きだった。日本の童話も、海外の童話も、まあまあ読んでいる方だと思う。何らかの教えを含む話、ただの悪ふざけのような話、怖い話、悲しい話、ワクワクする話…それぞれに良さがあって好きだ。
だが時々、疑問を抱く話もある。そのうちの一つは、日本の童話の「舌切り雀」。皆さんご存知だろうが、念のためざっくりと紹介しよう。
お爺さんが弱った雀を拾ってきて、つきっきりで世話をする。おかげで雀は元気になるけれど、お婆さんはそんなお爺さんにイライラして、当然雀も気に入らない。お爺さんが留守の間、雀にエサを与えるよう言われていたのに意地悪して与えず、お腹を空かせた雀はお婆さんが作っていた糊を舐めて見付かり、「賎しい雀め!」と舌を切られる。
逃げ出した雀のことを聞いて、慌ててお爺さんが「可哀想に」と追いかけて行くと、辿り着いた雀のお宿でもてなされ、お土産に小さい葛籠に入ったお宝まで貰って帰る。
それを聞いたお婆さんも真似をするが、お土産に大きい葛籠を選ぶと、そこには怖いものや汚い物ばかり。お婆さんは腰を抜かしてしまって、はい、おしまい。
昔話としては、優しく欲のないお爺さんと意地悪で欲深なお婆さん、という構図なのだろう。でも、本当にそんな単純な話なのか、疑問に思うのだ。
そもそも、お爺さんはお婆さんに興味が無かったのではないだろうか。日々、お婆さんを大切にすることはおろか、話をゆっくり聞くことすらなかったように思える。本当にお婆さんとちゃんと向き合っていたら、ここまで雀を嫌うお婆さんがいるのに、家に連れ帰ったりできないはずだ。お婆さんの意向を無視して、「小さな可愛い雀よ、可哀想に」と勝手に連れ帰り、お婆さんそっちのけで甲斐甲斐しく世話をするお爺さん。私はどうも好きにはなれない。というか、相当イライラする。
雀も同じだ。元気になったらそっと飛び立てば良いものを、いつまでもお爺さんにくっついて、楽して食料を手に入れている。お婆さんに嫌われていることも感じているだろうに、「お爺さんが居るから」と居座るのも図々しい。また、ご飯が貰えなければ、外で虫でも食べれば良かったのに、なぜかお婆さんの作っていた糊(確かお米をすり潰したもの)をわざわざ舐めるなんて、明確な嫌がらせではないだろうか。
お婆さんは確かにやり過ぎだったとは思う。でも、やっと出て行った雀を、まだ慌てて追いかけてしまうお爺さんには失望したのでは無いだろうか。このお爺さんの行動からは、雀への愛情は感じられるけれど、お婆さんへの気遣いなんて欠片も感じられない。
挙げ句に、お爺さんにはお宝の葛籠、お婆さんには化け物の葛籠とは。これは、大きさで中身が違っていたのではなく、相手を見て雀が用意していたとしか思えない。
こうして考えると、あざとい雀と、そんな雀に夢中で伴侶を蔑ろにするお爺さん、どちらにもウンザリしてしまう。一番可哀想なのは、お爺さんに蔑ろにされて、雀になめられて、それなのに「意地悪で強欲」というレッテルを貼られてしまったお婆さんだと私は思うのだ。
もっと言えば、この雀は「若い娘」のようにも思える。そう考えれば、尚更お婆さんが哀れで、お爺さんと雀に腹が立ってしまう。もちろん、こんなのは捻くれた私の思い込みかも知れないが。