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〔ショートストーリー〕潜在能力(♯シロクマ文芸部)

走らない僕に興味は無いと、コーチは言った。コーチだけじゃない。僕を「特に人間性が素晴らしい」と会う度に褒めちぎっていたスポンサーも、応援してくれていたファン達も、みんな、蜘蛛の子を散らすように消えた。僕のことが誰よりも大切だと言っていた彼女も、
「ごめん。他に好きな人ができたの」
と、アッサリと他の男に乗り換え行ってしまった。

短距離界の新星として華々しくデビューした僕は、一躍有名人になった。大企業がスポンサーに名乗り出てくれて、モデルの彼女も出来た。僕の脚は国宝級だとか、近い将来に国際大会で金メダルが取れるだろうとか、みんな競い合うように僕を褒め称えていたのに。そんな日々は蜃気楼のように頼りなく消えてしまった。それもこんなに早く、突然に。

ただ運が悪かったのだ。水道管の老朽化のせいで、歩道に突然ポッカリ空いた穴に落ち、右脚に大怪我をしてしまった。
その後は、思い出すのも苦しい。数回にわたった手術、機能回復のための苦しいリハビリ、治癒力を高め潜在能力を引き出すという新薬…あらゆる治療を試みたが、結果は芳しくはなかった。日常生活に支障はないものの、走れば痛みが出て以前の記録には遠く及ばない。僕は陸上を諦めざるを得なくなり、実業団を辞めた。少しだけ…いや本当は大いに、神様を恨みながら。

僕が無職になったことを知ると、実家の両親や地元の友人は、みんなこう言った。
「戻ってこい。何とかなるから」僕が有名になっても、輝かしい未来が絶たれても、ずっと変わらず僕に寄り添ってくれたのは彼らだけだ。でも、ここで甘えたら自分がダメになりそうで、頑なに「大丈夫」と言い続けている。流石に高級マンションから引っ越しはしたが、まだ生活に困っている訳ではない。

実は、開発途中だという新薬を試し始めてから、背中の肩甲骨あたりにコブのようなものが出来てしまったのだ。痛みは無いものの、これは副作用なのかと製薬会社に問い合わせると、
「原因は分かりませんが、当社からの誠意としてお受け取り下さい。もし、また何かありましたら、いつでもご連絡を」
と僕は多額の見舞金を提示され、少し迷ったが受け取った。無職になる身としては、正直とても有り難い申し出だったから。

その見舞金を生活費に充てながら、就職先をさがしていたある朝。背中のコブに違和感がある。
「ん?何か違う…」
シャツを脱いで鏡に背中を映した僕は、思わず声を上げた。
「う、うわっ!何だこれ!」
背中のコブは消え、代わりに薄い羽のような物が生えていた。鳥のような羽ではなく、蝉のような半透明の羽。筋肉質な体には小さくて似合わないが、羽そのものは光が当たればキラキラして綺麗…とか、そんなことを考えている場合ではない。慌てて製薬会社の担当者に連絡した。
「分かりました!すぐに迎えの車をやりますので、こちらにお越し下さい」
担当者の言葉通り、すぐに車は来た。乗ると猛スピードで研究室に向かう。

研究室では、大勢の研究員が待ち構えていた。すぐに僕の背中の羽を確認すると、
「おおーっ」
と感嘆の声があがる。いや、そんなに感心して欲しい訳じゃなくて、何とかして欲しいんだけど。そんな僕をよそに、研究員達は口々に興奮して捲したてる。
「なるほど。あなたの潜在能力はこれだったんですね」
「キラキラして綺麗ですね~」
「アスリートは違うなあ!」
「素晴らしい!」
とうとう僕は声を上げた。
「いやいや、ちょっと待ってください!これ、何なんですか!?」
研究員達はハッとしたように静かになった。その中で、一番落ち着いていた研究員が近付いてきて言った。
「大変失礼しました。実は試していただいた新薬で、まれにですが、予期せぬ変化が体に起こる場合があると分かってきまして」
「予期せぬ…変化?」
研究員が頷く。
「はい。例えば、水泳選手は手足の指の間の水掻きが少し大きくなるとか、ピアニストなら指が少し長くなるとか、これまでは些細な変化だったのですが」
僕の羽をまじまじと見ると、感嘆したように言う。
「これほどまでの変化は初めてです。飲んでいた他の薬の影響が出たのか、リハビリなどの負荷が影響したのか…」
思わず納得しかけたが、大きな問題に気が付いた。
「ちょっと待ってくださいよ!水泳選手の水掻きや、ピアニストの指ならまだ分かります。でも僕、何で羽なんですか?脚の筋肉が強くなるとか、足裏の反発力が強くなるとか、そっちじゃないんですか?」
ほとんどの研究員達が、不意を突かれたようにポカンとした。中には「あ、確かに…」などと呟く声も。だが、僕に説明を続ける研究員は違った。
「恐らく、走れば分かると思います。ご連絡をいただいてから、すぐにトレーニングルームはおさえてありますので、どうぞこちらへ」
僕は言われるままにトレーニングルームへ向かった。


結果を言えば、研究員の言葉は正しかった。実業団を辞めてからまともに走っていなかったので不安だったが、ウォーミングアップを済ませて走り出すと、体が軽い。そう、文字通り軽いのだ。背中からブーンという羽の音が聞こえる。なるほど、そういうことか。飛ぶように走るのではなく、飛びながら走っている感じ。脚への負担は少ない分、地面を蹴る力も少ないので、スピードはそう上がらないが脚は痛くならない。
「おわかり頂けましたか」
ドヤ顔で研究員は言う。分かった。分かったけれど、これでは困る。
「でもこれでは、競技会には復帰できないですよ。そもそも、背中に羽なんて、人間にあったら変でしょう!何とかして下さいよ。」
研究員は、初めて少し驚いた顔をした。
「分かりませんか?これはあなたの進化なんです!あなたが必要とするものが、備わったのですよ。確かに競技会は出られないでしょう。けれど、その美しい肉体と羽があれば、プロのアスリートモデルとして充分やっていけますよ」
僕は頭に血が上るのを感じた。この研究員、まともじゃない。
「冗談じゃない!気味悪がられるに決まっているでしょう!日常生活にも支障が…」
「どんな支障ですか」
平然と研究員は続ける。
「羽は畳めるので、普段の衣服にも困りませんよね。入浴は戸惑うかも知れませんが、慣れれば大丈夫ですよ。必要な栄養素などはこれからデータを取って行きますからご心配なく。それにこんな美しい羽、気味悪がるなんて最初だけ、しかもごく一部の人だけでしょう。人々はすぐに慣れて、あなたに羨望の眼差しを向けますよ。私が保証します。他に何か?」
僕は頭が混乱して言葉が出ず、それを研究員は「納得した」と受け取ったようだ。やけに手回しの良い研究員は、アスリートが多く所属している事務所に話をつけ、その上でこの製薬会社の専属モデルとして僕は働くことになった。全く納得しないまま、半分はヤケクソで、半分は小遣い稼ぎのアルバイトのつもりで、研究員の口車に乗ってみたのだ。


あれから2年。今、僕は陸上競技の世界大会で、デモンストレーションを行おうとしている。開会式後のイベントみたいなものだ。100mのスタートラインに一人立ち、着ていたトレーニングウェアを脱ぐ。大画面に映し出された背中の羽を見て、「おおーっ」と客席から感嘆の声があがる。「きれーい!」「カッコいい!」の声まで聞こえてくる。

少し悔しいが、あの研究員はことごとく正しかった。人々は美しい羽に魅了され、また僕をもてはやしたのだ。僕もまたヤケクソだったのは最初だけで、この姿でも受け入れられると分かってからは考えを改めた。羽のコンディションに気を遣い、走り方を研究し、直向きにトレーニングを積んだ。その結果、羽は最初の頃よりも強く美しくなり、タイムも怪我をする前まで戻ったのだ。むろん、競技会には出場出来ないが、以前のように風を切って走れることが純粋に嬉しい。僕は、過去に神様を呪ったことを反省し、今は心から感謝している。
人気が戻るとすぐ、僕をアッサリ見捨てたコーチ(実業団の広告塔になって欲しかったらしい)や、元カノ(「やっぱりあなたしかいないの」と泣いて見せた)まですり寄ってきた。その図々しさには笑ったが、勿論、丁重にお断りしておいた。

スタート位置に付く。しばしの静寂の後、パンッという乾いた音に僕は走り出す。飛びながら走る僕の体は、軽やかに風を切っていく。背中の羽音が聞こえないほどの、地響きのような歓声に包まれながら。

(完)


こんばんは。
シロクマ文芸部のお題で考えたのですが、なかなか着地点が見付からず…。いつもより長いのに、強引な展開になってしまったような💦何だか済みません…

いつもながら、小牧さん楽しい企画を有難うございます。
また、こんな長々としたストーリーを読んでくださった方、有難うございました。

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