『「好き」を言語化する技術』感想 ー欲していた内容と違った…ー
この本ときっかけ
Googleが私向けに様々な記事をオススメしてくれるのだが、その中で以下のような記事が目に入った。
そこでは、『「好き」を言語化する技術』という本が紹介されていた。
感情を言語化することに慣れてない私としてはタイトルから大層興味を持ったし、
それがランキングで1位を取り続けている!とあり、とても有用な本なんだろうなぁと思った。
(そもそもなんのランキングか知らないけど)
そこで欲しいものリストに入れていたところ、irumaさんが誕生日に送ってくれた!(ワーイ
言語化について書かれていることだし、この本の感想でも書くか~と本記事を書くことにした。
この本で学んだことから、批評、そしてなぜ言語化するのかまでを考察した。
最後まで読んで頂けたら幸いです。
この記事には本書に対しての批判が含まれているため苦手な方は読まないでください。
1.この本から理解したこと
クリシェの使用を避ける
「泣ける」とか「考えさせられる」みたいな思考を停止して使える常套句は使うべきでないとのこと。
他人が発信した感想に流されてしまう、
何年も前からTwitterでよくバズる内容ではあるが、まあそうなのだろう。
(他人の感想に流されてしまうという感想をRPする皮肉…)
文章を書く上では妄想力が大切
読解力や観察力ではなく、妄想力こそが大切。
「よかった」理由を考えるために、「なにがどうしてよかったのか?」と思考をどんどん転がしていく妄想力が必要。
その言い方なら観察力も妄想力もどれも同じような気もするが、
多分著者が言いたいことは、「考えたことが正しくなくてもいい!」ということだろうか。
コンテンツに対する快感の抱き方
これはとても興味深い内容だった。
この分類が本当に正しいのかはまだ分からないが、
今までの自分には無かった分類方法なので、これを用いて今後のコンテンツを分析してみたいと思えた。
想定した読者を決める
至極当然なことだが、よくよく考えてみれば案外重要だなぁと感じた。
正直考えようとしなくても頭の底で理解できているはずだが、
改めて意識してみることで新たな発想があるかもしれない。
2.著者の文章力について
正直この本を読んでいるとき、内容についての考察をすることは少なく、
むしろ著者の文章力や構成についての考察を行うことが多かった。
優しい文章
言葉遣いが全体的にふわっとしていて話し言葉のような文体で馴染みやすい。
具体例をいくつも上げながら解説しているため、
具体的に想像するのが苦手な人たちにも優しい文章となっている
なお、その分同じトピックに割く文章量が多くなっている。
そのため個人的には中身がとても薄いと感じられた。
また同じ話題が繰り返されるため、くどいと思った。
上で述べた、理解した数個の話題に対して100ページ以上割かれているとなると、う~んとなるだろう(偏向報道ではあるか)
この本の対象読者
著者が意識してのことかは分からないが、この本には前提条件・対象読者が存在する。
それは他者への発信欲求だ。
そもそもこの本は、
「他人に対して推しを語りたい」、「SNSで推しの良さを語りたい」など、
他人へのアプローチに困っている人に対してのコツが書かれている。
本書は改題されていて、元は「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない」だったようだ。
私としてはこれは苦痛で、
自身の感情を言語化するためのノウハウを求めて読んでいたはずなのに、
実は他人に伝えるコツがつらつらと並べられていたのだ。
そしてこれは、あとがきを読んだことでやっと腑に落ちた。
おそらく著者が定めた想定読者に、私は含まれていないようだった。
あとがきを要約すると、「他人の影響を受けた強い言葉を安易に発信するな」ということが書かれていた。
そしてそのためにこの本を書いたと。
このような状況に対して著者は、本書を執筆し自身の感想を大切にさせることで強い言葉を思考停止して使うことを阻止したかったのだろう。
そのためSNSなどの他人に発信する内容が中心的な話題となっていたのだろう。
つまりSNSなどで強い言葉を流布する可能性のある若者たちに対しての啓蒙書であると。
なので自己理解がしたいだけの人はメインターゲットではないと…
それなら書評とか帯にそう書いといて!!!
題名も、もうちょっとあったでしょ!!!!
とモヤモヤがつきないのでした。
指南書ではなくエッセイ本?
正直、書かれていることに対してまったく根拠が無いなと思ってしまった。
根拠が無いのに断定してしまっている。
そこにモヤモヤを感じてしまう。
上述した文章を書くコツの通り、感情・妄想で文章を書いているのだろうか。
太字にしている箇所などは、
段落で言っていることを総括しているわけでも無く、
示したデータに対して結論を述べているわけでも無く、
感情が高ぶったような箇所が強調されている。
(もちろん総括している個所もあるが、こちらの方が目立った)
それはもう指南書というより、エッセイや自己啓発書の分類になるだろう。
根本的に妄想の先に洞察が無いと感じた。
妄想で終わってしまうのではなく、
妄想 → 疑問 → 根拠・回答 → 応用・本編への適応
と知識を派生させていくべきだろう。
著者の才能
上記で感情で書いていると言ったが、それは欠点だけではなく全然才能だと思う。
また著者は一般的な若者の価値観を有しているようだ。
読み進めていると、「普通の人はこういうことで悩んだり困ったりするんだ~」と勉強になった。
もしかしたら、これからのことから世間に受けたのかもしれない。
一般的に正しい感情を太字できっぱりと言い切るように書き記すことで、
それに対しての共感(言語化の快感)を与えたのか?
モヤモヤした例文
強い言葉に対して我々は騙されやすい、という文脈にて以下の通り書かれていた。
一般の人は、独裁者の演説を聞いたことは無いが、でも人を誘惑するのが上手いんだろうな~という印象を持っているだろう。
それを言語化した文章なのだろう。
だが、独裁者の演説についての説明は以上で終わってしまう。
演説を引用することもなく、専門家の論文も示すことなく断定してしまった。
自分も演説を聞いたことないので何とも言えないが、それでいいのか…?
そもそもなぜ独裁者限定なのだろう…
強い言葉で惑わす=悪者という印象操作?
また副題に「強い言葉を(思考停止して)使うな」とするならば、それこそ強い言葉とは何かを考察しても良かったのではないか?
そういう言葉に騙されてしまう人がいるなら、騙されないように文章の本意を探る力を身に着けるべきだろう。
なのでそういう章があっても良かったと思う。
3.この本で書いてほしかったこと
というわけでこの本で取り扱ってほしかった内容を取り上げていく。
人はなぜ表現するのか
これを理解することで、
なぜ推しについての文章を書きたいのか、また他人に推薦したくなるのかについて、
自身を深く理解する助けになるだろう。
この本を手に取る人は様々な悩みを持っていると思う。
それは好きを言語化できないというだけではなく、
「なぜこんな表現欲求があふれ出てくるんだろう(どうすれば解決するのか)」、
「自分は本当に布教したいのだろうか」
という悩みもあるだろう。
それらについて自己理解が進む内容となるだろう。
あと単純に知的好奇心が湧く話題でもある。
人類は古来より岩を削ってまで文明を残してきたが、それはなぜだろうか?
これは言語化だけでなく絵や音楽、哲学などの自己追求・表現欲求の意義を探ることでもある。
少なくとも、「好きを書き残したい気持ちって、大切じゃないですか!?」で終わるよりかは十分建設的ではなかろうか。
持論
以下は私とChatGPTが話した内容を要約したものである。
専門的な知識はないため十全な論拠はなく、ただの妄想の垂れ流しである。
だが楽しい内容ではあった。
生物的側面
人間は社会的な動物であり、コミュニケーションが生存に置いて重要な役割を持っている。
つまり自身の考えや感情、経験を他者に伝えたいという本能的な欲求は、
社会的な生命体であることから進化の過程で生まれたことが考えられる。
またその社会の中で生きていくにあたり、
自身の役割を見つけ出すこと(自己理解)が生存に有利であった可能性がある。
人間的側面
人間には自己表現の欲求があり、
自己表現などのコミュニケーションは、
マズローの欲求階層説において高次的欲求を満たすために重要である。
また、人間は他者との関わりを通じて自己の思考を整理し発展させる側面もある。
また、それらのような社会的側面だけでなく、自己追求性をもった創作欲求も存在する。
自己や世界の意味について考え、個人の内面的な問いへの答えを求める行為。
古代ギリシャの哲学者や詩人たちは、人間の存在意義や人生の意味を探求していた。
アートにおいてもしばしば個人の感情や内面的な感情が強調された作品が発展している。
それらの行為はアイデンティティを確立するために行うのだろう。
自己理解を行うことは人間として当然であり、心理的健康にとって必要不可欠。
単に生きるために生存するのではなく、人生に意味を見出そうとする。
その行為こそが、自己追求性の感情を刺激するのだろう。
現代社会的側面
自己表現や独自性を重視する文化では、
独自の視点やアイデンティティを持つことが社会的に高く評価される。
現代社会においては漫画家やイラストレーター、作曲家などの多くの表現者が現れ、
作家の世界観が社会へ大きな影響を与える場合もある。
またSNSの発展により著名人から一般人にいたるまでが自己の世界観を発信している。
そのような社会だからこそ、そこで生まれ育った人間は「自己表現することが当たり前」のように感じるのかもしれない。
また社会的なプレッシャーも存在している。
自己表現を行わないことによる不安感や孤立感を感じる人も増えているだろう。
これらのことを添削・要約・発展させて、なぜ推しを語りたいかと合わせて考えてみることで、興味深い内容になるのでは?
なぜ言語化すべきなのか
続いて言語化による利点・行動理由なども示してほしかった。
もちろん記述はされていたのだが、断片的に散りばめられており、章として独立させても良いのではと思った。
持論
私が持っている持論は以下の通りだ。
前述したとおり、人間は根源的にコミュニケーションをとる生き物だから
言語化は絵や音楽とは異なる、第三の自己表現方法
現行AIに奪われない、本当の価値を文章は秘めている
ここでは3番目について掘り下げる。
(またもや私の妄想である)
生成AIによる人工物の価値の低下
現代では生成AIによる諸々の価値の低下が嘆かれている。
分かりやすいものでは、イラストやプログラムだろう。
現行の生成AIはそれっぽいものを生成するのが得意で、それらの生成速度に関して人間が勝てることはほぼ無いだろう。
そしてそのせいで価値が暴落している分野もある。
プログラム
プログラムの価値とは、理想の動作をすることである。
そして生成AIは小規模なプロジェクトに関してはほぼ正確な動作を記述することが出来ている。
そのためそのような分野では、もう手書きすることに客観的な意味はほとんどない。
(自身の学習になるとか秘匿性やメンテナンス性に関しては別だが)
イラスト
そしてイラストの価値とは、なんとなく良いことだ。
現代ではイラストの消費性が高く、所詮一目見ただけで終わってしまう。
文章のように前後のつながりがどうだとかは無く、細部のこだわりを見ることはあまりないだろう。(破綻している場合は非難されるが)
また、上述した快感の感じ方(共感と驚き)に関してもイラストは難点を抱えている。
消費性が高いがゆえに驚きを感じにくいのだ。
また個性的な絵柄や構図があったとしても、AIは真似てしまうことが出来る。
そのせいで共感的な快楽だけが主となってしまう。
つまり好きなものが良い感じに書かれていたら嬉しいということだ。
これは本当に良いものの価値が失われている、判断できなくなることを示唆してる。
(仕事の責任性についてはまた別だが)
文章
では文章はどうだろうか?
共感性や感情の言語化についてはむしろAIの方が優れている可能性がある。
しかし、驚きについては生成AIでは作りえないと考えてる。
もちろん生成AIが人間的な言葉でしゃべっていること自体が驚きなのだが、そういうことではない。
文章における驚きとはアイデア、深い洞察から生み出される。
それはそれっぽい文章を並べるだけの重みづけのAIでは起こりえないものだろう。
それが出来るのは現行では人の脳だけだ。
もちろん量という面では抗えないため市場価値は低下する一方だが、
本当に良いものの価値というのは見失われないはずだ。
なお、この記事に関してはただのエッセイなので、過度な文章の期待はしないでください。(予防線)
なぜSNSに投稿するのか
さて長々と書いてしまい、「この本に書いておいて欲しかったこと」という前置きを忘れてしまいそうだが、(忘れていた)
次は、なぜSNSに投稿するのかだ。
その後は「どんなものに書くにしても自分の言葉を持つことは重要だよ」と続いていた。
一応言及はされていたが考察はされていなかった。
SNSの投稿理由などおそらく承認欲求なのだろうが、今一度深く考える必要があるだろう。
むしろ副題にSNSのことが関係しているなら書くべきだ。
現代の病的なまでのSNSの利用を見ていると、
言葉だけを見直すだけでなく利用方法も見直すべきである。
4.おわりに
以上、『「好き」を言語化する技術』について読んだ感想・考察でした。
著者が書いた他の本について気にならないと言えば嘘になるが、あまり進んで買う気にはなれない。
言葉が優しいので難解な本の解説書などは良いかもしれない。
この本を読んだ人で実際にアウトプットするようになった人はどれだけいるのだろうか?
どのような点が刺さったか参考にしたい。
追記:めちゃめっちゃ売れてるらしい
これを書き終えてからネット上の感想も漁るようになったのだが、とても絶賛されているようだった。
一部私と同じ様に捻くれた感性を持っている方(失礼)が、著者のノリが高すぎてついていけないと書いていたが、概ね絶賛されていた。
感想を見るに、著者の抽象的な感情表現がピタリとハマっているようだった。
やはりそういうのを見ると著者の文才、一般的な感情を持つ感性と言い表す能力の高さを感じずにはいられない。
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