2022年の抱負|共に歩もう、一歩ずつ
「ママ、日本語で話さないで!」
小さな娘の意思表示に、一瞬固まってしまった。彼女の母国語は英語だ。
実際に言われたのは、 "Mom, don't speak Japanese!"
私達家族はカナダの小さな町に住んでいる。
私が日本語を喋らなければ、家族の会話は英語だし、娘は乳児期から現地の保育園に入っていて、どっぷりと英語の環境に浸かっていた。
それでも、一緒に過ごせる時間は日本語で話しかけていたけれど、「伝わらない」ことはヒシヒシと感じていた。
子育て中、「伝わらない」と困るメッセージはたくさんある。車道に飛び出そうとしたり、大きなスーパーで走っていなくなりそうになったり…。
「危ないよ」だけじゃなく、「どうして危ないのか」も伝えようとすると、日本語では不十分だった。
それで、大事なメッセージは英語で伝えるようになった。
でも、いつの間にか、それがだんだん膨らんで、気がついたら日本語の濃度がどんどん薄くなっていった。
そんな中、思い出したように話かけた日本語に、この返事が返ってきたのだ。
「日本語で話さないでほしい。」
「日本語の絵本も読んでほしくない。」
娘はそう続けた。
SNSなどを通じて、「海外で親に日本語教育を押し付けられたのが苦痛だった」という人がたくさんいることも知っていた。
今の環境では日本語は使わないし、将来役に立つかどうかも分からない。「日本にいる私の家族と意思疎通ができるようになってほしい」を押し付けるのは、エゴでしかない。
娘がいつか日本語に興味を持ってからでも遅くないし、今無理に教える必要はない。楽しくないなら、やめよう。
そう思って「OK」と答えた。正直、英語でコミュニケーションをとる方が自分も楽だったし、そこから私は、本当に時々しか日本語を話さなくなった。
転機になったのは、フランス語の幼稚園だった。
カナダの公用語は英語とフランス語なので、公立でも、英語とフランス語の学校を選べる。
日本語教育は諦めたけど、言語環境があるフランス語なら…と願い、娘はフランス語の幼稚園に入園することになった。
しかし、コロナウィルスの感染が拡大し、最初の一年はなんと「オンライン通園」になってしまう。
一日中パソコンの前に座って、チンプンカンプンのフランス語の授業を受けるなんて、年少さんにはとうてい無理な話だった。
先生は、子供が楽しみながら言葉を覚えるアイディアをたくさん出してくれたし、個別授業の機会もとってくれたけど、娘は逃げ回った。
それでも、学校は毎日あって、今回はすぐに「楽しくないならやめよう」とはいかない状況だった。
試行錯誤の中、私は学習のプロセスや手法、カリキュラムの組み立て方などを勉強することにした。
そこで学んだのは、「一つ一つの学習の負担を少なくして継続させる」ことの大切さだった。
ねらいをしぼった小さな学習を、できるだけ楽しい方法で積み重ねてあげること。子供をしっかり「観察」して、レベルにあった学習内容をタイミングよく提供してあげること。
難しく聞こえるかもしれないが、要は「遊びを通じて」「ちょこっと学習する」のを繰り返すだけなので、闇雲にダラダラ勉強するよりも楽だし効果が高い。
そのやり方で学校で使う言葉を練習し、娘は自宅にいながらなんとか少しずつフランス語を覚えていった。
そのうち、分かることが増えていくと、授業中も「知っていること」なら逃げ出さずに答えられるようになっていた。
それでも、「分からないこと」になると、とたんに恥ずかしくなって逃げ出す娘。
それを見て、ハッとした。
あ、「分からない」からだ。日本語も、「分からない」から、「ママ、日本語で話さないで!」って言ったんだ、と。
もちろん、娘が「日本語が分からない」のは知っていたけど、その時ストンと思ったのは、「私がただ単に日本語で話しかけていたから分からないままだったんだ」ということだった。
当時を思い出すと、私は「子供は自然な日本語で話しかけていれば勝手にパターンを見出して覚える」と勘違いをしていた。
母国語であればそれで問題ないんだろうけど、周りでみんなが話をしている環境のない第二言語ではそうはいかない。
言葉や、組み合わせのパターンを地道にコツコツ増やすしかないのだ。
そして、「知っていること」にちょっとずつ上乗せしていってあげないと、すぐに「分からないこと」で気持ちがいっぱいになってしまう。
そんなことを気にもとめず、私は良かれと思って「分からないことだらけの日本語」で話かけていた。
だから娘は、「ママ、日本語で話さないで!」と訴えたのだ。
それに気がついてから、また日本語で話しかけるようになった。でも、今度は、できるだけ娘の「知っていること」で通じるように気をつけながら。
それから、一緒に少しずつ「知っていること」も増やしていった。
それから約半年。
ペラペラにはほど遠いけど、娘の「知っていること」は着実に増加している。
以前よりボキャブラリーが増え、ひらがなも少しずつ読めるようになり、なんと書ける言葉まで出てきている!
娘の理解に合わせて話しかけるようにしたら、もう「日本語で話さないで!」とは言わなくなったし、日本語の本も、時々「読んで」と持ってきてくれるようになった。
ゆっくりゆっくり進んでいるので、きっと一年たってもまだ「話せる」レベルではないと思う。
でも、焦らずのんびり一緒に歩いていくことで、振り返った時に「分かるようになったこと」が積み上がっているはずだ。
ちなみに、2年目の幼稚園は、オンライン学習ではなく通園になったが、フランス語で会話をする環境があっても、数ヶ月でペラペラになる訳ではなく、そこでも毎日の生活を通じて少しずつ言葉を積み重ねているのが分かる。
先生はのどが渇いたら ”bore de l'eau" (水を飲む)とか、友達にぶつかっちゃったら "Je m'excuse"(すみません) とか、状況に応じた簡単なフレーズを何度も繰り返して教えてくれている。
それで、少しずつ言葉が増えてきているのが現状だ。
フランス語の学校だからって、先生がただフランス語で話しかけて、子供が勝手に吸収して覚えていくという訳ではなかった。
今回は言語学習について書いているけれど、きっと、どの分野の学習においても、こうしてじっくり出来ることを増やしていくことが、力を育むのだと思う。
2022年、気がはやらないように気をつけながら、共に少しずつ歩を進め、実りある一年を拓いていきたい。