評価されること
一見、遅すぎるような、50代や60代になってからでも、なんらかのカタチを残せる人は、それまでの人生で何かを積み上げてきた人だ。
カタチになるまで時間がかかったとしても、カタチになればきっと報われる。
私はただ、日々を消化してきただけだった。日々は積み重なっていなかった。
積み重ね方がわからなかったんだ。勉強の仕方がわからなかったのと同じこと。
分厚いノートに書き記さなきゃいけなかったのに、丸めて捨てるメモ用紙に書いてきたのかも。すべてその場しのぎで。
30年くらい前の失敗を、急に思い出した。ときどき急に思い出す。別に関係のない、大きな駅の連絡通路を歩いてる時とか。あの日、急いで食べたハンバーガーのことも。
いいことだけ思い出せればいいのに。
いいことなんて、きっとあったけど、みんな忘れてしまう。
楽しかったことも、きっとあったけど、みんな忘れてしまうのだ。
嫌なことだけ、繰り返し思い出す。
覚えていたくないことばかり、何度も思い出す。
頭のなか、どうなってるんだろう。
どうせなら、全部忘れちゃったほうがいい。
何もかも、自分がどこの誰かも。感情もすべて。
こんなこと、きっと繰り返し書いてるだろうけど、
そのことも、忘れてしまったんだよ。
・・・
と、
そんなことを悶々と考えていたら、
夏の初めに書いて、公募に出しておいた短編小説の結果が、最近になって発表になって、もう一歩の作品、という評価が付けられていた。
もう一歩なのだから、まぁ、ダメだってことなんだけど、
それでもそんな評価が、
もうちょっとがんばってみれば? と背中を押す。
それなら、もうちょっと勉強してみようか。あの本もこの本も読んでみようか。
次の作品も書いてみよう。
スラスラと、次作が書けて、また公募に出してみた。
評価、ってだいじね。
というのが、最近の学びだった。