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ココロの病と、私
こんにちは、万貴です。
肌寒い時期が続いているけれど、
あったかくして元気に過ごしてる?
鍋でも食べて、
あなたがホッと一息つけていたらいいな。
年度も新しくなった事だし、
今日は私がずっと書きたかったことを。
ううん、私が伝えなくちゃな って思っていたことを
今読んでくれているあなたへ。
少しだけ長くなるけれど、
読んでくれたら嬉しいな。
心の病と聞いて、何を想う?
もし2年前の私だったら、どうかな。
「心の病」と聞いて想像するのは、そうだな。
分かりやすさで言えば「鬱」とか、「自律神経失調症」とかかな。
ここ数年で、心因性(精神的な原因)の病と
戦わなくちゃいけなくなった人が一気に増えた。
メンヘラ って一言では、もう片付けられなくなってきた。
今なら、2年前よりも「心の病」について
ちゃんと考えられる気がする。
まさか、自分がなるだなんて。
学生時代、自律神経の病と密かに戦っていた私にとって
心の病との距離感は、妙に近かった気がする。
周りには家族、友達、面白い人、尊敬できる人
たくさんの人で溢れていたし、何よりもそんな日々が愛おしかった。
「自分、生まれてきてよかった〜!」そんな感じ。笑
ソレは急にやってきた。
「適応障害」
?
何それ。聞いたこともないんだけど。
毎日楽しく過ごせていたし、明日も仕事だし、
年末は彼氏と会う予定だって入れている。
でも身体が思うように動かないのだ。
コロナでもインフルでも、
変な感染症でも何者でもないようで
医者に渡された見知らぬチェックシートには
自分で書いた印がたくさんあった。
「鬱かもしれませんねー。とりあえず、1週間休んでください。」
はぁ、1週間ですか。
休めるワケがないだろう。とも思っていたが、
自分の身体が動けませんと言っていたので、泣く泣く休んだ。
何をしたら良いんだろう。
逆に時間がありすぎると、何かをしなきゃいけないような義務感と焦燥感に心が支配される。
休んでいること自体にも罪悪感を感じるし、
携帯画面に通知が来れば、電源をオフにしたくなった。
そこからだ。
人と会うのが怖くなった。
今まで「はじめましてが大好き!無邪気!」だったはずなのに
「目を合わせられません、質問しないでください。」になった。
突然、全てのシャッターが降りてしまったのだ。
上京したので、近くに親は居ない。
頼れる友達、って誰だろう。
そのシャッターを開けるには、とても時間がかかるようで
自動ドアならよかったのに、と何度も思った。
失ったものって、なんだろう
あんなに人が大好きだったのに
人が怖くなることって、嫌いになることってあるんだって驚いた。
人間、どこで壊れて、正気じゃなくなるかなんて
誰にも分かり得ないのだ。
お仕事も辞めた。
ただ、私は変なところで生命力が強いみたいで
ずっとこのままだと、社会復帰なんかできないと悟り
ちゃんと次の転職先も見つけてから、フリーターになった。
でも、フリーターって何すれば良いんだろ。
ずっと寝てる?ご飯は?掃除は?部屋に1日中いるの?
毎日誰かと会っていた私にとって、急な空白の時間は
まるで、生きているようで死んでる みたいな感じだった。
お医者さんには、
規則正しく、健康的な生活をしてください。と言われた。
が、心が荒地になっている人にとって、それは超難関。
どこからか付いてくる不安や罪悪感から、
「健康的な生活」はできずにいた。
あーー、いっそのこと消えてなくなりたい
何度も思った、何度も思った。
自分の居場所があること
そんな時に、大好きな友達が「会おうよ」って
外の世界に連れ出してくれた。
久しぶりの外の世界である。
誰か知ってる人と会っちゃったりしないだろうか、
こんな自分を見られて幻滅されたりしないだろうか、
うまく笑えるかな、なんてことを思いながら
勇気を出して電車へ飛び込んだ。
「ねぇ、今夜泊まってけばいいじゃん?」
大好きな友達が住んでいるシェアハウスである。
でも、シェアハウスってことは知らない人もいるし
ってことは「はじめまして」があるし、
なんて自己紹介したらいいか分からないし…
そんなことをぐるぐる考えているうちに
シェアハウスへ足を運んでいる自分がいた。
あーーやっぱり、家に帰るんだった。
緊張と不安と、知らない人と一緒にいる空間。
無理に口角を上げようとすると、顔がひきつる。
今の私にはキツすぎる。お話なんかできない。
って思ってたのは、ほんと最初だけで
「はじめまして」の私にも、
特に何も聞かず暖かく受け入れてくれた。
あの空間が、生きるための
最初の栄養剤になっていた気がする。
ありがとう。
あとね、
やっぱり自分、人が好きなんじゃん!とも思った。
2度目のありがとう。
それからはというと
3月から、社会復帰した。
転職先は決まっていたので、
ずっとウダウダはしてられなかったし
正直なところ、「家賃も生活費も早く稼がないとな。
親にこれ以上迷惑かけれんだろうが!」とも思っていた。
ただ、社会はとても難しい。
いろんな色で溢れかえりすぎている。
何度も何度も、心がへし折られそうになった。
いつ心が苦しくなっても良いように
ソラナックス(こころの安定薬)をリュックに忍ばせて
毎朝満員電車へ乗り、「今日も無事生き延びた」と思いながらクタクタになって帰路に着く。
こんな生活も、約1年が経つ。
ほんとよく生き延びてるわ自分、なんて思っていた。
とにかくこの1年間は
自分のご機嫌を自分で取れるように
土日には、必ず楽しいイベントを入れて、欲には忠実に従った。
いつ死んでもおかしくない。
暖かい場所に居なくては、生きた心地がする場所に。
今でもそう思っている自分がいる。
ここにいる。
感性が亡くなってしまう前に
そう思っているうちに、ヤツはまた現れた。
今日は、先輩に週明けの数値報告をして…
配信セットも終わらせて、お問い合わせもしなければいけないっていうのに…!
朝から、大量の涙が浮かんでくるのだ。
あ、やばい。
気づいた時には深い海の底にいた。
(詳しくは「心亡」を読んでください)
会社へ行けなくなった。
今思えば、強制STOPだったのだと思う。
これ以上働いたら、あんた本当に死ぬよ 的な、
取り返しつかなくなるよ、的な。
あーー、また同じ流れで人に迷惑をかけて
悲しい思いをさせて、自分は何がしたいんだ。
本当に私は、心が弱いな。
これ以上感性が亡くなってしまう前に
会社を辞めて、地元へ帰ることにした。
共に生きていくためにね、
こうなってしまう数日前、
「繊細さん」についての本を読んでいた。
私は間違いなくHSP(Highly sensitive person)の気質を持っているし、悪い虫を心に住まわせてしまう気質も持ち合わせている。
(今じゃ5人に1人はHSPなんだそう、驚いた)
そこにはこう綴られていた。
繊細さんは、自分の本音を大切にすることでたくましくなっていくのです。
よくよく振り返ってみると、
上京してきてから「〜しなきゃ」が口癖のようになっていた。
「明日のお弁当作らなきゃいけないし、お米炊かなきゃ。」
「この仕事早めに着手した方がいいから、5時に起きなきゃ。」
「きっと忙しいだろうから、会いたいって言わないようにしなきゃ。」
「このタイミングでLINEされても困るだろうから、自分で何とかしなきゃ。」
こんな感じの想いが、ずっと730日続いていたんだって考えると
そりゃ海の底には沈むし、自分をどんどん嫌いになっていくよなって。
繊細な気質も、周りに気を遣いすぎたり、
頑張りすぎてしまうのも
全部、全部わたし。
でも、その素材を活かしていくのもわたし。
繊細さんって、他の人よりも
いろんなことを味わう力・感じる力が強いみたい。
その力で、今現在も傷ついている人を救ったり
「そうだよね」って寄り添うことはできる。
こんな風に自分の力を使っていきたい。
そう考えたら、
もう東京に住まなくてもいいなって思った。
そう考えたら、
無理して出社しなくてもいいなって思った。
そう考えたら、
死ぬ思いして頑張らなくていいなって思った。
わたしがちゃんと息をするために、
周りに傷を抱えている人がいたら
絆創膏を貼ってあげられる
そんな心を持つ自分であるために、
心豊かで在れる場所で過ごそうと、そう思った。
わたしの同い年は、ちょうど今年から
大学生という殻を破って
”新卒”という”大人”へと歩き出していく。
わたしは、まるで逆転人生だな。(笑)
でもね、酸いも甘いもこの2年間で学んだからこそ
ほんの少しだけのんびり、
味わったり感じさせていただきながら生きるわ。
760日の日々で出会った大切な人たちへ
心の中に住む、小さな小さな虫と一緒に
うまく生きていく術を見つける旅にね、
行ってきます。
じゃまたね!
東京編 完