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アキのエッセイNo.189ー私にとっての成功とは(雑記)

こんにちは
アキです。

Noteを初めて
だいたい3年は経つのでしょうか。

早いものです。

私は
大学時代は作業療法士を目指して勉強し
いったんは病院にOTとして勤務しましたが
早期辞職して

精神障害の診断を受けていたので
就労移行支援に通所し
そこの紹介で
老健の清掃パートで働くようになりました。

そこで3年ほど勤めて
「OTに復帰したい」と思い
一念発起して
本当に復帰してしまったんですよね。

行動力は
あるんですよ、私(笑)。

Noteを始めたのも
いったんは挫折した自分でも
OTに復帰できるんだぞ!ということを
世間にアピールしたかったのもあり

また
障害者でも
人生を切り開けることを伝え
誰かの力になれればいいなと思い
Noteをやり始めたんですよね。

結局
ブランクや経験の浅さがカバーしきれず
復帰するも早期に辞職してしまったのですが。

そして
支援への情熱が捨てきれず
精神保健福祉士を目指して
通信を受講し
実習設け
国家試験も受けて。

でも
支援職の転職が上手くいかず
結局
一般企業への転職に踏み切り
そこで内定を頂きまして。


振り返ると
ずいぶん遠回りをしているなと感じます。

初めは
「障害者としての自分」という条件を付けて
自分を見ていた気がします。

発達障害の診断もあり
集団に溶け込めなかったり
相手の意図が分からなかったりと
色々苦労してきました。

だから
障害者という枠を外すという作業が
なかなか出来なかったんですよね。

「障害者で、挫折も味わい
とことんどん底まで落ちて
這い上がれた自分」というレッテルを自分に貼って

逆転劇が出来たら
格好が良いよなという
自己陶酔があったと思います。

まぁ
それもアリだとは思うのですが

支援者を目指すならば

「頑張った結果、成功がある」とか
そういう
頑張り至上主義は
捨てるべきかなと思います。

だって
障害者の多くは

これは偏見かもしれませんが

頑張り抜いた結果
上手くいかなかったこともあり
それで苦しい思いをしてきた人達だと思うのです。

頑張ることを
唯一のゴールにしてしまうとか
それをやったら
支援者も受ける側も
苦しくなりますよね。

頑張れないことも
受け入れる姿勢。

むしろ
頑張れなかったときのための受け皿を用意してあげられるのが
本当の支援かなと思います。

私は
目的意識が高く
ずっと
何かを成し遂げたいと思っていました。

障害者の就労支援とか
地域生活支援とか
本気でやりたいと思っていましたが

ことごとく
駄目でしたね。

色々
思案するのは楽しくて
学んだことに後悔はありませんが

ここまで
高い目的意識があって
それでも成せないというのは

それは
私の努力が足りないというよりは

私の魂が
それを目的にしていないということなのだろうと思うのです。

私が成したいことは何か?

自問すると
返ってくるのが

何かを成す

ということよりも

「自分を無条件に受け入れ
本当の幸せを掴むこと」と返ってきます。

大きなことは
成せなくてもいい。

まず
幸せにしなければならないのは
真っ先に自分であると言うこと。

自分を幸せにするために

障害者だからという
枠もいらないし

今まで上手くいかなかったという
過去のしがらみもいらない。

内定をいただいた
清掃マネジメントの仕事は
本当に素晴らしいご縁だと思うのですよね。

人と人の関わりを大切にし
物事の調整をしていくことは
自分に合っていると思います。

ホント
今まで散々こじらせてきましたが

ようやく
条件抜きで
自分を受け入れ
本当の幸せをつかめるような気がします。

私にとっての成功とは

何か大きなことを
成し遂げるとか

そういうものではなくて

いかに
自分ととことん向き合い

条件抜きで
自分を受け入れ

心の向くまま
自分の魂が喜ぶことをするか
ということなのかな
と思うのですよね。

とにかく
がむしゃらに
思う存分
やってみようと思います。

という
雑記でした。

最後までお読み下さり
ありがとうございます。


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