中三の読書感想文「ペンギン・ハイウェイ」

 ペンギン・ハイウェイとは。主に南極などで暮らすペンギン達が、海から陸の巣へと帰るとき、必ず辿る道筋の事である。また、この物語においてはある一つの概念的象徴として描かれる道の事でもある。私達人間が、生き物が、地球が辿ってきた奇跡のような歴史が、少年の決意が、このペンギン・ハイウェイという言葉に凝縮されている。そして、この道は世界を形作る循環へ繋がっているのだ。
 私がこの本を手に取ったのは、端的に言えば作者を知っていたからだ。森見氏の小説を何冊か読んでいて、この小説も他の作品と同じくとてもおもしろいものだろうと考え、気軽に読み始めた。
 しかし、この物語は今まで私の知っていた森見ワールドとは打って変わった、切なさと優しさと、ひねていない純粋な愛情のつまった物語だった。例えるなら、ラムネのような夏の爽やかさ、涼しさを持っていた。最初はその違いに少し面食らって、でも読んでいく内、どんどん引き込まれていった。読後、まずでてきた感想はただただ「おもしろい」それだけだった。その次、私はえもいわれぬ切なさにおそわれた。
 この物語の主人公たる少年、アオヤマ君は小学四年生の男の子である。好奇心旺盛で大変賢く、多くの研究を行い、それらをまとめた沢山のノートを作る。歯科医院に勤めるお姉さんが好きで、彼女を将来の結婚相手と決めている。そんなアオヤマ君の住む町にある日突然、正体不明のペンギンが現れた。時を同じくして、彼はお姉さんから彼女の謎を解くよう頼まれる。アオヤマ君が始めた摩訶不思議なペンギン達の研究、「ペンギン・ハイウェイ研究」と、「お姉さん研究」は、やがて大人達を巻き込んだ大騒動を引き起こしてしまう。
 アオヤマ君が作中行う研究が三つある。一つ目に町に突如現れたペンギン達の謎を追う、「ペンギン・ハイウェイ研究」。二つ目に町を流れる川の水源を探る「プロジェクト・アマゾン研究」。三つ目に、「海」と名付けられた謎の巨大な水球についての研究。そしてこれらの不思議は、最終的にお姉さんへと帰結するのだった。
 序盤はゆっくりと、静かにストーリーが進んで行く。アオヤマ君の日常、お姉さんや学校やクラスメイトや家族、そして研究。すべてが当たり前に有るものであると感じさせられる。しかし、物語が進むにつれ徐々に影のような不穏さは増し、スピードを上げ、終盤には怒涛のごとく彼らの町に非日常が押し寄せる。細やかな伏線の回収とたたみあげ、その鮮やかな技法と痺れるような真実に開いた口が塞がらなかった。すべての日常と非日常が繋がり、一つ、また一つと真実に向かいピースがはまっていく様子は、さながら推理小説である。
 謎をすべて解いたアオヤマ君とお姉さんは、ただ静かに見つめ合う。結果的に離別せざるを得ない状況へと立たされてしまった二人は、明日の曜日でも話すように本当に淡々と話をする。私はこのシーンがとても好きだ。もう二度と会えぬやも知れない別れの決断という感動的なシーンでありながら、漂う静かな空気。「実感わかない」と泣きも笑いもせず、ぼうっとほおづえをつくお姉さん。この物語全体を通して感じられるあたたかな静謐のつまった場面だ。
 物語の中には、しばしば「循環」のモチーフが登場する。作中アオヤマ君の語る進化や遺伝の不思議、カンブリア紀の海、ペンギン、シロナガスクジラ。ずっと昔に初めて産まれた命は多細胞生物へと進化し、カンブリア大爆発によりその種類を増やし、滅びそして、ペンギンになり、クジラになり、人になった。ペンギンは空を飛ぶという翼本来の機能を喪失し、限りなく速く海を泳ぐフリッパーを獲得した。クジラ達は、一度海を捨て陸へ上がり、再び手足を喪失し海へ帰還した。然してそれらはいずれも偶発的なものだ。だからこそそれは紛れもない奇跡で、命の循環たる。循環とは喪失と獲得の繰り返しだ。
 お姉さんの喪失を乗り越え、アオヤマ君は大きな成長を獲得した。喪失と獲得を繰り返し日々成長し循環する世界の中で、彼は家族に学び、クラスメイトに学び、世界に学ぶ。大きな喪失を経た彼が、お姉さんとの再会を決意する切なくも希望に満ちたラストは、それが新たな循環の始まりである事を表しているのかもしれない。
 巡り、廻る多くの物事が私たちの世界を形づくっている。今ここに私という一人の人間がいて、両親がいて、その両親がいて、そのまた両親がいて…。遡れば遡るほど離れて見えるのに、私達はしっかりと繋がっている。どんなに遠く見えても、私達はどこかで皆結ばれている。それは奇跡で、ペンギン・ハイウェイで、循環の道で、喪失と獲得の記憶だ。喪失し、獲得し、また喪失し変質していく私達は、明日どれほど成長しているだろうか。

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