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【ピリカ文庫】 箱入り娘
チョコレートにお団子、クッキーにシュークリーム…。甘党たちが日々甘さを求めて集うのは、とある会社の休憩室。けれどそんな賑わいをよそに、テーブルの上にはただじっと向き合うふたりの姿がある。
「え!知らないの!?」
「あ、はい。ごめんなさい…」
話しているのは人気洋菓子「ドーナツ」と人気和菓子「黒豆大福」で、大福の名は「お豆」という。
「まさかこの僕を知らないなんて…」
青ざめたドーナツがもう一度、問う。
「あのさ、本当に『ドーナツ』知らないの?」
「はい。なにせ『箱入り』なものでして…」
わざわざ一つ一つ丁寧に桐箱に入っているという最高級豆大福は、販売直後には即完売してしまうことから「幻の大福」と呼ばれ、またの名を「箱入り」といった。「箱入り」これはつまり「お豆」のことである。この度取引先から貰った手土産がこのお豆だったため、この日休憩室は大変な騒ぎになった。
たしかにお豆は箱入りで大切に育てられたせいか少しばかり世間知らずな所がある。そのことでさっきドーナツのプライドを傷つけたばかりだ。けれどのんびり屋のお豆はそれに全く気づかない。しまいには呆れたドーナツに「これだから世間知らずのお嬢様は」と言われる始末。しかしマイペースなお豆はそれでも落ち込むことはなかった。
ところが何の因果か、ドーナツとお豆だけが部屋にとり残される事件が発生。これまでのことからドーナツによるお豆への印象は最悪であり、ドーナツの表情からも「今日はツイてない」が読み取れてしまう。しかしここでも変わらずニコニコ顔のお豆。するとそれを見たドーナツがこの機会に、ドーナツの素晴らしさをお豆に叩きこもうと思いつく。即ち、お説教である。ただし流石のドーナツも最初からお説教というのは気が引けたのか、まずは簡単な会話から始めることにした。
出身は?趣味は?とドーナツが次々に質問をするのに対し、同じくお豆もどんどん答えていく。意外にも楽しそうなふたり。実は近所の老舗和菓子屋の出身だとか趣味は黒豆のつや比べだとかで話は大盛り上がり。お豆情報をたっぷり吸収したドーナツは説教のことなどもはやすっかり忘れているのだった。そんなドーナツに今度は箱入りのお豆が問う。
「ずっと気になっていたのですが…」
「?」
「あなたのその…真ん中の穴は一体何でしょう?」
余程珍しかったのかお豆は不思議そうに穴を見つめる。これにはドーナツもくすぐったくてしょうがない。
「これはな、幸せになるためにあるんだ」
「幸せになる?」
「あぁそうさ。この穴を覗くと幸せが見えるんだよ」
お豆は暫く考え込んでいたが「ちょっと失礼」と断り、自分の顔をそっとドーナツに当てる。ドーナツが緊張で固まっていると突然、お豆が大声で言った。
「わぁ!本当だわ!私にもはっきりと見えました!みんなとてもいいお顔をしております!」
この時のお豆の目に映っていたのは、みんなが幸せそうに甘いものを頬張る姿だった。
「ドーナツさん、ありがとうございます。いま私すごく幸せです」
黒豆を艶やかせたお豆の顔からは笑みがこぼれていた。その時ドーナツは自分がいかに大きな間違いをしていたかに気づいた。これまで「愛情」というあたかい箱に包まれながらみんなに大切に育てられてきたお豆。その環境があったからこそ、お豆は純粋で清らかな心をもった「箱入り」に成長することができたのだ。お豆に対する自分の行動を反省し、これまでの無礼を詫びるドーナツ。するとお豆が言った。
「ドーナツさんはみんなに幸せを届けているのですね」
何が幸せかはそれぞれ異なるため、ひとによって見える景色も変わってくる。それゆえにドーナツには沢山の幸せのカタチが宿っている。そこでお豆は考える。他のみんなには何が見えるのか?お豆の頭に大好きなひとたちの顔が浮かぶ。そしてそこにはみんなと一緒にドーナツの顔も浮かんでいるのであった。
ドーナツの穴は「幸せの穴」
もしも自分がその穴を覗いたら僕には何が見えるのだろう。これは僕がドーナツとして生まれてからずっと考えていたことだ。そして僕は今とうとうわかったんだ。
だってその答えは…
「箱入り」の 君、だったのだから。
(おしまい)
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