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もはやボランティア活動だぞ。

人から悪口を言われたことって、
誰にでもあるのではないでしょうか。

私はあります。

自分の知らないところではもっと色々言われてるだろうなとも思いますが、
私に聞こえるように言われたこともあります。

「なんか○○っぽいよねー」
(ここには、なんとなく嫌な気持ちになる言葉が入る。)

とにかくはっきりしない表現で、微妙な攻撃をされました。
「〇〇っぽい」…なんでしょうこれ?
悪い所のちゃんとした指摘でもなく、「っぽい」に逃げる。
直接聞いても、はっきりとは言ってないじゃんと言われる。
どう改善したらいいかもわかりません。
いわゆるただの悪口。
小学生や中学生の時のことなので謎も多かったですが、
でも言われた側はやはり嫌な気持ちになり落ち込んでしまいます。
まだ知らないところで勝手に言われる方が
わからなくていいかもしれません。
(いや、それは人それぞれか?)

人間関係には色々ありますし、
全ては対人トラブルが原因と言われるくらい
生きていれば様々なことがあると思います。

しかし、基本的には
「相手への妬み」から
人は悪口を言うそうです。

内容にもよりますが、具体的な迷惑を被ったとかでもない場合
これは「妬みの裏返し」なのだそう。
相手を攻撃することでその相手と比べて、
「私の方が優れている」「私の方が優位に立っている」
と感じられ、言った方は気分が良くなるらしい。

だからもし誰かに悪口を言われたとしても、
それは相手にこちら側が
「快感を与えてあげた」だけのこと。
落ち込む必要なんてない。
あなたは快感を与えたのだから、むしろ感謝してもらわないと(笑)

また、悪口はその人のストレスの溜まり具合によるもの。
そういう人を攻撃することでストレスを解消しているそうですが、
全く健全じゃないですよね。
なんだか身体に悪いことをしている感じ。
ストレスは、好きなことや楽しいことをして
気持ちよく発散したいものです。

悪口を言う人というのはそれを言うために人の欠点をわざわざ探し、
「悪口を言う正当な理由」を探しています。
「大義名分を掲げて‼‼」みたいな。
そんな所があるのかもしれない。
でも、大義名分だってなんでもいいわけではありません。
そのうち、
「その理由では大義名分を使う許可証は出せません」
なんて言われちゃうかもしれませんぞ。

何か言うときはせめて、その相手がいないところで
自分の信頼できる相手さらに言えばその相手と直接関係のない人に
言うのはどうでしょうか。
私だって苦手な人もいますし、言いたくなる気持ちはわかります。
けれど、一緒に言い合う人数が多くなると、
ただ言うだけですまなくなるのが危険なところだと思う。
その多数が危険な思想の集団になり、小さな悪口だったものが
「これは正しい悪口なんです‼‼」と大きく成長してしまう。
成長した悪口は、人をおとしめたり酷い仕打ちをしたり、
精神的に追い詰めたり…。
取り返しがつかないことになってしまいます。
人は気づかないうちに、簡単に限度を超えてしまう時があります。
そうしてそれに慣れて、どんどん麻痺していく。
何にでも限度があるように、
そこにはしっかりと守らなければいけない境界線があることを
忘れないようにしたいと思う。

あなたがもし悪口を言われていることに気づいたら、
「私はボランティア活動をしているのだ」
と思って快感を与えてあげてください。
快感を与えるボランティア活動をしているあなたは
本当にすごい人です。
そんなすごい人はそんな相手のことなんか、
もう気にしない気にしない大丈夫。

反対に、もし悪口を言ってしまっている場合は、
その相手から
「快感をタダで頂いている」「大変お世話になっている」
ということなのです。
それってずっと続けてていいの?
今一度、考え直してみてほしいものです。

しかしボランティア活動とは、
こんな所にまで
活動の場を広げていたんですね。
びっくりだぞ。


ではまた。


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ねじり
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