自分の影は、ちゃんと自分の一部。
お風呂に入っている時、
灯りで、シャワー全体の長い線の影ができていた。
それをじっと眺めていたら、こんなことがふと浮かんだ。
「どんなものにでも、影ってあるんだなぁ。」
そこでまたじっと眺める。
そして思う。
「人間に照らし合わせると、影は人の裏の部分になるのかな?」
いや、なんか違うな。
でも、裏といっても悪い意味じゃない。
もう一方の、別の部分とでも言うべきか…
そうだ。影はそのものが持っている、そのものの一部なんだ。
そう考えると、人間には誰しもそういう部分が
必ずあるものだと思えてくる。
人が見ている相手の部分は、決してその面だけではいだろうし、
また別の面を持っていないと、それはそれでおかしい様な気がする。
みんな一つの面だけで構成されているわけではなく、
色々な面を持ってできている。
だから、よくいう「あなたらしい」「あなたらしくない」の言葉も
実は少し違和感がある。
私だって、「私らしく」という言葉を使うことはあるけれど、
私の考えている意味はそれとは違うと思っている。
私の持っている色々な面の一部である「らしさ」である。
多くの中の一つ、つまりそれだって「私」なのだ。
色々な部分から成り立っている以上、
一つの面でその人を語ることはできないし、
決めつけることは、到底できないことだと思う。
周りはみんな何か一つに縛りたがるけれど、
人は刻々と気持ちや考え方などが変化していくのは、
普通ではないかと思っている。
そうした相手の変化にもちろん寂しく感じることもなくはないけれど、
自分も変化する一人である以上、それが普通だと自然に思える。
変わらないこともあるかもしれない。
でも、実は日々小さく変化し続けているのではないかと思う。
つまり、「いつもの自分」というのはもはや、
さっきの自分とは完全に「同じ自分」ではないのだ。
そう考える私は、相手の一部である影の部分も見たいと思う。
否定なんてしない。
理由は「自分がされたくないから」
だから人の「影」を見ると、その部分に触れたくなる。
その人が沢山持っているものの一部に。
ただし、
「了解を得られたら」の話だが。
ではまた。