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交渉術 第30話 初めての会議

(この物語の中で、メーカーの技術者である武井青(27歳)と、新人の香田信二、斎藤陸、山岸明日香の3人が、それぞれの視点で交渉戦略を学んでいきます)

前回までのあらすじ


武井青は香田、斎藤、山岸に具体的な指示を出し、新製品開発に必要なデータ整理や実験結果の分析を進めさせた。それぞれが役割を明確にし、顧客との議論に向け準備を進める。
新人の3人が作業をする中、技術部長の石田紗希子がフッと現れ、さりげなく若手を激励した。
石田の柔らかで、凛とした雰囲気に触れ、3人の気持ちも、さらに前向きに動き出していった。

第30話:初めての会議

千田、武井、そして香田、斎藤、山岸、の5名は、本山自動車の技術研究所に向かっていた。
最寄駅で降り、千田・武井とは別々のタクシーに乗り込んだ新人3人は、会話を交わしながら、本山自動車到着までの約20分を過ごしていた。

「結構、大勢で会議に行くのね」 山岸が感想を漏らす。

「たまにこういう会議があるよ。本山からも結構な人数が来ると思う」と香田が応じた。

斎藤がうなずきながら
「今回は特に、俺らに客先との会議を経験させること、それから、顔見せがあるんじゃない?」

初めての顧客との会議に、山岸と斎藤はやや緊張した様子だ。
一方、香田も緊張してはいたが、2回目の訪問は、最初に比べれば落ち着きを感じていた。


本山自動車の会議室

技術研究所の受付を通り、5人は会議室へ案内された。
会議室は40人ほどが座れる大きな部屋で、壁一面に、映画の上映ができるほどの巨大なモニターが2つ、横に並んでいた。
誰も居ない朝一番の会議室は、まだ空気が底冷えし、3人の緊張感をさらに高めていた。

まもなく、上下白い作業着に身を包んだ、本山自動車の技術者たちが次々に入室し、席に着いていった。胸元には青字で "MOTOYAMA" と書かれている。おそらく実験、設計、購買と思しき7~8名が着席し、最後に橋本がノートPCと分厚い資料の束を片手に、足早に会議室へ入ってきた。


会議が始まると、千田がまず挨拶を述べた後、進行を担当する武井が立ち上がり、用意されたプレゼンを始めた。

「本日はお時間をいただきありがとうございます。開発進捗についてご報告するとともに、皆様のフィードバックを頂戴したいと考えております。」

香田はデータ整理を担当していたため、細かな質問が来た際の説明を任されていた。香田は準備した資料を確認しながら心の中でつぶやいた。(大丈夫、自信を持って…)

一方、斎藤と山岸は、武井の進行を真剣に見守りつつ、自分の番が来ることに備えていた。まだ橋本の鋭い目線が自分の方に来ることはなかったが、その厳格な態度に、背筋がピンと伸びる感覚を覚えた。


一通りの説明を聞いた橋本が手元の資料をめくりながら言った。

「なるほど。進捗は見えてきましたね。ただ、ここで確認したいのは、今後の信頼性リスクについてです。この資料でも触れられていますが、もう少し詳しい説明をお聞きしたい」

その言葉に武井がすかさず応じた。

「ありがとうございます。その点についてはこちらの補足資料をご覧いただきたいと思います。」

壁の巨大モニターに、より詳細な数値とグラフが示された。

武井が続けた。

「詳細は香田の方から説明させていただきます。また、信頼性の検証は、一番端にいる、その山岸が担当しましたので、質問には随時お答えします」

急に名前を出された山岸は、背筋にピっとした緊張を感じ、少し唾を飲み込んだ。

香田は山岸から十分な説明を受けていたものの、自分では解析していないため説明はややぎこちなかったが、内容は正確に伝えた。
山岸から見ても、内容は正確だし、言い忘れたこともない。

「山岸、補足することはあるか?」

唐突に千田の声が広い会議室に響いた。

香田の説明が滞りなく終わったところで、急に指名された山岸は少し動揺した。

(特にありません)と言うつもりだったが、なぜか体が動いて席から立ち上がり、口が自動的に開いた。

「はい、今回使用したデータですが…」

山岸は自分が驚くほど冷静で、自動人形のように、何かに動かされているように滔々と話していた。気づくと、橋本はじめ、本山自動車の全員の視線が自分に注いでいる。その状況に、これは現実か、夢の中か、と違和感を感じながらも、体と口は自然に動いていた。
一通り説明を終えると、寒い部屋で蒸汽が上がったような体ごと、気づけば席にストンと座っていた。

「なるほど、データがその背景でしたら、信頼性はかなり高そうですね。技術的に突っ込んだお話で興味深かったです、ありがとうございます。」

橋本が普段、あまり見せない穏やかな笑みで言った。

山岸はそのまま前を見ていたが、斎藤は千田が気になり、その横顔を見た。資料を眺めながら無表情だが、斎藤には、千田がやや笑みを浮かべているようにも見えた。

会議はさらに活発になり、本山の技術者たちからの意見や質問が飛び交った。それに応じる中で、武井の落ち着いた対応がチーム全体の安心感を生み出していた。


会議の後



会議終了後、技術研究所の廊下を歩きながら、千田がチームを振り返り、「みんな、よくやったな」と声をかけた。

「あんまり出番なかったです」

斎藤がわざと残念そうな顔で言った。

「いや、結構ポイントの議論でしたよ。あそこの答え次第で、議論が変な方向に行ってたかも」

香田が気遣ったが、それも事実だった。

「山岸の話はかなり効いてたね。途中、『おい、そこまで話すんかい!』ってドキドキだったけど、結局は良かった。」斎藤が言う。

「千田さんに振られて舞い上がって話しちゃいました。あれで良かったですか?」山岸が千田の方を向いていった。

「ああ、良かったよ。 香田の話が終わって、橋本さんが『本当に聞きたいのはそこじゃない』って顔してたんだ。 香田は完璧だったよ。 でも足りないと思ったから君を指名したんだ。」

「山岸が『特にありません』って言っていたら、どうなってたんですか?香田の説明には不足があるとは思えなかったし、それは山岸も感じていたと思いますが。」武井が言った。

「橋本さんから質問が来るように仕向けるつもりだった。不満そうなまま返せないだろ?」千田が笑みを浮かべながら言った。

香田も斎藤も山岸も、結局、千田という船の上で走り回っているだけな感じがした。一人で大海に出るのはまだ早そうだ。

とにかく、3人は緊張から解放され、安堵を感じていた。

「ひつまぶし食いましょ、ひつまぶし。」
斎藤が元気に言った。

次のステップへ向けて、やることはまだまだ、沢山ありそうだ。

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