大和の朝は茶粥で明ける
先日、奈良に行ってきた。
仕事終わりに京都で前泊し、翌日は東大寺へ。その後は前から泊まってみたかったクラシックホテルで1泊するという、のんびり旅行。
鬼のような形相で仕事を切り上げ、東京駅から贅沢にもグリーン車に飛び乗り、テイクアウトしたつばめグリルのハンブルグステーキ(単品)とすしざんまいのお寿司をもしゃもしゃと食べ、ぐうすか寝て起きたらあっというまに京都。
そんな風にこの旅は始まった。
奈良・・・大部分の方がそうであるように、訪れるのは修学旅行以来になる。
30数年ぶり?
思わず当時のアルバムを開いてみるが「鹿」「古そうな建物」「鹿」「若くて古臭いわたしたち」「また鹿」みたいな感じで、まったく思い出がつながらない。
それでも奈良公園に足を踏み入れると、気持ちがじわじわと上がっていく。想像と情報以上に広い広い公園。あちこちにわらわらといる鹿、そして人。30数年前にここできゃっきゃと友達と騒ぎながら通り過ぎたであろう自分。
東大寺が近付いてくると、建物の存在感に圧倒された。いくつものパーツを合わせた寄せ木造り、春日じゃない鬼瓦、思わず手を合わせてしまう佇まいの大仏さま。
すごいな、奈良って本当に日本の古都なんだな、と当たり前のことを強く思い知らされた。
たくさん歩き回ったあとは、早めにホテルへ向かう。
そう、今日は奈良ホテルを楽しみ尽くすのだ。まずはティールームでゆっくりとお茶をしながらチェックインを待つことに。
伝統のアップルパイアラモードを頼んだら、ものすごく素敵なお皿とカトラリーが出てきた。なんでもこのカトラリーは、明治時代に「極東一の豪華ホテル」と謳われたナガサキホテルから継承した長崎銀器のものらしい。日露戦争の影響でわずか10年で廃業してしまい「幻のホテル」とも言われているとか。そんな100年以上前のカトラリーをしっかりと受け止めているオールドノリタケのプレートも全く引けを取らない重厚さで、施されたさまざまな模様の金縁がぐるりと取り囲んでいる。
お茶を楽しむだけなのに、もう目が楽しい。歴史の空気感を味わえる。素敵な時間。庭を見るとこんなところにも鹿がいたりして、今わたしは奈良にいるんだなあとしみじみ味わう。
そして本館のお部屋へ。
ノスタルジックなインテリアとマントルピース、明るい窓から望む庭園、高い格天井にクラシカルな照明器具と十分すぎる設えで、ふかふかのベッドに飛び込み少しお昼寝をしてしまった。贅沢な時間。
その後も館内をゆっくりと散策する。上皇陛下の即位の記念に設置された柱時計の音を聞いたり、アインシュタイン博士が弾いたピアノを見たり。
夜ごはんはメインダイニングルームで会席をいただいた。酒粕仕立ての椀もの、彩よく盛られたお造りにまぎれて、伊勢海老のポルチーニクリーム焼きなども出てくる和洋折衷な感じが楽しい。
食後はバーにも行ってみる。重々しく冠詞のついたザ・バーと呼ばれるその場所は、ランプのやわらかい灯りがしっとりと濃密な空気を作り、気付くと1時間近く話し込んでいた。こういう夜の奇跡ってときどき起こる。修学旅行の夜みたいになんでもどこまでも話せそうな夜。こういう夜が大好きだ。
余韻を味わいながらゆっくりと眠った。
さて、ここからがようやく本題となる。
この旅で一番楽しみにしていたのが、奈良ホテルの朝ごはんだった。
奈良の名物「茶粥」を食べてみたくていろいろと調べていたけど、奈良ホテルの朝食で食べられると知り絶対に食べようと心に決めていた。
日常食として奈良の人々に親しまれてきた茶粥。古くより「おかいさん」と親しまれ「大和の茶粥、京の白粥、河内のどろ喰い」と言われ、風土の食べ方を色濃く残す大和の茶粥は1200年も食される奈良を代表する食事らしい。
メインダイニングルーム「三笠」の茶がゆは、香り高い緑茶でさらりと炊き上げているとか。一緒にいただく奈良漬けも楽しみ。
朝食は洋食も選べるので、焼き立てパンやコーヒーの香りにふらふらしつつも茶がゆ定食をいただいた。
ひとくち食べてみる。うん、味がしない。
正確には塩味を感じない。香り高いお茶の香り。
でも食べ始めるとどんどんれんげが進んでいく。なんだろう、この「パワーの固まり」を食べている感じは。
香り高く熱いものが口から喉、胃と通り、体がじんわりと温まっていく。
そうか、わたしは体が冷えていたのか。そしてこれがあたたまるということか。
そんな原始的な感覚を思い知らされた感じだった。バカみたいだけど、本当に衝撃的だった。
一緒に食べた本場の奈良漬けも食べやすくておいしい。調子に乗っておかわりまでいただき、朝の茶粥を堪能した。
味ではなく、体感で印象に残る食べ物ってなかなか無い。
またいつの日か奈良に行って、寝起きの胃に茶粥を放り込んで衝撃を受けたいな・・・と、あれから数日経った今もなお余韻に浸るのでした。