第8回 もう一つの「発達のなかの煌めき」(『みんなのねがい』連載解説)
2022年11月
白石正久•白石惠理子
第8回 誇りある自分を育んでいく発達の土台
~「2次元可逆操作」の豊かな世界~
はじめに
10月23日の「教育と保育のための発達診断セミナー」にご参加されたみなさん、ありがとうございました。冒頭での私たちのご挨拶を、ここに掲載いたします。
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発達診断セミナーにご参加くださり、ありがとうございます。
2009年に刊行された『教育と保育のための発達診断』をテキストに多くの方たちと学習・研修をすすめ、そこでの気づきをもとに全面改訂に着手し、2年前には「下巻 発達診断の視点と方法」を、そしてこの夏、「上巻 発達診断の基礎理論」を発刊いたしました。
本日、ご参加くださったみなさんの多くは、保育や教育の現場で子どもたち・なかまたちに日々よりそいながら実践し、そのなかで子どもの発達をとらえたい、発達診断の実際を学び、自分でもやってみたい、あるいはその知見を日々の実践に生かしたいと望んでいらっしゃることと思います。そうしたご要望に対し、下巻では、各時期の発達診断課題とその見方について説明し、保育・教育の課題は何かについて述べました。それに対し、上巻でとりあげた国際動向や歴史は、少し敷居の高いものかもしれないと思っています。しかし、子どもやなかまの発達を理解し、実践を創造していくうえで、人間が幸福に生きる権利がどのように深められ発展してきたのか、理論も実践の蓄積もない時代に、先人たちは目の前の「この子」たちにどう手探りで向きあい、仲間といっしょに実践を創り上げてきたのか、その歴史を知ることは、私たちにとって貴重な羅針盤です。その経過のなかでは、支援者としての見方からいったん離れて、何度も何度も「この子」たちが何を感じ、何に心を動かし、何に悩み、何を願っているのかに視座を移して考えてきたのだと思います。それはときに自分自身とも向きあわざるを得ないことでもあったと思います。しかし、子どもたちとの発達的共感関係のなかで力をもらい、支援者としての自分をも発達させてきたのではないでしょうか。
先日、『みんなのねがい』の読者の方からお便りをいただきました。
「『みんなのねがい』を購読させていただいております。少しずつ言葉のなかに込められた『ねがい』に心がふれて、景色や日常に変化を感じております」。
景色や日常が変わってきたという言葉を本当にうれしく思います。子どもたちとの日常のこと、そしてそこにある風景を、景色にたとえられているのだと思います。発達の大切なことは、遠くにあったり、何かに隠れてしまったり、あるいは小さくてよく見えないことがあります。だから、行動の背後にある心、生活の困難、感情や人間関係の機微など、奥行やディテールを、見落としてしまうことはあるものです。
私たちもそうでした。連載で取り上げている事例や実践は、私たちが20年、30年前に出会い、どこかで紹介してきたものです。しかし、その時点では、みえていないことがたくさんありました。私たちも、自身
の発達とともにだんだんとみえるようになってきた、つまり景色が変わってきたのです。連載では、そのことを正直に書こうと思っています。
ぜひ、今日のセミナーでの学びとあわせ、テキストや『みんなのねがい』連載「発達のなかの煌めき」を職場や地域の仲間と読みあってください。語りあい、わかちあい、知恵を出しあい、試行錯誤しあっていく、そして自分自身に問い続けていく…そのたゆまぬ道行きのなかでこそ、明日への展望が見いだされていくのだと確信しております。
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さて、連載11月号、前回の「もう一つの『発達のなかの煌めき』」では、「4歳の節」すなわち幼児期の階層の第2段階である「2次元可逆操作期」についてみてきました。今回は、この「4歳の節」について、もう少し深めていきましょう。まずは生活年齢と発達の関係について、次に連載第1回でのリョウちゃんのことを、ふたたび取り上げたいと思います。
かずえさんの歴史に学ぶ ― かけがえのない日々の値打ち
子どもたち・なかまたちの発達を理解するときに、発達年齢や発達段階だけでなく、生活年齢やライフステージという観点を忘れないことの重要性は言うまでもありません。ただ、それらは、両者を合算したり、何らかの方程式に入れたら答えが出てきたりするようなものではありません。私たちは、発達年齢や発達段階をおさえることは、その人のかけがえのない歴史、生きてきた日々のもつ値打ちをきちんと照らし出すうえでも大切なことだと考えています。もちろん、社会や教育のありようや課題を明らかにするうえでも必要だと言えるでしょう。
「4歳の節」を迎えると、日々の実際のくらしや人間関係のなかで、「自分で決めたい」「自分が手伝ってあげたい」と今まで以上に自分が行為や認識の主体であることを意識し、そのうえで「自分でできてうれしかった」「自分は悔しかった」等々、自分の感情をも対象化していき、誇りある自分を育んでいく発達的土台ができていきます。それはまた、他者のなかにある「自分」に気づくことにもつながります。したがって「4歳の節」の時期にある人のライフステージを考えるときにも、この視点は重要です。
長年、滋賀県のあざみ寮で暮らしてきたかずえさんのことを田中昌人さんが語っています(「自制心の普遍化による自治能力の発生」 人間発達研究所編『青年・成人期障害者の発達保障3 集団と人格発達』1989)。かずえさんは10歳であざみ寮に入寮しましたが、ちょうど「大きい‐小さい」がわかりかける「2次元形成期」の入り口にあったようです。何事にも意欲的であった一方で、注意されるとカッと怒ってしまいやすかったかずえさん。その後、なかまたちと一緒に様々な造形活動や学習にとりくみ、「2次元の世界」を豊かにしていきます。
そして、2次元可逆操作の獲得という発達の質的転換期が、思春期というライフステージの質的転換期に重なって訪れます。さらに、20代に2次元可逆操作を充実させていくのですが、「吃音がきつくなったり、ヒステリーが出てきたり、心臓障害が顕著になってきたり」したとのことです。彼女の初潮は20歳を過ぎていたのですが、友だちには生理があるのに自分にはなかなかこないことで大騒ぎを繰り返す日々でした(このときのことは、石原繁野さんが詳しく書いています)。自分の身体の変化に敏感になる思春期から青年期において、かずえさんは「自分」をみつめていったのでしょう。なかまがいるからこそ、なかまと比べてしまうことによる不安が彼女を苦しめます。しかし、その不安を一人ぼっちのもの、一人ぼっちで乗り越えなければならないものにするのではなく、みんなで見守ります。そして待ちに待った生理が訪れたことを皆で喜び合い、かずえさんは満足そうに、少し恥ずかしそうに「ありがとう」と答えます。田中昌人さんは、そこには、生活のなかの一つひとつのことがらを共同の喜び、共同の財産にできるような豊かな教育的人間関係を築いていった実践があったと述べます。
30代には心臓の手術を受けるのですが、そのときの担当医はかずえさん本人に、彼女にわかりやすい伝え方で手術のことを話します。「病気だから手術」なのではなく、「元気になりたい」「みんなと一緒に暮らしたい」、だから手術を受けるのだという、かずえさん自身のねがいとすじみちにつくりかえる社会的関係がありました。手術後のかずえさんは、人との関係においても、アーティストとしても、一層の輝きをみせるようになりました。
かずえさんは66歳で亡くなるのですが、その晩年の様子を、張貞京さんが昨年度の『みんなのねがい』の連載(2022年1月号)で書いています。
「亡くなる2年ほど前からのかずえさんは、老いや死に強い不安を見せるようになります。…徐々に体力的な衰えが目立つようになり、手のふるえが増えていき、自分の手を見つめながら、…『なんでかな』『ふるえるの』『食べられないの』と話します」
さらに怖い夢を見るようになったかずえさんは、石原さんに相談し、そのことを張さんに語ります。「石原先生言ってた。(先生も)怖い夢が多いって言ってた」。そして、石原さんから、怖い夢を見ないようにお願いの手紙を書いてみたらと勧められたかずえさんは「かみさま こわいゆめを みないように おねがいします」と書いた手紙を枕元に置いて寝るようにしたと、安心した表情で話したそうです。
「死への不安と向き合うために自分でできることを探し求めたかずえさんの想いと、かずえさんができることを共に考えた石原さんの提案からは、老いや死の不安への慰めだけではなく、本人のできることを共に考えることが大切であると感じています」
そして、新しい仲間がむすび織体験をした日、「直前まで手のふるえや不安を語っていたかずえさんが、穏やかにやさしく言葉をかけながら結び方を教え、それまで激しくふるえていた手は、しっかりとむすび織の機と次に使う材料を持っていたの」だそうです。(さらに、張貞京「4歳の発達の質的転換期と発達保障」『新版・教育と保育のための発達診断 上』87-103ページを、ぜひお読みください)
卵を割るときのリョウちゃんの真剣なまなざし
連載第1回で取り上げた「卒業生からの手紙」に登場したリョウちゃんは、「4歳の節」で頑張っている特別支援学校中学部の生徒でした。もう一度お読みいただければ、リョウちゃんを通して「4歳の節」の理解が深まるでしょう。
その手紙をくれたリョウちゃんの担任だった卒業生に、「もう一つの『発達のなかの煌めき』」第1回で、以下の質問をしました。
私たちからの質問です。お手紙には、リョウちゃんが両手で慎重に卵を割るときの、手先を見つめる真剣なまなざしに、「4歳の節」を乗り越えているという実感をもつことができたと書かれていました。この「実感」とは、どんなことだったのでしょうか。卵に注意を集中しながら両手で割る、あるいは左右の手のそれぞれに注意を向け協応させながら卵を割るという、「…しながら…する」2次元可逆操作の獲得のことは、理解してくださっているようですが、このくだりを読んで、それだけではない「4歳の節」の大切なことがあると私たちは直感しました。それは、生活のプロセスのなかに、その能力を自らの必要によって取り込んでいこうする発達要求が発揮されるときがあったということです。きっと家庭生活において、リョウちゃんが「真剣なまなざし」になって、卵を割ろうとした瞬間があったはずです。その場面は何であったのか、そのときの発達要求とは何かを、私たちは知りたくなりました。今度お会いしたときに教えてください。宿題のようですいません。
返事は、すぐにありました。
新任の教師として中学部2年生のリョウちゃんたちの担任になって間もない春の日、一息入れようと「お楽しみ会」をしました。そのときにホットケーキを作りました。リョウちゃんは、自分から卵を割ると言いました。ところが、ボールのふちにあてて割ろうとした卵は、力を入れ過ぎたからかグチャとなり、黄身はボールの外に落ちてしまいました。リョウちゃんは、「おちた! おちた!」と、なかばパニックになっていました。そのとき先輩の同僚は、「ごめんな、先生がボールを持ってやればよかった。だいじょうぶ、だいじょうぶ、も(もう)一回やろか」とリョウちゃんの肩に手を置いて言いました。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」は、懐かしい響きの言葉でした。
ところが、リョウちゃんは力を入れ過ぎるのか、ボールのふちで卵はグチャと割れてしまいました。「もうちょっとや、こうすんねん(こうするんだよ)」、先輩は力を抜いてボールのふちにあてるとちょうどよい割目が入ることを実演し、リョウちゃんの注意を引きながら両手でゆっくりと卵を割りました。リョウちゃんは、力を抜くことをコツとして吸収したのでしょうか。割目の入った卵を、両手でそっと開き、見事に卵はボールの真ん中に落ちました。「両手で慎重に卵を割るときの、手先を見つめる真剣なまなざし」とは、そのときのことです。「三度めの正直は、運でも必然でもなく、意志と知恵の力」という白石先生の言葉が浮かびました。
連絡帳にはリョウちゃんのその頑張りを書きました。それからずいぶんと後、お母さんはおよそ次のように書いてこられました。「お楽しみ会」の翌日の朝食で、リョウちゃんは目玉焼きを自分で作ると言い出したのです。「リョウは、嬉しそうに作りました。学校で教えていただいたように割目を入れ、ていねいにフライパンの上に卵を落としていました。いつもうまくいくわけではありませんが。妹の作るボイルのシャウエッセンと弟が焼く食パンが、我が家の朝食の定番です」
お母さんは、介護の仕事で働いていた老健施設を変わられ、新しい施設では始業が30分早くなりました。小学生2人を送り出し、リョウちゃんを通学バス停に送るのは、大変なことです。リョウちゃんの「申し出」をきっかけに、子どもたちに朝食の用意を頼むことにしたのです。大変になった親の仕事を、リョウちゃんなりに感じて、頑張っていたのでしょう。
「…しながら…する」という2次元可逆操作期は、手指の操作のことだけではなく、他者や自分のまわりの状況を理解し、そこから自分に目を向けて自分のことを考え、自分を調整できるようになっていくのですね。たぶん、こういったことを、先生方の質問では問われていたのだと思います。少し模範解答過ぎますか。(「卒業生からの手紙」は事実を手がかりとして構成されたフィクションであり、登場人物は実在しません)
「社会」のなかでの存在の意味を探している
ご返事ありがとうございました。それぞれの発達段階での可逆操作によって、子どもは機能や能力を発達させていくだけではなく、自分の外の世界と自分を可逆してとらえ、自分を対象化する(みつめつつ、はたらきかける)ようになっていきます。そして、自分を変革していくのです。朝、お母さんが自分たちを急かせているのは、仕事が大変になったからだとわかっていたリョウちゃんは、ホットケーキ作りのときに、いつも朝食を作っているお母さんの姿を想ったのでしょう。お母さんやきょうだいのための「しごと」として、目玉焼きを作りたい。だから失敗に負けないで、先生に教えてもらい、卵を割れるようになりたいと願ったのです。それは、社会生活に適応していくための生活技能の習得だったのではなく、家族が暮らしやすくなるように、自ら買って出て、身につけようとしたことです。お母さんと3人きょうだいの家族は、もちろん朝からさまざまな衝突を繰り返し、心乱れる現実のなかにあったでしょうが、リョウちゃんはその役割を果たし続けました。
そうやって家庭で頑張っている子ども一人ひとりの生活を、新任の彼女は想像することができなかったことを、連載第1回の手紙では正直に書いてくれました。リョウちゃんは、立派に役割を果たしてから登校する自分のことを、わかってほしいし受けとめてほしかったのです。しかし、その思いとは裏腹に、同じような思いをもって登校してくる友だちや先生との心の齟齬をきっかけとして、毎日のように「ささいなこと」で大騒ぎになりました。
彼女の転機になったのは、家庭訪問で目の当たりにした「つましい」生活であり、寝る間もなく夜中にコンビニのアルバイトに出かけているお母さんのことでした。若い教師の心に響いたのは、それだけの苦労を引き受けても子どもを大切に育てようと歯を食いしばっている母親の姿であり、きょうだいの存在でした。教師として子どもを頑張って指導し、親にも頑張ってもらおうと気負っていた彼女は、自分はたいそうなことができるわけではない、だから肩の力を抜いて、子どもや親の目の高さに立てる教師になろうと思い立ちました。組合に加わり、学校のこと、子どもや家族の生活のこと、そして社会の問題を考えながら、一人の「小さい者」として、仲間と手をつなぎあっていこうと思ったのです。
リョウちゃんの家庭がそうであったように、日本の現実は一人親家庭や障害や病のある子どものいる家庭をはじめとして、社会的に弱い立場の人びとに対して過酷です。その政治、行政、経済を、一刻も早く改めていかなければなりません。しかし、そういった苦しい生活のなかにあっても、家族が互いの存在を尊びながら、現実に負けない生活を送ろうとしている意志もまた、忘れてはなりません。そのなかから、新しい時代のための確かな人間発達が実現していくように私たちは思います。
子どもは、それぞれの発達の段階で、自分の存在の実感、存在の意味を求めています。どう生きるか、どう生きたいかという問いを子どもなりにもっているのです。一人ひとりは、その発達段階や年齢に相応しい「小さい社会」のなかで暮らし、その「社会」のなかに存在の意味を見つけようとしていることでしょう。その願いはなかなか叶えられず、それゆえの葛藤があります。しかしその苦しみこそが、人間を人間たらしめる心なのだと思います。教師も、いやすべてのおとなも、労働や生活を通して、生きる意味や価値を求めつづけているのではありませんか。みな苦しい思いとともに。
惜別のことば
私たちの友人であり、広島市の療育の職員として働かれていた塩見陽子さんが、懸命な闘病の末に旅立たれました。今年度の『みんなのねがい』では、「だいじょうぶ 大丈夫」を連載されている途上でした。9月4日の連載オンライン「交流会」に仲間とともに参加され、私たち2人を励ましてくれていたのです。
闘病を共にされたご家族、働く仲間の皆さんの悲しみを想うと、ここに記すべきことばは見つかりません。惜別のことばを送ります。
30年近く前、私たちは、あなたや広島の療育の仲間と出会いました。何度もともに学び、そして全障研の活動で力をあわせてきました。
あなたの困難に負けない気概、困難を乗り越えていく思想性(たいそうな言葉だとあなたは笑われるでしょうが)に勇気づけられてきました。そして、ともに頑張る仲間を陽の光のように輝かし、そして仲間によってあなたも輝いていました。
あなたの光は消えてしまいました。しかし今、あなたのことを想うとき、私たちはとてもあたたかい気持ちになります。光は失われても、あなたのあたたかさはそのまま残りました。
あなたの遺してくれたことの数々をここに記すことはしません。あなたの仲間が、時間をかけて私たちに教えてくれることでしょう。
子どもたちの幸福と発達、平和な世界を願っていたあなたのあたたかさを胸にいだいて、私たちも頑張ります。