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ナンシー関と町山広美がぶった斬る日本サッカー
「サッカー本ではないけど、サッカーに関する記述がある本」
このような本を、「隠れサッカー本」と呼びます。
詳しくは、こちらのnote記事を参照してください。
今回から不定期で、僕がこつこつ集めてきた隠れサッカー本を一冊ずつ紹介します。
本日の隠れサッカー本
『隣家全焼』(ナンシー関、町山広美)
消しゴム版画家のナンシー関と放送作家の町山広美が、テレビを中心に世相をばったばった斬っていく対談集です。
対談を読むと、なんとなく2人の物言いがマツコ・デラックスぽいなと思いました。調べると、町山は「マツコの知らない世界」の放送作家をしており、ナンシーはマツコと対談したこともあるそうです。
毒舌たっぷりの日本サッカー批評
この本は、雑誌『クレア』の1996年10月号から1998年6月号での対談がまとめられています。ちょうどフランスW杯の最終予選からフランスW杯本戦前の時期です。
ナンシーと町山は、そんな時期の日本サッカーについてどんな言葉を残しているでしょうか。いくつか引用しながらみていきます。
※引用部分の太字は、僕がつけたものです。
まずは、W杯最終予選中の対談です。
ナンシー よくわかんないけど、サッカーが競技としておもしろいことに頼りすぎてる気もする。また野球を引き合いに出すのもナンだけども、野球って、1シーズン単位のドラマ性で見てる人がいっぱいいるじゃない。巨人ファンなんかさ、30対0で勝ってもうれしいとかいって。そんな試合面白くないに決まっているのに。サッカーもワールドカップ予選に関しては、日本と韓国のライバル物語を即席でつくりあげてたけど(p.204)
ナンシー ワールドカップのスタンドに「フランス行こうぜ!」って垂れ幕があるんだ。「行こうぜ!」という文体というか、そこにこめられた思想が、野球にはないものだと思って。レッツの意味なんだろな。サポーターは12番目の選手らしいから。
町山 わけわからん人たちだよ。試合前には『君が代』を怒鳴るくらい熱唱して、試合中はサンバでオーレだもん。『君が代』の熱唱は、外人のマネしてやってるわけでしょ。ナショナリズムすら輸入しちゃうんだもんなあ。(p.205)
続いて、フランスW杯出場が決まってからの対談です。
ナンシー そういえば、サッカーのサポーターの団体の「ウルトラス」のリーダーが『オールナイトニッポン』のパーソナリティやってたけど、こなれた喋りなんだよ。ただのサッカーファンなんだけど。
町山 それ、知らない。知りたくもない。(p.242)
ナンシー サポーター関係では有名人らしいんだよね。とは言ってもサッカーに関しては、咀嚼する時間が絶対的に不足しているから、いまとなってそれを急速にやってる感じはあるよね。
町山 だとしたら「ウルトラス」公認のサポーターズスクールってのはどう。いやな学校だけどさ。(p.242)
最後に、W杯開催直前の中田英寿に関する話題です。
町山 嫌な話といえば、サッカーの中田。相変わらず「マスコミとの冷たい関係は続く」だとか「クール」なんて書かれてるけどさ、若者雑誌では私物公開なんかしてやんの。どうせ得意のプラダやグッチでしょ。おまえは『JJ』の読者か。だせえ。私物公開のどこがクールなんじゃ。
ナンシー CMも自分で演出だかをしたらしいけど、それが中田の思う中田なんだよ。そういうことを見透かされるのが恥ずかしいと思わないんだな(笑)。いちばんカッコ悪いね。(p.278)
町山 中田って、一時の宮沢りえに近い存在だと思う。イメージバブルっていうか。業界内でビッグな人というイメージをつくっておいて、それをインタビューやグラビアに引っ張り出すことに編集長とかが勝手に達成感を抱いているだけじゃないの。(p.279)
まさかこの数年後、中田と宮沢りえが写真に撮られるとはこの2人も思いもしなかったでしょう。
なかなかひどい言われようでした。ただ、本の中の2人は終始このような調子であらゆることをボロクソに批評しています。サッカーに限った話ではありません。
また、野球との比較が恣意的と捉えられるかもしれません。しかし、ナンシーは「サッカーと野球を比べること自体がくだらない」と本の中で述べています。
フランスW杯の時期の雰囲気が、少し感じられるのではないでしょうか。
現代に通じる金言を探してみる
当時の世相がある程度わからないと、2人の言葉が伝わりにくい点は否めません。現代の生きる僕たちの見方では、通用しない発言もあります。
しかし、現代にも通じる言葉を2人が残していることは事実です。いくつか引用してみます。
※引用部分の太字は、僕がつけたものです。
ナンシー (中略)それにテレビって東京の地理をすごいコンセンサスとして扱ってんだよね。昭和20年は終戦の年とかいうのと同じに、当然みんな知ってることとして山手通りがどうしたとか渋谷と新宿の位置関係をふまえなきゃ通じない話をするでしょ。(p.15)
町山 (中略)結婚だの子育てだの人生の当たり前の部分をウリに選挙まで出られちゃ迷惑だ、見城美枝子とかさ。(p.30)
ナンシー あとさ、立役者みたいな発想も好きだよね。花田をスター編集長扱いしちゃうのもそうだし、吉本興業がフジテレビの横澤プロデューサーをヘッドハンティングしたらどうにかなる、とかいう発想。
町山 確かにフジテレビはマンザイブームを盛り上げたわけだけど、それを一つの功績として捉えたがるというのは、おやじの発想。ビジネス雑誌の「三大武将に学べ」っていう記事の発想と同じでさ。
(中略)
町山 アイテムとして覚えても、仕組みとして新しいことを覚える記はないからね。
ナンシー (中略)誰かに全幅の信頼を寄せて安心したいんだろうね。 (p.126~127)
町山 いい人、いい話が横行する背景に、ひねりがないものしか受け入れられない風潮があるよね。誤解の余地がないものが好き。自分で見て、聞いて、感じる気がない。せっかちなのかな。(p.151)
いかがでしょう。この本が出版されてから20年が経った今読んでも、どの言葉もさび付いていないのではないでしょうか。
この本は、全ページに渡り、2人による容赦ない毒が振りまかれています
胸がすかっとすることもあれば、「言い過ぎだ」「なにくそふざけんな」と思うこと、読めばどちらも味わうことでしょう。
強くおすすめはしません。しかし、興味を持たれた方は、是非図書館や古本屋で探して手にとってみてください。
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