絶望と希望のパンデミック歴史SF―コニー・ウィリス『ドゥームズデイ・ブック』
コロナ禍を予言したかのような一冊。でも実際は違う。予言したつもりじゃないのに、予言したかのような本である。これがSFの醍醐味だ。
1.絶望的なタイムトラベル
たたみかけるように読者を地獄へ突き落とし、その中から光を拾わせるような作品だ。
過去へのタイムトラベルが可能になった時代に史学部のギヴリンが14世紀にタイムスリップする。
しかしタイムトラベルを担当した技術者が謎のウイルスに感染して、ギヴリンに関して不穏な言葉を残して重体になる。そしてイギリスはそのウイルスが蔓延してパンデミックが起こる。非常事態の中、ギヴリンの指導教授ダンワージーが彼女を救うために奔走する。
タイムトラベル直後、想定外の病に倒れたギヴリンだが無事回復する。しかしのちにタイムトラベルした先についてとんでもない事実が判明し、そこからギヴリンの絶望的な戦いがはじまる。
2.30数年前に書かれたパンデミックとの戦い
ダンワージーがギヴリン救出のためにあらゆる手を尽くそうと奮闘するのが話の大筋ではある。だがそれと並行してこの物語にはもう一つ大きな柱がある。
それは「パンデミックとの戦い」だ。
現代パート、過去パートともに(当時は)原因不明の感染症におびえ、狂い、戦い続ける人々を描いている。
特に現代パートは今読むとコロナ禍を想起することは間違いない。
感染を広げないために患者はもちろん、接触者も隔離され、大学が閉鎖される。感染者の増加により病床がまたたくまに埋まり足りなくなる。医療従事者は原因究明と患者の治療に日夜明け暮れるが自身もどんどん病や過労で倒れていく。隔離はよくないとデモ行為を続ける政治団体もいる。
それでも見えない敵とひたすら戦い続ける人間たちの姿はまさにコロナのパンデミックが起きたときを彷彿とさせる。
現代は現代で非情な物語が進むが、過去パートはこれほど悲惨という言葉が似合う展開はない。
14世紀の知識がある方は分かるかもしれないがギヴリンの滞在する村で「とある病」がパンデミックとして蔓延する。
(「とある病」としたのは、この病の話がギヴリンの救出に大きく関わりネタバレ要素を含むためである)
タイムスリップ前にその病のワクチンを接種したギヴリン以外、村の住人はどんどん倒れていく。この時代には衛生知識も治す方法もない。それでもギヴリンはあきらめずに住人を看病しパンデミックと戦う。
戦っているのは彼女だけではない。住人の中にも自分が倒れることを恐れることなく、周りのために戦い続ける人がいた。
パンデミックが起きてからの過去パートは非情かつ悲惨だ。だが、その中にある一筋の光が当時の人々の(後世から考えると無駄や見当違いだとしても)パンデミックとの戦う姿勢なのかもしれない。
この作品が発表されたのは1992年である。コロナ禍を踏まえて書かれたものでもなければ、コロナ禍のような状況を予言して書かれたものでもない。
しかしコロナ禍を経験した僕らはこれを読んで思ってしまうのではないか。「これは予言の書だ」、「これは私たちの物語だ」と。
これが小説がもつ強さなのだと思う。フィクションを通して僕らは未来にあり得るかもしれないシチュエーションを実は体験している。どんな評論や未来予想よりも物語の世界はきっと遥か先が見えているのかもしれない。
物語の3分の2をプロローグのような前フリとして使い、残り3分の1で読者を絶望と希望に連れていく。その振れ幅は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と似たものを感じる。どうか3分の2までしっかり読んだ上で残りのジェットコースターを味わってほしい。