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あなたの「書く」をトータルレクチャー―竹村俊助『書くのがしんどい』


1.「書き方を知っている」と「書き方を使って書ける」の差

タイトル通り「書くのがしんどい」気持ちは軽くなる。でも書いたものを表で発信する覚悟を突きつけられる本でもあった。

多くのヒット本の編集やライティングを行った著者が、書くネタ作りや文章の書き方、読まれ方、書く習慣の続け方などを明かしている。主に「個人が表(SNSなど)で発信する文章」へのアドバイスだ。

文章は書くより読むほうが楽である。少なくとも僕はそう思う。著者の竹村さんも「文章のアドバイスは誰でもできる」と書いている。

また、僕は少しばかり読んでる本が人より多いらしい。読んでいて面白い文章や分かりやすい文章は明確に定義できなくても、肌感覚で自分なりになんとなくあるつもりだ。

竹村さんが教える文章の書き方に「こうやって書けばいいのか!知らなかった!」という大きな驚きや発見はほとんどない。

すべて納得する内容だし「僕が読んできた面白い文章や分かりやすい文章もこの原則に沿ってたからそりゃ竹村さんの書く通りだよな」と思える。

これを僕の「さも昔から分かってましたよ」という見栄や虚栄の混じったアピールと捉えることもできる。しかしそれはしない。

文章の書き方において「知ってる」と「書ける」にはきっと僕らが考えている以上に大きな隔たりがあるのだ。

「知ってる」にも僕のように「言われたり読んだら思い出す」レベルと「すぐ頭に浮かぶ」レベルでは差が大きい。書くときにすぐ教えが頭に浮かんだからといってすらすら書けるわけでもない。

今も昔も様々な文章術の本が出版された。中でも多くの人に読まれてるものがあり、竹村さんの本もその一冊だ。

書いてある話を血肉にして、思い出そうとしなくとも文章を書く際に自然と気をつけられるぐらいまでの文章力を身につけるにはやはり書き続けるしかないと思う。

この本は「じゃあ書き続けるためにはどうしたらいいの?」ということまで丁寧にアドバイスしている。いくら文章の書き方を頭に叩き込んでも書き続けられないと身につかないことを竹村さんはよく分かっているのだ。

2.どうしても読まれたい人に必要な覚悟の話

自分の書いた文章がまったく読まれない。

発信者全員が永遠に抱える悩みだ。竹村さんは読まれる文章の作り方やSNSを活用した自分のイメージ作りなど「セルフブランディング」についても字数を割いている。

ブランディングといっても何も特別なことは書いてない。いくつかを箇条書きで紹介する。

・著者が書きたいことと読者が読みたいことが重なる部分を書く
・自分が講演会をして人が集まりそうなテーマを選ぶ
・みんなが自分ごとになるテーマと自分の得意分野をかけ合わせる
・目的やビジョンを持ってSNS発信する
・SNSはターゲットをはっきりさせる
・信頼性、コンテンツ、愛嬌を網羅したプロフィールを作る

どれも「その通り!」と思うことばかりだ。これを徹底して実行すれば書いた文章が読まれる機会は今よりうんと増えるかもしれない。

僕も自分の考えを整理された状態で書きとめておく目的はあるにしろ、こうして表に文章を出している以上はより多くの人たちに読まれてほしい。でも、紹介した教えを実践するのはどうも心の中でブレーキがかかってしまう。

今の僕は「もっと読まれたい」と「書きたいことを心おきなく書きたい」の間をうろちょろしている。

読んだ本は基本すべてnoteに書評を書いているが、これも「本当に面白かった本」や「みんなに刺さりそうな切り口ですすめられそうな本」にしぼって書評を出した方がより読まれ、信頼のおける紹介者としてのイメージに近づけるかもしれない。

あるいは読書用のアカウントとサッカー用のアカウントをnoteもTwitterも分けるアイデアもある。それぞれ読書の人格、サッカーの人格として自分のイメージを作っていくのだ。

しかしどれも踏ん切りがつかなかった。書きとめたいことはやっぱり書きたくなるし誰かに見せたい。それはnoteもTwitterも変わらずだ。

あれこれ13年ほど継続して使ってるTwitterアカウントには多くの繋がりや自分を気にかけてくれる方が間違いなく存在している。その人たちが広めてくれることで僕の文章が読まれてる側面が否めない。それをリブランディングしたり、新たな人格を立ち上げる勇気は僕にはわかない。

そんな僕に竹村さんの本はこう訴えかけてくる気がした。実際に書かれてるわけではない。

何か目的があり本気で伝えたいのとがあるのなら、好きに書く前にやらねばならないことがあるんじゃないの?書くだけなら別に外に公開しなくてもできる。それをわざわざあえて公開する文章にはそれだけの価値が必要だし、その価値を出すために色んなことをする覚悟を決めよう。

僕はまだ覚悟が決まらないまま人にそこそこ読まれつつ、書きたいことを書ける術を探そうとしている。

ちなみに余談だが、発信者は皆発信したことを人に見てほしいという欲求を大なり小なり抱えてると僕は考えている。その程度に大きな幅があるだけだ。

たまに「自分は承認欲求はなくて発信は自己満足」と公言する人がいるが、申し訳ないことにちょっと信じられない。ならばみんなに見てるところで発信する理由がいったいどこにあるのだろう。見られたいって気持ちそのものは悪いものではないのに。

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つじー|サッカーが好きすぎる書評家
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