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パワーゲームを降りる者、降ろされる者、戦う覚悟を決める者―こざき亜衣『セシルの女王 5』


1.セシルにとっての「上総介」、クロムウェルの処刑

 現在刊行されてるマンガの中では、ダントツの面白さと深みを持っている。巻が進めば進むほど底が知れない力強さを秘めた作品だ。

 主人公の名前はウィリアム・セシル。イギリスのエリザベス1世を生涯にわたり支え続けた大政治家だ。

 もっとも5巻の時点でエリザベスはまだ女王になっていない。それどころか母親のアン・ブーリンは反逆者として処刑されており、父親で現王のヘンリー8世とその周りからはうとまれる日々である。

 いま物語で繰り広げられているのは「血も涙もない権力闘争」だ。現王の歓心を買っていかに自分の思い通りに事をなすか。男性は男性なりに、女性は女性なりのやり方でライバルを蹴落としのし上がろうとする。たとえどんなに血が流れてもだ。

 このパワーゲームぶりは、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を想起させる。あの作品も源頼朝やその後継将軍を頂点とした権力闘争の果てにある殺し合いが描かれている。

 この作品のセシルも鎌倉殿の北条義時も、何でもないピュアな青年主人公として登場した。それが最愛の人や影響を与える人物との出会いや別れを通じて、清濁あわせのんだ政治家へとだんだん脱皮していく。

 鎌倉殿で視聴者に衝撃を与えたシーンの一つが上総広常(上総介)の殺害である。

 関東で一番の武力と人望を持つ上総介は、源頼朝にとって「最も頼りになる者」だった。上総介も頼朝を信頼し、御家人たちによる頼朝への反乱を未然に阻止するなど活躍する。義時も上総介を慕い、上総介も若き義時に目をかけていた。ところが頼朝は「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」とし、上総介に反乱の責任をかぶせて御家人たちの前で見せしめに殺害する。

 慕っていた上総介を目の前で殺害された義時にとって、この事件がターニングポイントの一つになる。これを機に義時は少しずつ清濁の「濁」をあわせ持つ人物に化けていく。

 実は似たような展開がセシルにも待っている。王の絶大な信頼を得ていた大政治家のトマス・クロムウェルは、セシルにとっては尊敬する生きた手本だ。そしてクロムウェルもセシルに目をかけていた。しかしクロムウェルは対抗勢力の工作によって王の信頼を失い、ついに反逆者として処刑される。

 セシルにとってクロムウェルの処刑は、義時と同じくターニングポイントとなった。この後セシルが政界に入り込むべく近づいて信頼を得たのは、よりによってエリザベスの母アン・ブーリンを葬った仇敵ハートフォード伯である。彼に気に入られたセシルが政治家への道を歩んでいく姿はおそらく次巻以降でみられるだろう。この終わりの見えないパワーゲームを戦う覚悟を決めたのだ。

 他にも『セシルの女王』と『鎌倉殿の13人』の類似点はセシルと義時の比較などで語ることができる。

 国は違えども権力闘争の構造というのはどこも似ているし、権力をめぐって殺し合うきっかけも実は万国で普遍的なものかもしれない。

2.あいつも、こいつも、自分も、王も、誰もがピエロの世界で

 この時代のパワーゲームは、原則「絶対権力者(王)が築いた土俵」の上で行われる。どの視点から見るかで見え方が変わるのもこの作品の特徴だが、現王から見ると男性も女性も自分の土俵で踊るピエロにすぎない。その土俵から望んで降りる者はなく、失脚か死で降ろされるしかない。誰もがそう思っていた。

 ところが今巻ではその土俵から自ら望んで降りた特異な人物が登場する。現王の4番目の妃であるアン・オブ・クレーフェだ。

 アンは、クレーフェ公国(現ドイツの一部)からイングランドにやってきた。母語はドイツ語で、英語はたどたどしい。ここまではいい。現王とイングランド、そしてアンにとって問題だったのが、彼女が誰とも愛し合うつもりがないし、子供を産むつもりもなかったことだ。

 彼女は、隠れて現王の愛人となっていたキャサリン・ハワードに自らの身の安全と引き換えに王妃の座を譲ると持ちかける。そして本当に現王との結婚の無効と、イングランド国内に身の安全と生活が確保された領地を手に入れてしまう。

 結婚の無効が決まってからアンと現王は対面するも終始話がかみ合わない。「誰の妻にならず一人でいられる幸せをかみしめる」アンと、「女性は少しでも身分の高い男性と結婚し子供をたくさん作るのが幸せと信じる」現王では価値観がまるで違う。

 だが面白いのはここからだ。そんな価値観のまったく違うアンに対して、現王はこんな言葉を残す。

そなたが妻でさえなければ、不思議と話しやすい。
今後は親しみを込めてそなたを"王の妹"と呼ぼう。
自由に生きよ、我が妹よ。

こざき亜衣『セシルの女王 5』p58

 自分を愛することも、自分と子供を作ることも拒絶した。価値観もまったく合わない。そんなアンに現王は「人間」を見たのではないだろうか。

 パワーゲームの土俵で勝ち抜くことを望まない。そんな土俵がなくても自分で幸福を見つけられる。誰もが自分に気に入られて勝つことしか考えてない世界で、彼女はただ一人ゲームのピエロにならなかった。結婚の無効によってアンは現王にとって自分の周りにいる唯一の「人間」になったのではないだろうか。

 そして彼は気がつく。自分自身もまたパワーゲームの土俵で踊り続けなければならないピエロにすぎないのだと。彼はアンの中に自分にはなく、もう望んでも手に入らない生き方を見出した。だからこそ彼は言う。「自由に生きよ」と。自分が絶対に手に入らない幸せを手に入れようとしている妹をうらやんで。

 ここでは書ききれなかったが、アンとは真逆で現王と同様にパワーゲームの土俵で生き続けざる得なかったのがアンに譲られて5番目の王妃となったキャサリン・ハワードである。彼女の生き様は、女性として生きるのにはこの社会がいかにいびつかを訴える。アンとキャサリンのコントラストもむごたらしいぐらい響く。

 僕のように史実を調べた人は、今巻で出てきた人物たちがどのような人生をたどるのか知っているはずだ。知っているからこそ「いったいどこでどうなるんだ」とわくわくする。史実を調べてない人は、これからの展開がどうなるか手に汗握りながら次巻をまちわびてほしい。どちらの楽しみ方もおすすめである。

3.参考資料

◎まるで英国版『鎌倉殿の13人』!今、『セシルの女王』がおもしろい(つじー)
 4巻時点で『セシルの女王』をおすすめした記事。こちらも合わせて読んでみてほしい。

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つじー|サッカーが好きすぎる書評家
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