趣味と専門分野の理想的かけ算―原武史『「鉄学」概論』
1.ジャンルの越境から生まれる「鉄学」
僕にとって「憧れの本」のひとつだ。
著者は日本政治思想史の専門家である。特に近現代の天皇・皇室を中心に研究している。
専攻にまつわる本はもちろん、彼の著書で目を引くのは鉄道に関する本の多さだ。他者から見ると彼はマニアと呼んでもいいくらいの鉄道好きである。自分の趣味にまつわる本も多数出しているのだ。
だが、彼の鉄道本の特色は単純に趣味の範囲だけにとどまらない。鉄道を通して自分の専門と重なる日本近現代史を様々な角度から語っていく。趣味と専門分野がつながっているのだ。
原さんは鉄道を通した自らの思索を「鉄学」と称している。
僕は鉄道が特別関心があるわけでもない。しかし己の趣味を起点にして時代や社会、地域を考え、語っていく行為に対してとても憧れる。
僕にとって趣味は趣味で完結しないから魅力的なのだ。別に何かに関連付けようと思っているわけではない。でも勝手に趣味の範囲からにじみ出てきて他の分野へと「越境」していく。原さんは趣味の鉄道から専攻の日本政治思想史へ軽やかに「越境」している。
鉄道というあらゆる場所に存在し、日常に根付いているものだから彼の「鉄学」がここまでの広がりを見せていることも間違いない。鉄道を敷いて維持し発展することには、政治史や経済史が否応にも絡んでいる。
僕の趣味であるサッカーでは鉄道ほど軽やかな越境は難しいだろう。だが鉄道がレールや駅だけの世界でないように、サッカーもピッチ内だけの世界ではない。僕がサッカーから他分野に「越境」を試みる際の思考や観察のヒントになってくれる。
2.人間の思考は鉄道に縛られている
本書は異なる切り口から鉄道と日本の近現代の関わりを書いた全8章で構成されている。
原さんは永井荷風や高見順などの作家の日記や随筆に書かれた鉄道の記述から思考を広げていく。
人間の行動や思考が環境に左右されることは既に多くの人が指摘している。たとえば家庭環境、会社や学校などの所属している組織があげられる。人々は無意識に自分の置かれた環境に己を乗っ取られているのだ。
原さんは大都市に生きる作家の思考には、ときに眺めときに利用した鉄道の沿線風景がにじんでいるのではと考えて彼らの文章を読み解いていく。
僕は環境といえば「どこにいるか」という所属や所在地に目が向いていた。原さんは所在を起点に「何を見ているか」まで視点を広げている。そこで大きなヒントになるのが鉄道というわけだ。
鉄道によって思考が規定されるのは作家だけではない。一般庶民も同じである。
原さんは明治から昭和前半(敗戦まで)にかけて全国の鉄道に最もよく乗った人物に天皇をあげている。天皇や皇太子はお召列車に乗って全国各地を行幸啓(訪問すること)をしていた。この行為により日本の人々は自らを天皇を元首とする国の臣民だと自覚する仕掛けになっている。
対して、ある交通機関の広がりによって天皇や皇室の存在を意識しずらくなった例もある。それが地下鉄だ。
東京都は元々都心を路面電車が走っていた。都電である。ところが次第に都電は地下鉄へと取って代わられる。都民の足が地上から地下へと移ったのだ。
桜田門と半蔵門。これらはかつての都電でも現在の地下鉄でも停留所・駅名になっている。しかし今の人々が桜田門駅や半蔵門駅から実際の桜田門や半蔵門を想起することができるだろうか。
都電時代は各停留所に止まった際にそれぞれの門を眺め、その奥にある皇居をイメージできた。今、駅名としての桜田門と半蔵門は門そのものやその向こうの皇居をイメージさせるものではなく記号になっている。これも鉄道によって人々の思考が規定される一例である。
鉄道に限らず自分の思考や言葉が何に影響をうけているのか。それを確かめる、観察する楽しさをこの本は教えてくれる。
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