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ずっと読むことができなかったマンガを読んだ話―押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』


1.「どうすることもできない劣等感」が吃音者をむしばむ

おそらく吃音(作品では「あえて」明言されてない)である女子高生の主人公がクラスメートとの出会いを通して生きるための新しい一歩を歩もうとする物語だ。

吃音とは話し言葉がなめらかに出てこない症状のことだそうだ。

これを僕なりには「しゃべる言葉がはっきり頭に浮かんでいるのに口から出てこない。空気だけ出てきたり、連発音がでたり、何も出てこなかったりなどする症状」と解釈している。

この作品では吃音者なら誰もが味わったことのある場面や感情を追体験できてしまう。

しゃべらないといけないところでしゃべれない。しゃべれるのがこわくて一人になる。周囲のからかい。「がんばれば治る」や「落ち着けば大丈夫」という大人の理解不足。

吃音者が最も多く味わう感情は「どうすることもできない劣等感」だと僕は思う。

志乃は新学期最初の自己紹介で吃音により自分の名前を言うことができない。嫌な言い方をあえてすると「自分の名前」にも関わらずである。

このマンガには出てこないが、他に吃音者にあるあるな場面としては、授業の音読でまったく読めないや電話対応で会社の名前が言えないなどがある。

これらに共通するのは「言うべきセリフ」が決まりきっていることだ。つまり一般的にはただ読めばいいだけ。即興でお話を考えてしゃべるより楽なはすだ。

でも吃音者の本人にとって言いづらい言葉があったりすると、決まり文句なのにまったく言えなくなる。周りからすれば不思議でしょうがない。決まってる言葉なのにと。

例えば誰かと話していて、気の利いた言葉や話したいことが浮かんできたとしよう。タイミングもバッチリだ。

でも出てこない。頭にはっきりと文章が浮かんでるのに口から出てこない。そして時間が過ぎていく。自分はただ黙って話を聞くおだやかな人として、気の利いた言い回しをする人たちをうらやましがるばかりだ。

ポイントは吃音には絶対的な治療法が必ずしもあるわけではないことだ。たとえば田中角栄は浪曲を歌うことで吃音を克服したと言われている。だからといって、吃音者全員が浪曲を歌ったからといって治るわけではない。

人それぞれ、何かしらの方法で吃音が軽くなったり治ることはあるが、全員に当てはまるわけではないし、まったく治らず生涯を終える人もいる。ある意味では努力のしようがない。努力の方向性が分からないのだから。

だから「どうすることもできない劣等感」なのだ。努力でどうにかなる絵が見えてこない絶望感。一生ついて回る「人として欠けてる」という感情。

その劣等感はしゃべることだけじゃなく、自分のあらゆる人格をむしばんでいく。

友人関係、恋愛、仕事、何かへのチャレンジなどあらゆることに対して根っこに自信が生えてこない。他人が自分を「しゃべれないくせに」と笑っている気がする。

そしてすべての要因を吃音であることに求めてしまい、どうすることもできない劣等感に再びぶつかり感情が負のループを繰り返す。

2.人生のすべてを吃音で覆わないということ

この作品の志乃もまさにそんな感情にむしばまれていた人だった。実際に作中でも友達になった加代と、このような感情が志乃の中で重なった結果、衝突し絶交する。

でも志乃は最後に気がつく。自分をバカにし、自分を笑い、自分を恥ずかしいと思っているのは自分自身だと。だけど自分はこれからもずっと自分なんだと。このことを体育館で叫ぶ11話は名場面だ。僕は泣いてしまった。

この気づきは「すべての原因を吃音に求めることを断ち切ること」に繋がってる。もちろん吃音が理由でうまくいかないことはいくらでもある。それはその通りだ。でもそうじゃないことだってきっと同じくらいあると信じたい。

吃音で人生をすべてを覆わないことで、今まで見えてこなかった自分のよしあしが分かり、覆ってない部分に光が見えるかもしれない。

大人になった志乃は、決して吃音が治ったわけではない。でも親友ができ、結婚し、生まれた子供には愛されている。間違いなく彼女はあの日体育館で叫んでから自分自身を生き続けているのだ。

本編だけでなく、あとがきまでじっくり読んでほしい。ここで作者の押見さん自身が吃音者としてつらい思い出を持っていることが明かされる。

そして「あえて」吃音と作中に出さなかったことも記してある。「とても個人的でありながら、誰にでもあてはまる物語になればいい」という言葉を添えて。

確かに11話での志乃の叫びは、吃音ではない何かしらの劣等感を抱えて生きてる人たちにも届く言葉だろう。彼女の叫びを聞いた音楽好きでギターの練習をしているけど重度の音痴な加代の顔をみると、なんとなくそんな気がする。

3.僕がこのマンガをずっと読めなかった理由

最後に、ここで書いた吃音の症状の具体例や感じてきた劣等感はすべて僕の吃音者としての実体験である。ここ数年、かなり改善されてはいるが、特定の場面で症状が出るのはずっと変わらない。

だから吃音を題材にしたこのマンガは、10年前に発売された時からずっと興味があり読みたいと思っていた。でもこの作品は吃音者の感情を追体験できるぐらい吃音にまつわる描写がリアルだ。だから読んだらいろんな時の感情が思い出されて辛くなるだろうと思って読むことがずっとできなかった。

発売から10年が経ちやっとこのマンガを読めた。やっぱり泣きながら読んだ。ひょっとすると、やっと自分も志乃のように自分自身を生き続ける準備ができるようになったのかもしれない。

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つじー|サッカーが好きすぎる書評家
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