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氷河期世代の四次元棺桶

 この国のサブカルチャーは、氷河期世代の墓標としての役目を背負わされている。本来なら国が背負い、後の世代で失政を繰り返さぬという誓いに代える必要があったが、老人達は役割を放棄した。結果、ゲームとアニメ市場が代行している。韓国製である筈のGungrave G.O.R.Eも、狙ってか偶々か、彼の世代を狙い撃つ物に仕上がっている。初代FCからPS1~2の混沌を経て現代まで、ゲーム文化を伴侶としてきた世代が昔を懐かしむ様な物に。


 

 Gungrave:ODSerious Sam3の終盤を無理矢理捻じ込んだ様な、ちぐはぐなデザインを持つG.O.R.E.。これの何が郷愁を誘うのかというと、単純な出来の悪さ旧世代的なプレイ感だ。ドンブリ勘定で配置されたであろう敵の数、爽快感を削ぐ硬さ、フレーム回避に使えないドッジ、無駄に数だけある技の数々、ノックバック地獄によるハメ死の頻発。ソウル系が隆盛を極めた今の感覚からすれば、テンポが悪く、直感性に欠け、見るも無残なこのプレイ感。これこそがPS2以前、アクションゲームのノウハウをごく一部のメーカーしか持ってなかった時代を思い出させる。

 


 洗練の不足から来ているのであろう汚点が、「あの頃はこうだったな」という懐かしさを想起させる。それはさながら、舗装されてない道路や稲刈りが終わった田んぼで、擦り剥きながら遊び転げた記憶の様な物だ。氷河期世代は(国内家庭用機市場の)ネイティブではないにも関わらず、幼少期からゲームにも触れて来た世代だ。ボロ屋の周りを駆け回る昭和の子供達の遊びその一つとして、黎明期の未洗練なゲームを食ってきた。混沌としたPS1時代も、洗練の時代へと第一歩を踏み出したPS2時代も。意図的なのか完成度の低さ故なのかは知らないが、G.O.R.E.はその歩みの記憶を美化して抽出する物になっている



 シリーズファンの名誉のために断っておくと、PS2のGungrave、Gungrave:ODはG.O.R.E.程にはテンポの悪い作品ではない。システムこそ共通だが、もっと爽快なレベルデザインをしている。過去作の再臨を望んたファンほど、一歩進んで二歩下がる様なG.O.R.E.のレベルデザインに不満があるだろう。QTEも昨今の様な洗練された使い方をしておらず、理不尽に死ぬ場面も多い。G.O.R.E.が想起させるのは、あくまでPS2以前の時代を俯瞰した昔話だ。特定のシリーズに由来する記憶では無い。



 G.O.R.Eは人様に薦める様な物でもないし、今を生きる若者の御眼鏡に叶う様な物でも無い。オッサンが一人で、過ぎた時を偲びながら浸るインタラクティブアニメだ。懐かしい。設定上は強いクセにゲーム上では貧弱な要介護系タフガイな主人公も。筋道だった攻略法を開発も考えておらず「まぁこんなもんやろ」と配置された雑魚敵達も。この粗雑さが懐かしい。故に本作をポジティブに語ろうとすると、おっさんの昔話になる事がどうしても避けられない。人様にやれば害悪と断罪される「おっさんの昔話」を、モニターとコントローラーに聞き手をやってもらう事で人様に迷惑を掛けずにやる手段がGungrave G.O.R.E.なのだろう。歳をとったからといって説教、昔話、自慢話をやらずに居られるのは、金に困ってない人達だけなのだから。



 産まれた年だけを理由に人権と『人権』を剥奪されてきた氷河期世代に、市場になるからと媚びを売るわーくにのサブカル。卑しかろう。醜かろう。だが、彼の世代を”無敵の人”にする事なく社会からご退場願う現実的な手段なのだろう。国が放棄した役割を、市場が代わっているに過ぎない。


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