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史跡・遺跡、神社仏閣巡り

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先祖に関連する史跡・遺跡や神社仏閣を巡る記事をまとめたマガジンです。 更新頻度は1-2回/月程度。 主に愛知県の西三河が多くなります。 歴史や歴史的建造物がお好きな方に。
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記事一覧

【歴史散歩】岡崎城石垣~伊賀八幡宮(愛知県岡崎市)

※駆け足で書いたため、間違いが多いかもしれません はじめに2時間ほどファイルの待ち時間ができたため、先日、運動不足解消も兼ねて岡崎城の石垣を眺める⇔伊賀八幡宮を行ってきた。 今年は未だ初詣すらしていなかったため、初詣も兼ねてだ。 ※拙宅の神棚には相応のお祀りはしている 位置関係先だって、今回の歴史散歩の位置関係を以下のとおりにお示しする。 次に、岡崎公園内で今回写真に収めた石垣の場所を以下のとおりにお示しする。 それでは、歴史散歩へレッツゴー。 岡崎公園内の石垣石

【神社仏閣巡り/先祖の足跡巡り】松平郷 松平郷展望台、松平城址(愛知県豊田市)

はじめに今回の記事は前回の記事の続きにあたる。 遊歩道を歩き、「松平郷展望台」と「松平城址」を訪れた記録だ。 それでは、レッツ山歩き。 松平郷場所 今回で触れる場所の位置関係を以下のとおりにお示しする。 松平郷展望台 「高月院」を後にし、遊歩道に向かう。 ここから傾斜がそこそこある階段をのぼる。 暫くのぼると遊歩道に合流。 緩やかといえば緩やか。 しかし、久しぶりのトレッキング。鈍った体にはキツイ。 しばし歩くと到着。 この日は少々ガスっていた。 「常日

【神社仏閣巡り/先祖の足跡巡り】松平郷 松平東照宮、高月院(愛知県豊田市)

はじめに以前の記事でも再三触れてきたが、欠の郷・鈴木氏の先祖は墨右衛門重辰と松平新右衛門姉だ。(俗名が分かりかねるため、ご容赦願いたい) その弟/義弟は松平新右衛門。 以前より訪れたかった和歌山県海南市。鈴木(穂積)氏発祥の地。 昨年末に宿まで予約したのだが、仕事等の都合でまとまった休みが取れなくなり、泣く泣く断念した。 そういうことも背景にあり、松平新右衛門姉・松平新右衛門の先祖にあたる松平氏発祥の地を先日訪れた。 血は薄くなってはいる、それは確かだ。しかし、私も

【お城巡り/歴史散歩】岐阜城(岐阜県岐阜市)

はじめに以前の記事で、昨年12月に犬山城・犬山城下を訪れたことに触れてきた。 その際、犬山城の最上階から岐阜城を望めた。 このアカウントで訪れる場所の選定は ・先祖と縁のあるところ ・記事で触れたなど、なにかしらの縁ができたところ を基本的な柱にしている。 「縁ができたから、これは岐阜城にも行かねば!」と思い、昨年12月中旬に訪れた際の訪問記だ。 岐阜城場所 岐阜城の場所を以下のとおりにお示しする。 ストレス過多状態であったため、リラックスしたいこともあり私は公共

【お城巡り/歴史散歩】犬山城下を歩く 犬山城(愛知県犬山市)

※今回も文字少な目、写真多めの記事です はじめにあけましておめでとうございます 今日から仕事始めの方が多いかと思います。仕事始めが月曜日だとなにかと大変かと。適度にがんばりましょう。 私も今年は寝正月にしたため、割としんどい さて、今回は前々回の犬山城下を歩く記事の続き。犬山城を写真と共に振り返っていく。 お付き合いいただけると幸いだ。 ※訪問は2024年12月上旬 犬山城特に説明は不要だろう。 現存天守・国宝の城。そのうちのひとつだ。 少々道のりを戻り、三光稲荷神

【神社仏閣巡り/歴史散歩】犬山城下を歩く 先聖寺・猿田彦神社/三光稲荷神社・針綱天満宮(愛知県犬山市)

※文字少な目、写真多めの記事です はじめにここ1年半近く岡崎市にいると大変に気が滅入るため(意味深)、先日も少々他の市の散策をしてきた。 今回は12月上旬に心身のリフレッシュのために散策をしてきた犬山城下の歴史散歩(犬山城は後日)の記録だ。 犬山市先ずは犬山市の位置を以下のとおりお示しする。 名鉄電車では少々お得な「犬山城下町きっぷ」がある模様。 それでは歴史散歩の記録へ。 先聖寺犬山駅から犬山城下町に向かって歩き、犬山城下町の通り(犬山城方向)を逆に進む。 先ず

【仏閣巡り】三河鈴木氏の祖・善阿弥殿がご開基の光恩寺・龍興寺(愛知県豊田市)

はじめに前回の記事で「三河鈴木氏の祖と云われる”鈴木重善(善阿弥)”殿は某仏閣のご開基となられている」と述べた。 今回はいつか行ってみたいと思っていた、旧竹村城周辺の鈴木山光恩寺に訪れた際の記録を写真と共に振り返ってみたいと思う。 鈴木山光恩寺(浄土真宗)場所 先ずは光恩寺の場所を以下のとおりにお示しする。 詳細な地図は以下のとおり。 善阿弥殿は熊野の出で源義経公に仕える。 私達一族の900年強ほど前の先祖・重治も熊野の出。加えて、同様に源義経公に仕え、藤代に於い

【神社巡り/先祖の足跡(かもしれない)巡り】八柱神社(愛知県安城市川島町)-参拝理由と先祖の足跡と-

はじめに 今回の先祖の足跡に依る神社巡りは、単なる”可能性がある”というものだということをはじめに断言しておく。 その点、何卒、ご容赦/留意ください。 前回の記事で安城市に在る「八柱神社」赴いた際の写真を掲載した。 今回は参拝理由をそう思うに至った根拠も交えて記述していく。 私達の先祖・重辰が欠村に越してくる前は櫻井村(現 安城市桜井町周辺かーー詳細地区は不明)に住んでいたと聞く。 櫻井村と聞いても具体的にどこか判らない。 そこで、重辰の父・小五郎重則の出生録を調べて

【神社巡り/先祖の足跡(かもしれない)巡り】八柱神社(愛知県安城市川島町)

はじめに私は先祖が成したことを書くために、このnoteアカウントを運用している。 いつもどおり資料も提示して……といきたいところだが、ここ1か月強ほど過度なストレスから調子が''これまで以上に''今ひとつ。 資料も併せてーーは今回は少しばかり叶わない。 愚痴はさておき、今回は岡崎市のお隣に在る安城市の神社を訪れた。 後日、別の記事にて参拝理由と根拠を提示したいと思う。 八柱神社(安城市川島町)場所 先ずは場所を以下のとおりにお示しする。 詳細地図は以下のとおり。

【地方史】岡崎宿はずれにて尾張の鯛飯屋が殺害された件③(本論2 尾張の商人の記録)

はじめに「ものごと」は一方からのみの視点で見ると本質に辿り着かないことが多々ある。 えてして人は自分にとって都合の悪い情報は過少に見積り、他人に提供する傾向があるからだ。 さて、今回は尾張の商人・桑山好之が記録した『金麟九十九之塵(こんりんつくものちり)』に記録された文書を基に「鯛めし騒動」に肉付けしていきたいと思う。 ※『名古屋叢書 第7巻 地理編(2)』に書かれたものを基にしている 騒動のおさらいあらすじでも長くなる。 そのため、相関図と事件の経緯を簡単にまとめた

【神社/先祖の足跡巡り】知立神社(愛知県知立市)

はじめに前回の記事では、先祖・重辰の弟(衛門三郎重福)が祀官のひとりとなったと伝わっている猿投神社(愛知県豊田市)に触れた。 そろそろ先祖の歴史等に触れたいが、著作権関係の転載許可申請など時間が未だもう少し要る。 そのため、今回も先祖とかかわる場所に訪れた記事になる。 知立神社前置き 歴史に精通されている方には説明不要の古廟。 結城秀康公の母君・於万の方様と所縁ある神社だ。 私達の一族とのかかわりは、重辰の嫡男・重焉(後、平井馬之亟と改め 子は甚太夫かーー)※が結城

【神社/先祖の足跡巡り】猿投神社(愛知県豊田市)

はじめに先日、以前より訪れたかった猿投神社に行ってきた。 ここ数年。愛知県は随分と暑い。 しかし、今年はその暑さがなかなかに長い。 そのため、このタイミングでの訪問だ。 さて、今回訪れた猿投神社。 先祖・重辰の弟 重福(衛門三郎)が則定城(だと思われる)への転居を経て祀官のひとりとなったと伝わっている古廟だ。 ちなみに、竹村城を築城したとされる鈴木七郎重善(善阿弥)殿と私たちの一族は先祖/始祖の系譜が異なる(私達の一族は”熊野別当”とあるため、当時、別当における神官の

【仏閣巡り】三河一向一揆・一向宗の主拠点となった本證寺(愛知県安城市)

はじめに愛知県は寺院が多い。 明治時代初期に現・愛知県に非常に多くの住民がいたこと(当時、全国3位の人口数)や、武家に縁があった浄土宗の寺院の数も全国と比較して多いなど、どうやら昔からの所以があるようだ。 私の一族も結城秀康公に従った重辰の長男・重焉、織田信秀公に従った重辰の伯父・重旭も浄土宗の戒名(法名)が記録として残っている。 しかし、どういう理由だかわからないが、重辰以降、遺っている先祖代々の法名は浄土真宗の法名だ。 「神式(諡 おくりな)では……」と思いつつ、記

【史跡/仏閣巡り】寺部城城門が移築された小松山 誓願寺(愛知県安城市)

はじめに7月下旬に「安城城址(ねこづくし展)」に行った際、「近くに心惹かれる神社仏閣はないかーー」と探した。 すると、先祖・重辰の父 重則が居を構えた(とされる)姫小川(現・愛知県安城市姫小川町周辺か)に誓願寺という寺院を見つけた。しかも、山門はGoogleレビューで「(豊田市)寺部城から移築されたーー」とある。 「これは是非訪れなくてはいけない」と汗を拭きつつ7月下旬、また、本当に寺部城の城門か否かを確認した上で先日に再度訪れた。 「真宗大谷派 小松山 誓願寺」に訪れ