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「寄らば大樹の陰」の逆を行き、人が集まる場をつくってきた ~対談・カフェ・カンパニー楠本代表 兼 ZEROCO代表×IISE 藤沢理事長

自社の考え(ソート)を社会に広く発信し、共感する仲間を集めて実現を目指す「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)活動」。これを体現している企業の経営層やキーパーソンの方々との対談を通じて、「ソートリーダーシップ活動」のヒントを探っています。
第10回のお相手は、カフェ・カンパニー代表 兼 ZEROCO代表の楠本修二郎氏。コミュニティの場として多数の飲食店を展開する一方、食料の保存に革命を起こす新技術「ZEROCO(ゼロコ)」を広げています。まず行動し、内面にあるモヤモヤを形にして仲間を集め、順序立ててソートを発信する。社会実装の進め方について伺いました。


「オンリーワンをつくる」の考えで、まず1軒のカフェを

藤沢 様々な人物を巻き込みながら、「カフェ・カンパニー」から始まって「東の食の会」「ZEROCO」など、食に向き合う多彩な活動をされてきました。その原点はどこにあるとお考えですか。

楠本 小学5年生の頃に、漠然と考えていたことが発端です。30歳を過ぎて起業して、それを徐々に実現している感じがします。

子供の頃、福岡県にあった米軍基地のそばに住んでいました。フェンスの向こうはアメリカです。アメリカの文化に憧れていました。外国船が博多湾に入ってくるのを、飽きもせず見ていました。いつかあの船に乗り、海外へ行きたいと思っていました。

カフェ・カンパニー代表取締役会長 兼 ZEROCO 代表取締役社長 楠本 修二郎 氏

「風景が人を創る」とよくいわれます。小学生の頃に見ていた風景、妄想していたことが、今のビジネスにつながっている気がします。当時は簡単に海外へ行けませんでしたから、みんなと同じように受験して、早稲田大学に入りました。上京すると遊び慣れた先輩たちがたくさんいて、一緒に授業そっちのけで六本木、渋谷、原宿あたりを闊歩していました。そうしているうちに、学生起業して広告代理店の下請けのような仕事を始めたのです。雑誌の記事を制作したり、パーティを主催したり、商品企画やマーケティングなどの仕事をしました。

ある先輩が、六本木でレゲエのライブハウスを経営していました。当時レゲエのライブハウスは珍しく、日本にはその1軒しかなかったと思います。ジミー・クリフやサード・ワールドなど、世界的なミュージシャンが来日しては、その小さなライブハウスで普通に演奏していました。いつも満員で、すごいエネルギーでした。

その先輩は、オンリーワンの店しか作りませんでした。そこにしかない空間を創れば、世界中から人が集まります。「新宿第三倉庫」というクラブも経営していましたが、やはり外国人しか来ないようなオンリーワンのお店でした。

人の集まる場をつくることが、強いメディアになる。そのことを彼から学びました。自分もいつか、それをつくってみたいと思うようになりました。しかし、当時の自分はビジネスも分かっていないし、資金も人脈もありません。まずはどこかに就職して、勉強しようと考えました。人が集まる場をつくるなら、不動産のことを学んでおこうと考え、リクルートコスモス(当時)に入社しました。

でも1988年に入社した後、すぐにリクルート事件が発覚。社長秘書となり、対応に追われる日々を過ごしました。気づけば5年も経っていましたが、不動産のノウハウはあまり習得できていませんでした。このままいても自分のキャリアが見えてこないのではと思って退職したそんな時、運よくマッキンゼージャパンの会長だった大前研一さんの事務所に声をかけてもらったのです。

IISE 理事長 藤沢 久美

藤沢 人とのご縁の中で、いつの間にか自分の領域が広がっていったような感じですね。

楠本 そうですね。20代のうちは内側に籠らず、外へと広げていくべきです。若い人たちにも、よくそういっています。

私が人生で最も影響を受けたのは、大前研一事務所でした。47都道府県を股にかけ、出張ばかりしていました。世の中にはいろんな考えの人がいることを学びました。そんな中で徐々に「コミュニティ」という概念が自分の中で大きくなっていったのです。

思い起こせば、リクルートコスモスで社長秘書をしていた頃も、社長が忙しくてお客様や社員と会えない時は、私がお客様や社員を集めて食事会を企画したりしていました。その延長線上で、大前さんの事務所でも多種多様な会合を設定していました。

人が話す内容は、場の空気に影響されます。その事実に気づくと、45度の角度で話ができるようにテーブルをセットしたり、円卓を増やして会合が成功しやすくするなど、場づくりのことを考えるようになりました。

大前さんの縁で、様々な会社のインキュベーションやスタートアップを手伝いました。その集大成として、自分の中にコミュニティの概念が確立され、カフェのビジネスにつながっていったと思います。

藤沢 いつ頃から、カフェをつくろうと思われたのですか。

楠本 1990年代の後半ごろです。バブルが終焉し、日本は再生しなければならないのに、誰も時代の方向性を打ち出せない。妙な違和感を覚えていました。

今の私なら、日本が進むべき方向はこれだと言葉にして語れますが、当時の私は「何かおかしい」と、モヤモヤしていただけでした。そこで、大学時代の先輩を見て考えた「オンリーワンを創る」というコンセプトを信じ、まず1軒のカフェを作ってみようと考えたわけです。

藤沢 「モヤモヤ」という状態で、言葉にできない何かを感じていた。それをとにかくまずは、目に見える形で世に出してみようと考えたのですね。

楠本 はい。みんなが言っていることや、報道されていることの逆をやってみようと思いました。「寄らば大樹の陰」の逆を行けば、何かが生まれるのではないか。そんな感覚です。大学時代に先輩がやっていたライブハウスの熱狂を見ていたので、そこに答えがあると感じていました。

ジャーナリズムも保険も革命も、カフェが起源

楠本 ところで、私は学生時代から「超」がつくレベルの歴史オタクです。カフェの歴史を見ていくと、面白い事実がたくさんあるんですね。大航海時代、人々は香辛料や砂糖を求めて大海を渡りました。海で正しい方向を知るには、夜の星を見るしかありません。夜中に起き続けるために、船長や航海士たちはコーヒーを飲むようになりました。コーヒーは大航海時代の必需品。旅とコーヒーは、ワンセットなのです。

香辛料や砂糖を積んだ船が欧州の港に着くと、争奪戦です。1日でも早く着けば高値がつきますが、遅れれば大暴落。だから情報戦は必至でした。人が集まるコーヒーショップに、自然と情報が集まりました。ジャーナリズムはカフェから始まったのです。保険もそうです。英国のロイズ保険組合の前身は、コーヒーショップです。海運情報を載せたロイズニュースを発行したことでカフェが大繁盛し、次第に海上保険の引き受けが行われる公認の場となりました。

1杯のコーヒーがコミュニティをつくり、情報産業や保険産業を作ってきたわけです。フランス革命も、カフェの発達と切り離して語れないという歴史家がいます。リアルな場所で人が語り合う情報にこそ、最高の価値があるのです。

日本にも、その場を作らないといけない。しかも、理屈っぽいやり方ではなく、人が楽しめるハッピーな場所にしたい。それがカフェ・カンパニーのソートであり、「CAFE = Community Access For Everyone」という理念につながりました。創業当時に作ったパンフレットには、「カフェのある風景を創る」と書いてあります。

藤沢 東日本大震災を受けて、東北の食産業復興を支援するために始められた一般社団法人「東の食の会」も、コミュニティのコンセプトですね。

▼楠本さんが代表理事を務める東の食の会が、岩手の企業2社と共同開発した「サヴァ缶」は、東北・岩手を代表する一大産業へ発展した

楠本 日本の地方が、時間をかけて静かに没落してゆく中で、東日本大震災が起きました。震災はもちろん不幸な出来事ですが、地方の課題を浮き彫りにし、日本人が何かを変えなければならないタイミングを教えるきっかけになったと思います。危機感がないまま「ゆでガエル」になることが、一番良くない。その危機感を、全国的に知らしめる機会になりました。

地方から「復興のヒーロー」が出てくれば、21世紀の食を創るリーダーになり得る。そういう人材を生み出そうとして作ったのが、東の食の会です。

藤沢 楠本さんたちがソートを語り、北三陸ファクトリーの下苧坪之典さんや「ミガキイチゴ」の岩佐大輝さんなど、若いソートリーダーがたくさん生まれました。その鍵はどこにあるのでしょうか。

楠本 「計画的ではない。全員でやる」というコンセプトだと思います。危機感は、チャンスに変わります。そこに必要なのがビジョンです。ライフスタイルとは、生き方をシェアするという意味です。そこに立ち戻れば、日本人は強い。「目指すのは、こっちだ!」となったら、全員が一丸となって動ける国民性があるからです。それを東日本大震災でも、コロナ禍でも感じました。

ただ、震災とコロナ禍は違います。震災は被災地の農業や漁業の自立を促し、それを被災地以外の人たちが応援する構図がありました。しかしコロナ禍は日本全国が影響を受けたため、誰かが誰かを応援するという構図ではなく、1人ひとり、全員が将来のことを考えなければならなくなりました。震災では応援する立場だった私も、コロナ禍は自分ごとです。カフェ・カンパニーは大きな被害を受けたのです。ここだけに、とどまっていてはいけない。その思いが、後でお話しする「ZEROCO」の事業を加速させたと思います。

藤沢 ソートリーダーシップを進めるうえでは「ビジョンと戦略を発信して、仲間を募る」と、よく言っています。しかし、お話を聞いていると、発信も大事だけどまずは行動する。ソートを伝えるための言葉がまだできていなくても、とにかくモノをつくって人に見せる。それが楠本さん流のソートリーダーシップなのだろうと思いました。

「ZEROCO」でフードロスの課題を解決し、食料危機と戦争を無くす

楠本 日本が豊かになるためには、外貨を獲得できる新しい「三種の神器」を作らなければなりません。それは「古来から続く文化伝統」「アニメを含むエンターテインメントとライフスタイル」、そして「食」だと考えます。食は、日本の三種の神器の1つになり得ます。

日本の食はおいしくて、健康的で持続可能性が高いといわれています。今や世界の人が「日本食」を目当てに日本に訪れています。日本の食産業は120兆円。自動車産業の2倍もあります。

ではなぜ、日本食は輸出産業にならないのでしょうか。最大の理由は「腐敗と劣化が避けられない」から。食料はそのままでは品質を長く保てない。だからこそ、人類は食料の奪い合いから戦争を繰り返してきたとも言えるでしょう。

インドではフードロスが7割もあると、インドのある経営者が言っていました。アフリカはもっと高い。食料のほとんどが捨てられているのです。原因はやはり腐敗と劣化。冷蔵や冷凍のインフラが不十分なのです。グローバルサウスで安定的な冷凍サプライチェーンを作れるかどうかが、食料危機の解決に直結しています。

同様に、日本には「旬の問題」があります。1年で一番おいしい旬の食材が採れ過ぎると、値崩れを起こすので捨てられています。旬のおいしい食材がたくさん採れて、本来は喜ぶべきなのに、悲しまないといけない。これは大問題です。

 

どうすれば、食の問題を解決できるのか。日本がリスペクトされる国になるには、どうすればよいか。食料を長期保存できるようにするしかありません。十分な食料を、おいしい状態で長く保存できるようになれば、食糧危機も戦争も防ぐことができるかもしれない。

それを実現するのが、「ZEROCO」です。低温かつ高湿な保管環境を安定的に生み出す技術で、冷蔵とも冷凍とも違う第三の道をつくります。生鮮食品の新鮮さを維持したまま長期で保存できます。冷凍する前の予備冷却としてZEROCOを使えば、冷凍食品の品質を飛躍的に向上できます。冷凍は不可能と言われてきた食材でも、冷凍保管が可能になるものもあります。

左はZEROCOによる保存、右は通常の冷蔵保存。保存期間は「2023年2月16日〜4月11日」。ZEROCOに保管することで鮮度が良いままでの保存を可能に。
加工の手間も減り商品寿命が延びるなど、フードロス削減にも貢献する
(出所:プレスリリース「食材などの鮮度を長期間・高品質で保つ世界初(※)の技術、
第三の鮮度保持技術「ZEROCO」事業が始動」

ZEROCOのリーファーコンテナをつくれば、日本のフレッシュな食材や料理を、地球上のどこまでも遠くまで届けることができます。時間をかけてゆっくり運べばよいのですから、物流の2024年問題も解決します。日本食の商圏が、全世界に広がるのです。

藤沢 エビデンスに基づき、テクノロジーを生かして、自らの理想を実現していこうとした先に、ZEROCOにたどり着いたのですね。

楠本 ただ、ZEROCOを広げていく過程で、発信の仕方はよく考える必要があります。変えなければいけないルールもありそうです。設置していく順番やバランスを考えながら、広げていく必要がありますね。まずは、速やかに大型のZEROCOを47都道府県に設置し、日本食を海外に高く売れる販路を作ります。2024年8月、北海道千歳市に日本初となる大型のZEROCO設備(約50坪)を設置し、実証実験を始めました。

藤沢 ZEROCOで、世界が大きく変わっていきますね。どれくらいの時間軸で実現しようとされていますか。

楠本 農業漁業の担い手が、どんどんいなくなっています。日本の食のサプライチェーンの大きな問題です。作り手が買い叩かれる構造を打破しないと、もう本当に日本が世界に誇る食文化と、それを支える一次産業が成り立たなくなります。それを逆算して考えると、3年で結果を出さないといけないと思っています。それで2025年中に、数カ所のモデルケースをつくろうとしています。形ができれば日本人はそこからが速い。地方をこう変えていけばいいんだという形を見せられればと思います。

それから出口戦略の一つとして、2025年には、アラブ首長国連邦のアブダビにカフェ・カンパニーとして新店舗を出す準備をしています。日本から最高品質の日本食をすべて冷凍して現地へ運び、最高の日本食を提供して、新店舗をZEROCOのショーケースにしていきたいと考えています。

ZEROCOは生産現場、加工業、メーカー、物流、小売、外食までをつないでコミュニティを創り出し、日本から世界に向けて、食のイノベーションを起こします。

藤沢 私も大いに期待しています。まずは行動し、内側のモヤモヤを形にして仲間を集め、周到な順番でソートを発信する。楠本さん流のソートリーダーシップのあり方に、とても魅力を感じます。

聞き手:IISE 理事長 藤沢 久美

<対談を終えて>

カフェの歴史からZEROCOの描く世界まで、その場にいるスタッフ全員やカメラマンと目を合わせたり、ときに話を振ったりしながら、真摯に、かつ楽しそうに自らの「思い」をみなさんと一緒に話される楠本さんの姿に全員が魅了されました。自然と情報や意見が交換され、やがて新しい産業の萌芽となる。そんなカフェ文化を現在に継承し、自ら体現されているのが楠本さんという方なのでしょう。「対談」の枠組みを飛び越えて、一つのコミュニティが形成されていくような時間がそこに流れていました。
楠本さんご自身の生き方、考え方の表現として生まれたカフェ・カンパニーと、日本や食の世界を歴史的転換へと導いていくZEROCO。日本だけでなく世界中に、新たなコミュニティをつくり、仲間を集めながら前に進んでいく。その姿からたくさんのことを学ばせていただきました。

藤沢 久美
大学卒業後、国内外の投資運用会社勤務を経て1995年、日本初の投資信託評価会社を起業。1999年、同社を世界的格付け会社スタンダード&プアーズに売却。2000年、シンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。2013年~2022年3月まで同代表。2022年4月より現職。
https://kumifujisawa.jp/

企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、榛葉幸哉、石垣亜純)

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