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彼と別れました

タイトル通り。先日、この数年つきあっていた彼と別れた。最後の約二年間はほぼ意思の疎通ができず、わたしが一方的に逃げ回っていたけれどその意図を汲み取ってもらうことはできず、まあ結構さんざんだった。
こうやって書くことが自分のためになるのかどうかわからないけれど、気持ちの整理と確認のために書く。誰かにわかってもらおう、という気持ちはできるだけ持たないようにして。


彼がわたしに好意を持ってくれたことが始まりで、わたしはある日突然彼の職場のあるフロアに呼び出され、告白された。わたしたちは同じ建物の中の違う会社で働いていた。仲良しと顔見知りの間くらいの関係で、会社は違えど名前は知っていたし、建物内のどこかで会えば仕事絡みの話はした。ときには多少のプライベートを打ち明けることもあった。
そのくらいの関係だったから、告白されたときには特に深く考えずに承諾したのだった。いわゆるフリーだったし、思いを寄せているひともいなかった。
このひとと結婚とか考えることになるのかな。ぼんやり思ったのを憶えている。

連絡先を交換して、毎晩のように話をした。お互いの思想について語り合える相手だった。当時わたしは、(大げさだけれど)人生を生きなおそう、みたいなことを考え学び始めていて、哲学や心理学に興味を持って、本を読んだり勉強する場に出向いたりしていたのだった。職場ではそんな話をできる子はいなかったから、インプットしたそのような内容をアウトプットできる相手ができたのは嬉しかった。彼は、良くも悪くもそのような内容に関して無知だったため、わたしの話すことを新鮮なまなざしを持って喜々として聞いてくれた。一緒に同じ本を読んで感想を述べあったりもした。
わたしがそんな方法で自己開示をしたからか、彼はすぐにわたしに悩みや不安に思っていることを打ち明けるようになった。なんでも受け止めてくれる(母親のような)彼女、という認定をされたのだろう。職場の愚痴や、実家との折り合いについての悩みや、夜中の「もう俺なんていなくなってもいいのかな」「俺がいなくなったらユウはどう思う?(いや、俺なんてどうなってもいいんだ)」という連絡や。
そのたび、彼を励まし、認め、「あなたはそのまま、ただ在って良い」ということを伝え続けた。やや重いと感じながらも、つきあい始めってこんなものだよね、と自分をいなして会話を続けていたかもしれない。

つきあい始めはなんとかなってもそれは時間の問題で、すぐにわたしは彼の母親の役割を演じ続けられなくなった。精神的に即レスもできなくなり、電話も重く感じてきた。わたしは返信が遅くなると怒られ、電話が短くなると寂しがられた。そして(という順接には甚だ違和感があるが)、わたしは一緒に暮らす提案をされた。わたしを手元に置いておくための方法として、彼の考えうる最良の方法だったのだろう。その提案をのんだわたしも、結局寂しかったのかもしれないが。

実母との関係が良好でない自分には、関係性を再構築できる代わりの対象が必要だ。必要なものは手元に置きたい。手放したくない。彼のその純粋な要求には暴力性が内包されていた。その暴力性は概念でありながら、実際の行動を伴った。
彼はわたしに母親という役割を求めていたが、しかし実際に存在しているわたしは彼と同年代の女性で、つまり性的対象であった。彼の支配の仕方は、精神的なつながりの確認(「俺のこと好きだよね?」という言葉等、無条件の愛を注いでくれる母的存在であるかどうかの確認)、そのつながりと行動を一致させる(休日の行動について事前に報告する、外出時には指輪をする等)、そして性的欲求を満たす、と多岐に渡った。
生活は制約され、振り返るとどれもつらかったけれど、最後の支配の仕方は特に暴力的に感じた。応じなければ別の暴力手段をつかった。いずれにしてもわたしにはつらかった。
行動はエスカレートし、わたしは逃げることとなった。その決断ができるまで伴走してくれたひとには感謝してもしきれない。


電話で別れの言葉を交わした。
彼からの連絡全般において、わたしは怖くなって反応できなくなっていた。けれどあるとき、未読数の溜まっていく彼とのLINEの最新の画面に「これから電話する」という旨が記載されているのを見た。見てしまった。これからかかってくる電話には、なんだか出ないといけない気がする。変な予感とともに、わたしはそのあとかかってきた電話に出たのだった。
別れは彼から切り出された。わたしは何も言わず受諾した。
理由を尋ねてもいないのに、最初彼は「価値観の違い」という、手垢にまみれていながらも、いま遣うには違和感しかない、という言葉を多用した。たぶん、最初は彼も平静を保とうとしていたのだろう。結局価値観の違いなんだよな、俺とユウは。そうだね。わたしはあふれる気持ちを抑えて静かに言うしかなかった。寝た子を起こさないように、彼の保っているであろう平静な感情をかき乱さないように。けれど、努力も虚しく彼はほどなくして感情的にわたしを責め、攻撃した。あっという間にわたしは悪者になり、「おまえなんて捨ててやる」とわめいた。

どうして、わたしが悪者になって捨てられるテイなんだろう。悔しくて腹が立った。捨てるのはわたしだよ。こっちはとっくに気持ち冷めてたよ。
別れて三日くらいは、このような感情が朝に夕に自動思考的に頭に浮かんだ。浮かんでは、ああ、これじゃあ彼と同じ土俵で物を考えてるだけだ、とぶんぶん頭を振った。

「わたしはわたしが幸せになったら良い。相手の足を引っ張るより、わたしが上昇していけば良い。つい、相手を引きずり落そうと考えてしまうけど。その方が、わたしが変わらなくて済むから。でも、そんな手軽に楽になる方法は選びたくない。転んでもタダでは起きない。この悔しさはわたしのエネルギーにする。わたしのエネルギーを奪ったやつから、わたしはエネルギーを奪還してやる。…って書くと相手ありきのエネルギー源みたいやな。そうじゃないんだ、生き方を変えるってことなんだ。
一周まわって許せたり受け容れられたりすることがあるかもしれないけど、それは流れに身を任せる。行き着く先がどこでも、わたしはわたしを許す。
とにかくわたしはわたしを幸せにすることを優先する。わたしにストレスを与えるやつは許さん!!」
昨日書いた日記。
まだ必死かな。


いま、彼との諸事情の関係で友人(女性)と同居している。それはそれでいろいろあるけれど、こうやってここに書けるようになったのは彼女のおかげもあるかもしれない。
「ユウが我慢したり自然じゃない対応をしなくなったら、そんな変なやつ寄って来なくなるから」
彼女はそう言ってなぐさめてくれた。ありがとう。沁みた。
そんな彼女はちょっと危なそうな恋愛にいそしんでいて、「きみ、自己一致していないぞ?」と思わなくもないが、まあ本人が楽しければいいのかな。
週末、「日曜の夜には帰るね~」といそいそと出かける友人を眺めて、ふたりにしかわからないこともある、と思うのだった。




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