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気になったお客さま

「ねえ、ちょっとこの子のくちびる見て」
女性ふたりづれのお客さまだった。母娘だろうか? でも、若いほうの女性はなんだかぎこちない。そして顔が似ていない。ふたりとも色白で髪は黒く長く、柔らかそうな(そして、つまりはたるみやすそうな)肌をしていたにも関わらず。

五十代くらいの女性と、二十歳前後と思しき女性の組み合わせだった。見た目の年齢から、ふたりの関係は母娘かなと推測する。が、外見が似ていないのと、若年の女性の年上女性への距離感がなんだか奇妙に思えた。こういうとき、「お連れさま」という言葉は便利。こういうときでなくてもつかうけれど、特にこういうときは。「お嬢さま」「お母さま」「ご主人さま」「お孫さん」はご法度だということは、結構前に勉強した。それにしても「ご主人さま」ってね、こういうときでもないと言わなかったけれど、わたしはその言い回しに違和感のある世代なんだと自覚する。逆に「お孫さま」は一度つかってみたい。

年配のほうの女性は、その若いほうの女性にマスクを取るよう言い、わたしにくちびるを見せてきた。荒れている。がさがさと乾燥して皮むけして、思いっきりあくびでもしたら皮膚が裂けて、切れたところから血が滲みそう。そんな感じだった。

「ねえ、これ見て。どうしたら治ります? リップクリーム?」
「いや、触っちゃうからなだけだよ」
「触るからいけないのよ。やめなさい」
わたしに投げかけられた言葉をよそに、ふたりは、諍いとまではいかない小さな口論をし始めた。よくある母娘喧嘩のように見えないでもない。けれど、どうしても素直にそのように思えないのだった。

「ケアは何かされていますか?」
年長女性がわたしに追い打ちをかける前に(かけてきそうだったのだ)、わたしはその若い女性に向かって話しかけた。わたしは彼女の目を見ても、彼女は視線を合わせようとしなかった。
「なにも」
「そうなんですね」
「いや、触るのがいけないんだと思いますけど」
彼女が言うやいなや、
「だから触るのどうにかしなさいよ」
年長女性が言う。

うーん。そりゃあリップクリームとか、くちびるにも使用可能なスペシャルケア的なオイルとか、紹介しようと思えばいくつか商品は思い浮かんだのだが、なぜかそれらを紹介する気にはならなかった。医者に行ったら何か診断をされ薬を処方されないと気が済まない患者のように、この年長女性は何か商品を求めているのだろうか? それとも、有益であれば無形のアドバイスだけで満足するタイプなのだろうか?
…ん? わたしは、年長女性の要求に応えようとしている? トラブルを抱えているのは若いほうの女性なのに。

トラブルを抱えている(くちびるがやたら荒れている)のは、たしかにその若い女性のほうだった。けれど、それをトラブルとみなし、困りごとと捉え、解決させようと躍起なのは年長女性のほうなのだった。「困っている、治したい」と、その若いほうの子は感じていないかもしれない、と思った途端、わたしはどうすればよいのかわからなくなった。

とはいえ、店頭に見えたお客様に何もしないわけにはいかない。
「暑い時期でもエアコンで乾燥はしますし、いまは紫外線も強いのでお肌には過酷な環境なんですよね。くちびるも同じです。お顔の中でも、ほほや目まわりはしっかりお手入れされるかと思うんですけど、くちびるはリップクリーム以外にお手入れされないことがほとんどですし、舐めたり触ったりついしちゃいますよね。あ、ごはんを食べるときにしみたりしますか? お醤油とか、塩分で荒れやすかったりしますか?」
適度に一般論を交えつつ、わたしはさりげなく彼女に質問をした。こころを開いてくれますように、と思っていたかもしれない。
「あ、いや、べつに…いつもなんで」
「そうなんですね」
年長女性はやり取りを黙って聞き、わたしたちを眺めていた。わたしが何を言うのか、試されているみたいで少し緊張する。…ほら、やっぱり、わたしはこの年長女性の期待に応えようとしている。

若いこの子は、べつにくちびるが荒れていることに対して何も困っていないのだろう。むしろ、わかっていながら触ってしまう、という自覚すらある。
肌はきれいだが化粧っ気もないから、もともと肌質が恵まれていてスキンケアやメイクに興味がないだけかもしれない(年長女性は、しっかりとは言わないが、ふつうに化粧をしていた)。くちびるが荒れていようがいまいが、日常生活で困ることはないのだろう。皮むけしているので醤油やスパイスの強いものに対して刺激を感じそうに見えたけれど、だから困っている、というわけでもないのかもしれない。そういうものだ、とあっさりしているかもしれない。うまく言えないけれど、わたしにもそのようなことがあるような気がする。

よい例えが思い浮かばないけれど、たとえば白髪は当てはまるかもしれない。少しでも白髪が見えると気になる人もいれば、まだらに白髪が生えていても気にならない人はいる。白髪が生えていることを「老けて見える」「美しくない」と感じる人はいるだろう。けれど、周りが「染めないの?」と言うのはお節介。もし、実年齢より老けて見えていたとしても、見た目に美しくないと感じる人がいても、本人は困っていない。それならば、何も言うことはない。

結局、わたしはごく一般的にリップクリームを紹介したけれど、強く勧めることはしなかった。年長女性には「塩対応」的な接客と捉えられたかもしれない。若いほうの子には「困ってないのにうるさいな」と思われたかもしれない。なんだかもどかしかった。

本当は、
「困ってないならないでいいんだと思いますよ、お連れのかたが何と言おうと。やめたほうがいいのはわかっているのに触っちゃうのは、ただの癖かもしれないけど、もしかしたら何か理由があるのかもしれないですよね。それば全然べつのところで解決したり、答えを見つけたりするかもしれないなあ、って思いますよ」
と伝えたかった。立ち入りすぎて、さすがに言えないけれど。

こういう、なんでもないのに妙に気になる人への対応って、みんなどうしているんだろう。美容部員に限らず、お店とか学校とか病院とか、みんなどうしている?

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