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一貫したスタイルを持っている人

とある事情があり、数日のあいだ、気心の知れた友人の家に宿泊させてもらっていた。
彼女の家にはこれまでも訪問したことがある。でも泊まるのは初めてのことだった。しかも「泊まっていく?」など相手からの誘いがあったわけではなく、「…もしよかったら泊まらせてもらってもいい?」というわたしからの要望で。気心が知れた仲とはいえ、お願いするには相当な遠慮があったし、相手の気分を害するのではないかという恐れも大きかった。どんな理由であれ断りたかったらはっきり言って、と付け加えた連絡をしたけれど、結果的に彼女は快く泊まらせてくれたのだった。

泊まらせてもらっていた数日間、朝ごはんを一緒に食べたり眠る直前まで話をしたり。よく考えたら当たり前だけれど、日ごろ見えない生活の細部には発見ばかりあった。冷蔵庫の中身だったり、お風呂に置いてあるものの種類だったり、洗濯物の干し方だったり、カーテンを開け閉めするタイミングだったり。どうということはない生活の一部分を見るのは、ちょっとばかり心が躍るような感情さえ持った。

彼女の外見からのイメージは、うーん、なんというか、「無印良品のモデルみたいな人」とでも言おうか。薄化粧で、服装は(無印にありそうな)ナチュラルでありながら統一感があり洗練された感じ。黒髪はゆるく長くて、まとめたスタイルに無地のロングワンピースはヨガ教室の帰り、みたいな印象。
そして、そんな彼女の部屋はそのイメージを壊すことがなかった。無印良品の家、ってあるけど、あんな感じなのだろうか? 戸建てではなくアパートだけど、その部屋の中はあまりにもイメージ通りすぎて、いろいろと趣味や嗜好が取っ散らかっているわたしからすると、なんだかたじろいでしまうくらいだった。

例えば、衣類。クローゼットをじっくり見たわけではないけれど、黒・ベージュ・茶・オフホワイトの衣類がずらりと並ぶ。すべて無地。それ以外? 見当たらなかった。その数日の間には見ていないけど、冬になると身につけていたコートやマフラーも黒だった気がする。下着は、見た限りすべてモノトーン。
タオルはすべてベージュと茶。台所の布巾もベージュだった。(いや、もらいもの、という紺のバスタオルが一枚あったか)靴は、サンダルもスニーカーも革靴もオール黒。
そして、それらを収納するケースや、洗濯ばさみ、ハンガーも統一されていた。洗濯ばさみとハンガーはつや消しのシルバーで、使い心地もよく才色兼備。
洗剤などはオーガニック系のもので揃えられていた。そもそもの見た目が部屋になじむタイプの容器であるものを除いて(例えば、ジョンマスターオーガニックとかキールズとかマークスアンドウェブとか)、これまた統一された容器で備えられていた。そういえば、ひとつだけ、アウトバスヘアトリートメントはピンクの容器で、異色を放っているようにすら見えたな。ぜんぜん、よくあるふつうの商品なのに。ちなみに質のよいトリートメントだった。今度真似して買おうかな。
マグカップや皿は備前焼みたいな見た目のもの。やわらかな色合いの陶器が並んでいた。

彼女はそのアパートに十年以上住み続けている。その十何年という時間をかけて、きっと少しずつ、自分の趣味にかなう部屋を作り上げてきたのだろう。毎月発売される漫画を一冊ずつ揃えていくみたいに、少しずつ少しずつ買い揃えてきたものたち。あるいは、「えいやっ」という感じでどんと迎え入れたものもあるかもしれない。
彼女の家のそれはあまりにも一貫していて、強いエネルギーを放っているようだった。外から来たわたしをも数時間でその色に染めていくような。数日わたしが滞在して、わたしの取っ散らかった趣味の私物が並べられても、そんなちょっとやそっとのことで乱されるようなものではない強さだった。

へー、と思う。趣味が一貫しているってこういうことなのか。
比べてわたしの部屋は、と思う。数年のうちに引っ越しを繰り返したり、同居人がいたりいなかったりで外部環境は彼女と異なるけれども、でもわたしはあんなに一貫した趣味の持ち主ではない。UNIQLOもFRAY I.DもBEAMSもしまむらもZARAも行くし、メゾンドフルールのトートもマリメッコのリュックもノーブランドのリネントートも持つし、江國香織もジェイン・オースティンも北村薫も佐藤愛子も読むし、ミッフィーのレターセットも鳩居堂も便箋もクリエイターショップのオリジナルカードみたいなのも大切だし、百均の皿もノリタケのカップも頭に「スノーマン」がついたスプーンも愛用している。いや、ごめんなさい、ノリタケは大事すぎてふだんは使ってない。

興味や関心、嗜好品が一貫していることと、思考や理念が一貫していることはつながったりするのだろうか。自分のことはよくわからない。そりゃあ他人のことだってわからないけども。
ただ、あまり深く考えずに感じたことは、あんなに統一されていて飽きることはないのかな、ということだ。興味があっちこっちに行くわたしなら飽きてしまいそうな気がする。彼女はわたしよりわずかに年上だから、もしかしてそういう時期は通り過ぎたのかな。わたしにも「こだわり」みたいなものはあるから、彼女はただそれが強いだけなのだろうか。
彼女の家に数日滞在して、そんなことを思っていた。わたしの部屋は、まあ、雑然としている。好みではないものも多数転がっている。とうに飽きてしまったスタバのタンブラーに水を入れてのんでいる。飽きてしまったけど、それを埋めるように愛着が湧いていて手放せないもの。そういうものが転がっている。

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