日記#94はじめての喧嘩
中学生だった頃、私は生きることが辛く、命を終わらせることばかり考えていた時期があった。
そんな私はある声をきいた。
きいたと云っても頭の中に響き渡ったのだけれど。
『死んだつもりで、これからはやりたい事をしなさい』と。
その事を不思議とも思わずに、頭の奥に響くこの言葉に、はっとして目が覚めたのだった。
その時からの私は、人の為の人生ではなく、自分の為の人生を歩もうと誓った。
それでも人の視線やどう思われているかなど敏感に感じてしまっていた。
生き辛さを抱えながらも少しは自分の信じた道を歩んでこれただろうか。
もし明日、命がなくなってしまっても後悔しない選択をしたかった。
主人と結婚したいと思ったのは自分。
そんな主人が生死を彷徨った。
主人と一緒にいる事を決めたのは私。
そしてその昔、孤独を感じていた私を救ってくれたのは主人。
縁を切って離れることは全く考えたことがない。
人によって色々な考え方がある。
選択は人の数だけあるのだと思う。
どの選択も決して間違いではない。
人は人。
私は私。
意地を張った訳でも無いし、無理矢理でも無い。自分が主人の側に居たかった。主人にはまだ生きていてほしかった。
勿論生きていると辛かったり、悲しかったりする瞬間も沢山あって、どうしてこうなっちゃったんだろうと泣いてしまったりすることもある。
でも側にいるだけでほっとしたり、楽しそうに話す様子を見ているだけで心がホカホカしてくる瞬間も好きだ。
主人とは出会ってすぐの頃から長々と電話できる関係だった。
性別を越えた友情と云う感じ。
何を話していたか覚えていない位、なんでもない事を話していた。
好きな音楽の事が多かったかな。
そうそう、思い出した。
今思えば、やっぱり何かしらのご縁があったのだろう。
出会いは必然。
“はじめまして“の日に車に乗せてもらって、カーステレオから流れてきた1曲目が私の崇拝する佐野元春さんの『Someday』だったのにはびっくり。
たぶん私が好きなのは知っていたのだろうけど、やっぱり嬉しかったな。
初めての喧嘩も忘れられない思い出。
それまでの私は怒りの感情の出し方が分からずギューッと胸の奥が苦しくなる。
そんなことが日常だった。
気持ちをそのまま伝えても良いんだと教えて貰った人、それが主人だった。
喧嘩をしたのは些細なこと。
でも私は 許せない と感情が爆発した。
まだ付き合い始めたばかり、
私が19歳の頃。
定食屋での食事中、私は残り1口になったコロッケを最後に食べようと大切に大切にとっておいたのに、私が食べきれないと思った主人は すっ と取って食べてしまった事から。
新しいのをもう1つ頼めばいい
そういう事じゃない
なんで無言で取って食べたのか
もうお腹いっぱいで残すのかと思った
など言い争いは続いた。
今では笑い話になる。
生まれた環境、生活習慣の違い。
なんとか仲直りしたのだが、私は自分が喧嘩をしたことに驚いたのだった。
生まれてから誰とも喧嘩した事が無かったかもしれない。
きっと生まれて初めての喧嘩だった。
そこで彼に不信感を覚えたり、許せなかったなら今はないだろう。
怒りを素直に出せた事が私にとって新鮮だった。
それは大きなきっかけだった。
その頃から一緒にずっといたいと思い始めていたかもしれない。
明日命が消えたとしても後悔しないように生きていきたい。
上から物が落ちてきたり、爆発に巻き込まれたり、交通事故、雷、地震、病気、明日の事は分からないから。
少しだけ生き急いでいるかもしれない。
今やりたい事は何なのか。
色々な事をやってみたいけれど、母を看る事が今は1番。
満足いくまで日々進みたいと思う。
読んで下さってありがとうございます
今日も明日も良いことがありますように(クレマチス)