意味のない事の意味、無駄の有用性
昨日、テレビの音楽番組で花火の打ち上げをしていました。
理系あるあるで、花火が打ち上がるのを見ると、
炎色反応を思い出す(話し出してドヤ顔をする)という事がありますが、
中学3年生で勉強する内容がふとした所で、役立つなんて事はザラで、
学校時代の「これ、何の為に勉強しとん?」とかいう疑問に関しては、
ググったら大抵の事は出てくるという凄い時代になっています。
一方で、生きていると何が役立ち、何が役立たないものか
不明確になる時があります。意味のない事が意味を持ち、
価値があると思っていた事が無駄に思われるなんて、日常茶飯事です。
例えば、DXが叫ばれている昨今、業務ないし事業のデジタル化が
マストと言われていますが、ちょっと前の価値観として、
業務の自動化とかSaaSによる業務改善という発想は、
世の中に存在こそしていましたが、多数派とは言えない状況でした。
つまり、「そこまでは不必要」と考えられていた事から、
「必要なもの」に社会変化で変わった事例と言えます。
その必要、不必要を決めるのは、基本的に自分自身で、
生き方の優先順位から、(自分にとっての)無駄を排除するという
「選択」という行動を取ります。でも、人によって選択の基準は違うので、
ある人からは「無駄」と思う行動に「有用」であると判断する人も存在します。
大事なのは、「自分の視点だけで物事を考えない」という事です。
仕事や日常でも、意味のない(と自分は考えている)事を否定せず、
どういう意図で、今の今までその方法、考え方、行動、習慣が残っているのか、
履歴を追うこと、過去を支えてきた人がどういう思考をしていたのか、
想いを馳せる事で、他者にも自分にも納得が得られやすい
選択が実施できるようになります。
また、上記の例にもあるように、時代と価値観の変化により、
不要、必要の判断軸が一気に変わる場合もあるので、
その境目は本来存在しないとも言えるかもしれません。
その他、一見すると役立たなさそうで素晴らしい事を行なっているのは、
いわゆる「基礎研究」というもので、イノベーションの種とも言える研究は、
非常に意味が理解されにくい、抽象度の高い研究が多いと私は捉えています。
日常生活に具体事象として捉えてみると、
あなたが使っている携帯電話(スマートフォン)なんて、基礎研究の塊で、
意味があるのか、ないのか、広がるものなのかどうなのか全く分からない
研究こそが、皆さんの生活の大きな道具になっている事実もあります。
そして、効率ばっかり求めて行動しすぎると、やっぱりしんどくなる
一面もあるので、適度に生活には無駄は存在して然るべきと
私は考えているので、ちょっとの無駄な時間が、
有用な時間を生み出すことも存在すると私は考えています。
目に見える事ばかりを追求しないのも一つ、
意味が存在するものばかりを追求しないのも一つ、
有用な事でないことばかりを追求しないのも一つ、
世の中、確かなものばかりではないと把握するのも一つ。
もしかすると、「私こんなことをしていて何の為になるんやろう?」が
あなたの人生を切り開くのかもしれませんよ。…と考えると、
目の前の事を丁寧に取り組むって本当に大事かもしれませんね。