明瞭さという武器
私が現在所属している会社は外資となり、ありとあらゆる所で「Specific」を求められます。日本語に直すと「明確さ」とか「明瞭さ」と訳されますね。
物事一つとっても考え尽くさないことは許されず、ナラティブに文章として置き換えて、背景知識からデータまで直結して全てが明瞭であるという状態を構成しなければならず、そもそもの「あるべき姿」の基準が物凄い高いなと感じ続けている今日この頃です。
では、ビジネスや仕事における明瞭さとはどういう事でしょうか?
端的に言うと「自分に責任があるプロジェクトの一から十まで考え尽くしている事」だと考えております。
というのは、仕事において分業制が進んでいる昨今においては、自分の業務領域に線が引かれることが多いですが、それは業務としての専門領域が単にそこにあるという事なのであって、全体を捉えなくてもいいというのは別です。
例えば、現場の人、営業の人、プロジェクトマネジメントの人、ファイナンスの人が関わっている場合、単にそれぞれがそれぞれの仕事をすればいいのでは無く、ファイナンスの人であれば、そのプロジェクトに対しての考えを考え尽くした上で、ファイナンスの視座に立ってコメントをするということが求められます。
ちょっと言い方が難しいですね。
もっと簡単に言うと、「プロとしての視座で自分の考えを明確に持っておく」というのが若干しっくりくる表現かもしれません。
そして、特にプロジェクトマネジメントをする側としては、ドキュメントとして落とし込むことを多く求められる機会が多くあり、ドキュメントに向き合って、ナラティブに文章として書き綴る過程で、考えが洗練されるということが往々にしてあるのかなと考えています。
作られたドキュメントは、レビューを通る過程が存在するのですが、レポート一つとっても、赤ペン先生まみれで、かなりフルボッコな状態になることが多いです。
というのは、文章は不特定多数の人が見るもので、分かるような説明を行うことが大事になってくるのですが、素人目線で見た時に明確で分かりやすくシンプルな問題解決方法が、誰でも適用できる最良の解決パターンになることも多くあるので、フルボッコな状態にしてもらうのは、心としては少し辛いところがありますが、良い改善習慣なのかなとも捉えることができます。
では、文章で背景や本文を伝えた所で、データに裏打ちされてなければ、誰も何も納得させることはできません。データの扱い、見せ方に慣れることもこれからのビジネスパーソンの必須要件なのかなと考えています。
データは妥当性というラインを構築するにあたり、統計学的なアプローチも取れますし、単に人の心理として皆が納得すればいいという意味では、見せ方も重要になってくると思っています。
取り出したデータと、論拠との整合性が合っていなければ話にならないですし、データ自体が完全なものとして取得できる段階では、既に市場にプレイヤーがいる可能性もあるので、遅い進出にならないように、不完全な状態でも納得する(もしくはさせる)仕組みが必要なのかもしれません。
結果、ここまで読んで頂いた皆さまには理解いただけるかもしれませんが、ものすごく難しいことを求められ、実行しなければならないのだと私は理解しています。
この明瞭さを埋めていく作業自体が新規のプロジェクトを実行に移す過程で必要なことで、逆を言えばこれが出来てしまえば、仕事には困らないのかなぁと思っています。
「明瞭さの力」、それは「説得力の醸成」とも言え、0→1を生み出すのに必須の過程なのかなぁと改めて大事だと感じ、文章に落とし込んでみました。
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