
ほんの記録|2024年度上期の3冊
2024年4月から9月に読んだ本のなかから、特に印象に残った3冊を改めて挙げたいと思う。
春きざすころに出産。ほぼ10年ぶりの赤ちゃん出現に翻弄されながら、細々と読みたいものを読みつなぐ半年間でした。
それでも、生活は想像していたよりもずっとずっと穏やかだった。
本があったから、ダイナミックな身体と心の変化に足元を攫われることなく過ごせたのかもしれない。
『ゴリラ裁判の日』 須藤古都離
人間のことばを理解するゴリラが、夫(もちろんゴリラである)が殺された事件について、動物園を相手どり、裁判で争う物語。
…というあらすじに、「???」となって手に取ったが、間違いなく今期もっともエンパワメントされた作品となった。
主人公・ローズに降りかかりまくる苦境。
彼女を応援していたはずなのに、しだいになぜか自分を応援しているような感覚になってくる。
ここががんばりどころとわかっているのに素直に取り組めないとき、不当な扱いを受けて心がひしゃげたとき。
きっとこれからも読み返すときが訪れるだろう一冊。
『ママと赤ちゃんのぐっすり本』 愛波文
産後の生活のQOLを左右するもの、それはずばり「赤ちゃんが寝るかどうか」だ、と思う。
上の娘のとき、寝かしつけに苦労したことは以前書いたとおり。
同じ轍を踏むまいと、今回は図書館で赤ちゃんと眠りに関する本を全部借りてきた。
(といっても、小さい館なので3冊ですが)
その中でいちばん参考になったのがこの一冊。
語り口が冷静で、思想の偏りがなく、無駄な情報が省かれていた。
完全にひとりで寝てほしいとまでは願っていないため、入門編である「睡眠の土台を整える」ところだけを、ゆるーく実践してみた。
結果として、寝かしつけにほとんど困難を感じずにここまでこられている。
おめめパッチリ状態で布団に置いて、10分以内に入眠するなんて、娘のときを思えば奇跡だが、なんとその奇跡が毎晩起きているのだ。
この本を世に出してくださった愛波先生には、我が子ともども足を向けて眠れない。心の底から感謝の意を表します。
『一緒に生きる 親子の風景』 東直子
これは、印象に残ったというよりは、一読して大好きになった本である。
これまでも詩や歌を読むことは楽しくて、生きる上で必要欠くべからざるものだとは思っていた。
ただ、それらが私にとっての何なのか、どうして不可欠なものなのかは、ずっとわからないままだった。
東直子さんの選ぶ作品を読んでいて、詩歌は私にとっての「ともしび」であり、「新しい火種」なのだ、と悟った。
日常にくたびれて気力がふっと途絶えてしまったとき、再び生活を進める一歩を踏み出すために、詩や歌はある。
さぁ、また灯そう。そしてまたがんばろう。
この半年、時間にも心にも余裕がなくて、本を読む時間をぐんと削らざるをえなかった。
「読書する私」が細い糸になって、今にも切れそうにピンと張っているような毎日。
ほんとうに読みたい本だけを選びとって、それを読むことで精一杯の日々だった。
だから、どの本を読むときも、「読むことの意味」について自問自答しながら読んでいた。
こんなに時間がないのに。仕事でもなくお金にもならず、ただ読むことしかできないのに。
なぜ私は読んでいるんだろう?
そんななか、山崎ナオコーラさんの『ミライの源氏物語』を読んでいたところ、光明となるヒントを見つけた。
まえがきに記されていた、「源氏物語は、読み継がれたから現代まで残っている。読者の役割は、物語を未来に引き継ぐことにある」という旨のことば。
ただ読むことしかできない私の行為に、意味があったんだ。物語を引き継ぐひとりとして、私はただただ、読んでいていいんだ。
目の前にいる子どもたちは、きっと私より長く生きるだろう。私の見ることのない未来を見る人を、いま育てているんだなあ。
この子たちが歳をとったころには、どんな本が残っているだろうか。
私の大好きな物語が引き継がれるよう、やっぱり読むことをやめないでいたい、と思った。